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自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで①
ー雨の休日、夫とUNOー
夫「ウィヒヒヒヒヒ〜ッ」←本当にこう笑う
夫「絶対おれが勝ってまうんよなぁ( ´ ิ∀ ิ` )イヒヒヒヒヒヒッ」
いと「旭化成かっ!www」
こんにちは!
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。
コロナだし雨だし外出はできないけど、夫とくだらないことで笑い合って何気ない休日を楽しく過ごしています。
10年前は自己否定が強く自殺願望を持っていたのに、今は自分大好きになりました。
「これだ!」と思える仕事に出会えて、休日を楽しむ工夫をして。
シーンによっていろんな自分がいるけれど、どんなわたしもわたし、最大の味方は自分だから、自分大好きでいることがしあわせを作ると考えています。
ちょうど10年前、新しい出会いがあり、その出会いによって自己否定の強かったわたしから自分大好きなわたしに変わることができました。
自己否定をしていたときから自分大好きな今の上杉に変わるまでの長い長い長~い話を数回にわけて語ります。
ぜひ、酒とつまみとハンカチを用意してお読みください。
「自己否定」は幼少期から
思い出せる限りの一番古い記憶は、わたしが3歳のときのできごとです。
庭で一人遊びをしていると母が家を飛び出していったので、捨てられたと思い泣きながらあとを追いかけた記憶です。
母が家を飛び出した理由は、兄が家の近くで交通事故に遭ってしまったからなんですが、このときにはすでに母に捨てられる恐怖心を持っていたので、幼いながらも自己否定をしていたんだろうと思います。
当時は幼すぎて、なぜ「捨てられる」と自己否定をしてしまうのかがわかりませんでしたが、ふり返ってみると今ではその理由がよくわかります。
▼自己否定をするようになった理由の詳細を書いたブログはこちら
紹介した上記のブログを読んでいただくとよくわかるかと思いますが、わたしの両親は毒親です。(今も毒っぷりは健在)
父は、信仰する宗教がすべて。母は父がすべて。子どもは9人兄弟姉妹(わたしは6男3女の5番目次女)、みんな両親のいいなりでした。
『同じように育てたのにお前だけ違う、お前は親を苦しめる』
両親からそう言われつづけ、「親を苦しめる存在でしかないわたしに生きる意味なんてあるんだろうか」「わたしには何の価値もない」と幼いころから自己否定をしては自分を苦しめていました。
「試し行動」に隠された思い
思春期になると言葉にできない苦しみから癇癪を起こす、登校拒否、家出、自殺行為と意識的に自己否定をして親を困らせるようになります。
しかし、その行動によって兄弟姉妹には距離を置かれるようになり、両親にもやっぱりこの子は親を苦しめるだけの憎たらしい子だと再認識され、負のスパイラルから抜け出せなくなっていきました。
味方なんてどこにもいない、だれも信じられない、趣味も楽しいと思えることも何もない、あるのは絶望だけと年齢を重ねるほどに自己否定感はどんどん強くなっていきます。
本当はただ愛情がほしいだけなのに、ほかの兄弟姉妹と同じようにやさしくされたいだけなのに・・・・
いつまでも親に甘えてはいけないという考えが素直なきもちを抑えつけ、自立できないダメな人間だとまた自己否定をしてしまっていました。
思考の光と影
『お前は絶対にしあわせになられへん。もしなったら、お父さん自殺したる』
20歳のときに言われた父のこのことばは良くも悪くもその後の考え方に大きな変化をもたらしました。
【マイナス面】
「しあわせになれないのなら生きる意味なんてない」という自己否定感が自殺願望を強め、こんなに苦しめてくる親はぜったいに許せないとそれまで以上に反抗心を燃やして「やられたらやり返す、100倍返しだ!」と底なし沼になんどもなんども自ら溺れに行きました。
怒りの心は、親と仲良くやっていきたいという気持ちすら忘れさせ、親を苦しめる無価値なわたしが悪いと自己否定をしながらも「わたしが苦しいのは親のせいだ、親が否定してくるからわたしも自己否定するしかなくなるんだ」と責任転嫁して怒り狂っていました。
どれだけやり返したところで気が晴れるわけもなく、やっぱり親不孝者でしかないと自己否定、そして「わたしのせいで両親は不幸だから親のいうことを聞かなければならない」と自己否定をすることで反省になると誤った考えを持つようになりました。
どれだけ反抗的な態度をとってしまっても最終的には親の敷いたレールの上を歩き、親のいうとおりに言われれば貯金をすべて渡し、ひとり暮らしを反対されればあきらめる。それが正解だと思っていました。
「親のいうことを聞かない子どもはしあわせになれない」
これは両親の教えで物心つく前からすり込まれてきたので、「何の価値もない人間で疫病神扱いされる理由は、わたしが虚弱体質で物心つく前から親に迷惑をかけていて、反抗的な態度をとるから苦しくなるんだ」と自己否定をして無価値な自分を反省せねばと本気で考えていたのです。
【プラス面】
「生きる意味も価値もないわたしがまだ生きている。簡単に死ねないのならば、せめて生きている間はすこしでも人の役に立つべき」
「どうせ生きるなら今の疫病神としてではなく、その真逆のいるだけでしあわせな気持ち、あったかい気持ちになれるようなそんなステキな人になってみたい」
父に絶対にしあわせになれないと言われたことで、「どうあがいてもしあわせになれないのなら、好きに生きてもいいんじゃ…?」という疑問がわき、それが人のためにもなることなら尚更と、いつかそんな人になりたいとひそかに決意をしたのでした。
実家から脱出したのは28歳、親から精神的に自立できたのは33歳のとき。
20歳で自己否定する自分でもしあわせになりたいと決意してからのほうがむしろ大変でしたがつづきはまた次回。
お楽しみに!