マヤちゃんと亜弓さんへ
実家に帰ってきて、数年ぶりに愛読書を開いた。
それは演劇マンガの金字塔『ガラスの仮面』。
演劇を志していた頃のわたしにとって、この作品はバイブルだった。
ヒロイン・北島マヤの、演劇にかけるひたむきな想い。
そのライバル・姫川亜弓の、女優としての誇り高き姿勢。
彼女らの活躍は、舞台女優を目指すひとりの少女の心を躍らせ、また「彼女らのように生きていきたい」と思わせる人生の指標でもあった。
大学を出てプロの道へと進み、その後舞台を降りたことは後悔はしていないけれど……。
おかしな話だが、演劇を辞めてからは『ガラスの仮面』を読むのが怖くて、それをずっと避けていた。
10代の頃から憧れ続けたマヤちゃんと亜弓さん。
頁を開けばいつだって、彼女らは舞台の上で闘っている。
だけどわたしは、舞台を降りてしまった身。
俳優は体力勝負である。
いくら体を動かすのが好きだといえども、舞台を降りて何年も経ったわたしがおいそれと復帰できるほど甘い世界ではない。
今の状況に不満もなく、むしろ幸せなはずなのに、彼女らの輝きと向き合うのが怖くて、長い間『ガラスの仮面』を読むことが出来ずにいたのだ。
しかし今回の帰省で、久方ぶりに『ガラスの仮面』を読むことができた。
今回は、マヤちゃんと亜弓さんに再会した気持ちを綴りたいと思う。
北島マヤは【わたし自身】だった
『ガラスの仮面』の連載が始まったのは1975年。
自分の生まれるずっとずっと前からの作品だ。
わたしの母でさえ、小学生だった。
ヒロイン・北島マヤは13歳の女の子。
(最新話では22、3歳になっているだろうか)
父親はなく、母とともに横浜にあるラーメン屋で住み込みで働いている。
マヤちゃん、とても可愛らしい顔をしているのだが、作中では「とりたてて美人でもなく、何をやっても不器用で取り柄の無い子」と言われている。
ところが一見平凡なこの少女は、実は類まれない演技の才能を秘めているのだ。
3時間半の演劇を一度観ただけですべての登場人物のセリフや動作を憶えてしまったり、役になりきって泥だんごを食べてしまったりする。
非凡な才能を持つマヤは、やがて往年の大女優・月影千草に見いだされ、幻の名作『紅天女』の主演候補として名前を挙げていくのだが…
**
わたしは、マヤがたびたび口にする「あたし、お芝居が好き」という言葉に支えられてきた。
彼女には本当に様々な困難が押し寄せるのだけれど、その度に原点である「あたし、お芝居が好き」に帰ってくるのだ。
「お芝居が好き」という気持ちが、すべての原動力なのである。
“普段はつまらない少女だけれど、お芝居をしている時だけは本当の自分でいられる”
この気持ちに、当時のわたしは心をひどく打たれた。
長く自己肯定感が低かったわたしにとって、お芝居をすることは永く、生きていくことの支えだったからだ。
だから北島マヤのその姿は、まさに自分自身と重なるのだ。
特に好きなのは、陰謀によって芸能界を追放されたマヤが、学校の文化祭で一人芝居『女海賊ビアンカ』を上演するところ。
体育倉庫にある跳び箱やマットを、演劇の大道具小道具に利用する。
この「ごっこ遊び」の延長線上で作られるお芝居が、とても魅力的だった。
(ちなみに上の図は、跳び箱をゴンドラに見立てているところ)
この作品に憧れて、わたしは22歳の時に一人芝居を自ら手掛け、上演した。
身近なものを芝居のセットに見立てて使用したり、一人の人物の語りを中心に、何十人もの人物を演じ分けたりした手法は『女海賊ビアンカ』を参考にしたものである。
姫川亜弓には【誇り】を教わった
自分自身の好きなところは「自分に誇りを持って生きている」ということだ。
だから自分の生き方には嘘をつきたくないし、その責任はきちんととりたいと思っている。
この「誇りを持つ」という生き方は、マヤの唯一無二のライバル・姫川亜弓さんから教わった。
亜弓さんに関しては(架空の人物でありながら)全人類の中でいちばん尊敬している存在かも知れない。だからうかつに呼び捨てなどできない。
亜弓さんは、父が有名な映画監督、母は大女優という超サラブレットだ。
絶世の美女であり、演劇だけではなく勉強やスポーツ、料理など幅広いジャンルにおいて一流の腕を持っている。
実は彼女は【努力の鬼】で、信じられないような努力をして周囲に「天才演劇少女」と思わせている。まさに努力の天才である。
亜弓さんの誇り高い生き方が、何よりも好きだ。
両親の威光や自身の恵まれた容姿に一切驕ることなく、ただひたすらに芝居への道を追求し続けるその姿勢。
さらに、ライバルである北島マヤが陰謀によって芸能界を追放された時、亜弓さんは彼女の仇を「舞台の上で」取る。
小細工や不正で主役になるのではなく、演技力だけで観客を惹きつけ、女優としての格の違いを見せつけるこのシーンには、思わず「かっこいい…」と呟かずにはいられない。
マヤちゃんが「わたし自身」であるならば、亜弓さんはわたしにとって「ヒーロー」そのものだ。
誇り高く生きることは、実はすごく難しい。
傷つくこともたくさんある。
「なんでこんなふうにしか生きられないんだろう、もっと楽に世の中を渡っていく方法だってあるはずなのに…」と、常に葛藤している。
それでもわたしは、誇り高い生き方を選ぶ。
だって、亜弓さんのように生きていきたいから。
『ガラスの仮面』との再会は…
これほどまでに強い想い入れがあった作品だったから、舞台を降りてからはなかなか読むことができなかった。
何度も書くように舞台を降りたことに後悔はないのだが『ガラスの仮面』の中だけにはあの頃の自分がいる。
それは過去とともに美化されているから、その自分が今の自分を否定してくるような気が(なぜか)していて、向き合うのが怖かった。
ところが今回、実家に帰省することが決まった時から熱烈に「『ガラスの仮面』を読みたい!」という気持ちがむくむくと現れた。
おそらく、再読のための機が熟したのだろう。
今まであんなに怖かったのに、驚くほど簡単に読み進めることができた。
数年ぶり再会したマヤちゃんと亜弓さん、そして過去の自分は、ちっともわたしを責めてこなかった。
それどころか、古き良き親友たちのように、わたしの心を癒し、胸躍らせてくれたのだった。
マヤちゃんのひたむきさに心熱くなり、亜弓さんの凛々しさに背筋が伸びた。
舞台から降りようが、彼女らの生き方は相変わらずわたしのバイブルのままだった。
そしてそこには、マヤちゃんと亜弓さんと一緒に、ひたむきにお芝居への情熱を注いでいた、かつてのわたしもいた。
過去の自分は今の自分を責めることなく、美しい思い出と自信の裏付けとして、しっかりと存在してくれていたのだ。
終わりに
はっきり言って、舞台に立っていた頃の自分より、今の自分の方が何十倍も好きだ。
今の自分は自分を信じている。
辛いことから目を逸らさずに受け止められる。
自分のためだけでなく、愛する者のために生きている。
この自信があるから、ふたたび『ガラスの仮面』と向かい合えたのだと思う。
マヤちゃん、亜弓さん、
わたしは舞台を降りたけど、いまもあなたたちのように全力で生きてるよ!
40歳になっても50歳になっても、いつまでも胸に情熱を持ち続けると、約束するよ。
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