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自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで⑤
夫「マトリッツォっておいしいん?」
・・・・・。
夫よ、それは「マトリッツォ」ではなく「マリトッツォ」やで。
オジサンががんばって若者の流行にのろうと覚えた感じがして、ちょっぴり切なくなったはナイショです。
こんにちは!
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。
1ヶ月以上も更新がストップしてしまいました。
またこまめに更新していきますので、よろしくお願いします♡
ではでは、シリーズ「自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで」のつづきを書いていきますよ!!
▼前回のブログ、なかなか好評でした
▼シリーズ1話目からお読みになりたい方はこちらからどうぞ
親子共依存は冷静な判断を失わせる
26才で大恋愛が終わり、おひとりさまを楽しむようになった上杉。
家にいると、両親の顔を見るだけでイライラしてつい突っかかってしまうので、言い合いになるたびに後悔しては自己否定、そして、孤独感からまた自己否定をしてしまいます。
そのため、ひとりの気ままな外出はいい気分転換になっていました。
そんなに家がイヤならなんで家を出たらええやん?
ごもっとも!
ほんとそうなんですけどね。
幼いころから親の言うことを聞くのが当たり前とすり込まれ、攻撃もされつづけると、もう正常な判断なんてつかなくなります。
両親は「女は結婚するまで家を出るな」というタイプなので、それがイヤでも反抗しても、冷静になるとわたしはダメな人間なのだからと自己否定して、最終的には親の言うことを聞かねばならないという結論になるのでした。
小学生のときから家出をくり返し、神奈川県まで逃げたこともあるのですが、結局、うまくいかなくなって戻ってきてしまい、「だから言っただろう。親の言うことを聞かないからそうなる」と叱られていました。
ひとり暮らしをしたいと冷静に話しても反対されるので、心が折れて実行することはできませんでした。
また、「どうせまた反対されるし、わたしがこの家を出て自由に生きられるわけがない」という自己否定の思考も実家を離れられない原因にもなっていました。
将来への不安が変化をもたらす
おひとりさまを楽しむようになってから約1年、アラサーと呼ばれる年にもなると、「わたしはこのままでいいのだろうか」という将来に不安を抱くようになります。
仕事(珈琲専門店)は好きだけど、老後を考えると金銭面で厳しく、ある程度稼げる会社に転職するにしても、知識や技術、一般教養すらない自分の将来に不安を覚えたのです。
「毒親に縛られ、生きる価値のない自己否定しかできないわたしに明るい未来はない。つい自己否定をしてしまうわたしだけど、本当は人に認められたい。許されるのなら、しあわせな人生と思える未来がほしい。」
でも、いまのままではダメ。
なにかをはじめなければ…!
父におまえはしあわせになれないと言われた言葉が一瞬頭をよぎりましたが、それでも、自己否定する自分を変えたいと思い直しました。
とはいえ、これをしたいという具体的なものは思い浮かばず、どうしたものかと悶々とした思いを抱きながら過ごしていたら、当時していたSNSのミクシィでフォローしていた人のある投稿が目に留まりました。
その投稿者が毎月1回勉強会を主催していて、その様子を書いたもの。
知識や教養を深めて視野を広げることを目的とし、いろんな分野で活躍している人たちが発表している勉強会。
(どんな内容だったかは全く覚えてないけど)その投稿をじっくり読むと興味が湧いてきました。
参加費500円!?安っ!
開催場所は…え!?職場の隣のビルやん!!
なんだか縁を感じずにはおれなくて、その方に参加したいとメッセージを送りました。
恩師との出会い
参加してみると、怪しい集まりでもなくビジネス目的の交流会でもない、まじめな交流を求めている人たちの集まりで、イメージどおりの勉強会でした。
どの発表も面白く、いろんな世界を知れてステキな勉強会だなと感じたのもありますが、ここで出会ったKさんとの出会いがわたしの今後の人生を大きく変えることになります。
この日、Kさんは「有難うの由来」をお話してくださり、その内容に感激・・・というよりも(もちろん、楽しく聞かせていただいたんですよ)、Kさんの話し方がとてもおもしろく人を惹きつけるような雰囲気と口調で、一気にKさんのファンになりました。
Kさんは当時、東洋哲学をわかりやすく伝える活動をされていて、元々、哲学的思想が好きだったわたしは、これ以降、Kさん主催の講座になんども参加するようになります。
Kさんは、知恵の体現者といっても過言ではないほどすばらしい方で、講師と参加者という壁を作らず、はじめから、友人のひとりとして接してくれました。
うしろ向きで自己否定の強いわたしがKさんの勉強会で話を聞いたり、個人的な悩みを聞いてもらうと、自己否定がどれだけ自分を苦しめてしまうのか気づかされるのです。
「Kさんのそばにいたら、自己否定ばかりで価値のないわたしでもしあわせなわたしに変われるかもしれない」
ふしぎとそんな気持ちが湧いてきて、できるだけ縁を深めたいと思える方でした。
縁が心の向きを変える
仕事後や週末など週1回は参加、勉強会後に参加者みんなで食事に行ったりBBQなどイベントにも参加して、次第にKさんだけでなくほかの参加者とも親しくなっていきました。
社会人サークルのように楽しく、自己否定してしまう思考のクセを正常化できる勉強会に参加していると、実家を出て心身ともに自立したい思いがふつふつと湧いてくるようになりました。
いつまでも実家にいて、親の監視下にいるから自己否定をしてしまうのだと気づいたのです。
「毒親から逃げよう」
そうは思っても、自己否定の強いわたし。実行するとなるとなかなか勇気は出ません。
過去に失敗したこともあり、また責められたらと思うと心が折れてしまうのでした。
Kさんに相談すると、勉強会仲間と一緒に「荷物の運び出しはみんなで手伝うし、なにか言われそうになったら僕が対応するよ。」とまで言ってくれました。
話は少し遡りますが、27才のときに2ヶ月ほど家出をしたことがあります。(小学生のときから家出少女なんです)
あるとき、親の顔を見るのも自己否定をするのもツラくなってどうしようもなくなったときに、わたしの家から徒歩5分のところにひとり暮らしをしていた親友に連絡をとりました。
当時、親友は恋人と他県で半同棲をしていて、自分の自宅は荷物を置いてるだけの空き部屋状態でした。
「しばらく部屋かしてくれへん?家にいたくないんよ。」
この言葉だけですべてを察してくれた親友は、「まだしばらくは解約せんし、好きなだけおったらええよ〜。」と快諾してくれました。
親友の懐の深さに加えて、Kさんの言葉と勉強会仲間の協力するよ!の優しさに、自分がどれだけ友人に恵まれているのか気づきました。
このことで、親に恵まれず、生きる価値もないわたしと自己否定ばかりしていたけど、こんなにも友人に恵まれてるのだから、わたしの人生そんなに悪くないかもと、自己否定する自分を少し受け止められたのです。
そう思えた途端、自己否定するよりも自立したい気持ちでいっぱいになり、さっさとひとり暮らししてしまおう!!
鉄は熱いうちに打てとばかりにすぐ行動し、親にも宣言して、友人たちの協力を得て無事にひとり暮らしをすることができたのは28才のときでした。
これまでは大家族に寮生活と常にだれかと暮らしている状態だったので、はじめてのひとり暮らしは解放的で快適でした。
だれの目も気にせず、気を遣う相手もいない。
そして、整理整頓された空間、物を勝手に動かされることもない。
え?なにこれ、超最高なんだけど?
わたしは、家族に友人知人、もれなく全員に几帳面タイプと思わせるほど細かい性格なので、実は共同生活に相当な苦痛を感じていたことをこのとになってはじめて気づきました(遅すぎない?)
家族がわたしを厭う理由が、‟わたし‟という存在だけではなくて、単純にこまかくてめんどくさいのもあったんだろうな…と自己否定的な意味でなく人として迷惑をかけていたなとちょっと反省しました(夫もよく「そんなに気になること!?」と言うてますわ…)
自己否定の根深さ
こうしてはじまった楽しいひとり暮らし。
しかし、その楽しさはすぐに苦しみに変わります。
突然、左足の足首から下に激痛を感じ、足の裏を見ると内出血もしていたのです。
ケガをした覚えもなく、突然のことでパニックになり、痛む足を引きずって病院に行くと、数年前に捻挫した古傷が悪化しているとのことでした。
当時は整骨院にしばらく通って治ったかと思っていたのに、実は靭帯が伸びていて、ちゃんと治療されてなかったといまさらながら知りました。
元々、ひざも股関節も悪いのに足首までもだなんて…
なんであのとき、整骨院じゃなく整形外科に行かなかったんだろうという後悔よりも先に、親のいうことを聞かずに家を出てしまったからだ、自己否定して不幸にならなきゃいけないのに、しあわせを求めてしまったから…
父に言われた、「おまえはしあわせになれない」
この言葉がなんどもなんども頭の中で反芻します。
自分の存在や未来を望まず、自己否定をしつづけなければならない。
わたしは常に不幸でなければいけないんだとあらためて思ってしまったのです。
この頃にはすでに夫と付き合っていましたが、どんなに足が痛くても病院には行かず、仕事も休まず動き回って、夫には頼らず家事も完璧にやっていました。
その結果、当然ながら足の痛みは取れることなく、元から悪かった股関節にまで影響が出て状況は悪化するばかりでした。
激痛の状態は1年もたつと頻度は減りましたが、それでも痛みは常にありました。
痛みを強く感じるたびに自己否定をして、心もからだも苦痛なのにどうして生きなければならないんだろう…
いっそのこと死んでしまいたいと自己否定ばかりしていました。
痛みから勉強会に参加できなくなり、はじめは自宅にKさんや友人たちを招いて自宅勉強会を開いていましたが、不幸にしかなれない、疫病神であるわたしの家に呼んではダメだと自己否定をして、勉強会で知り合ったひとたちを避けるようになりました。
恋愛もダメなんだろうな、彼氏とも別れなきゃと思って八つ当たり気味に別れを言い出したり、でもやっぱり好きで離れたくなくて謝ったり、最終的に自己否定をするわで、この時期はずっと情緒不安定でした。
それでも嫌いにならずにプロポーズしてくれた夫。
こんな私が結婚なんてしていいんだろうかと自己否定して、夫には1年間考えたいと結婚を保留しました。
両親は、気さくな性格でなんでもやりますよ!な姿勢の夫を気に入っており、夫でなければきっと両親との関係が改善されることはなかっただろうと感じるほどに、いつも間に立ってわたしの気持ちを考えてくれていました。
結婚願望もとくになく、しあわせになってはいけないと自己否定するわたしが結婚を決めたのは、この結婚を一番よろこんだのが両親だったからでした。
しかし、これは大きな間違いだったのです。
どうして結婚が間違いだったのか・・・!?
つづきはまた次回、乞うご期待!!