生きづらさを愛と光へ!NO.16 認知症は、不安を和らげる為の、神様からのギフト?
昨日、中2の娘と2人で、義母が入院している病院に行って、面会をした。
時間にして30分以内である。
少し前なら、面会すら出来なかっただろうに、この状態は恵まれている。
先月の27日の朝、シュートステイ先から救急車で搬送された義母。
鼻から酸素のチューブをつけていたが、昨日もその様子は変わらなかった。
背中を少し起こした状態で、寝ていた。
しばらくして起きて、わざと、こんにちは、と話しかけてみたが、どうも、私たちのこと、親子でなくて、友達と思ったのか「あんた達は、同級生ね?」私は内心何言ってんの?と思いながら、違うよ、親子だよと言ったが、基本自分の思ったことを話す義母。
娘の名前を聞いてみたが、思い出さなかった。
私の名前はかろうじて、会話の中で、〇〇と言ったが、それも話には少し噛み合ってなかった。
私誰かわかる?と言ったと思うが、違う話をしていた。
よくしてもらったとは言っていたが、その〇〇と、その〇〇が、私だということは認識されていないようだった。
じゃあ誰が面会に来たのか?
それすら分からないのかもしれない。
全室個室で、テレビカードも買っていたが、ほとんどテレビを見ていないようだった。
恐らくキツイのかと思うが…
ご飯は食べているようだから、それは良いことだと思うが、昨日はあくまで、義母の口から出た言葉を信じている。
義母は、ショートステイ先から救急車で搬送されたので、家の者はいまいち、実感というものがなく、それ以前のことも吹っ飛ぶくらいであるが、あまりに家族のことも忘れていたので、ショックを受けた。
30分以内の面会で、携帯の画像を見せながら話をした。
義母から見て孫である私の2人の息子はかろうじてわかったようだが、息子の従姉妹は分からず、その親である義母の実の娘はついこの前来たので、名前もわかった。
しかし、お正月に帰ってきた夫の弟の写真を見て名前は思い出さなかったが、高校の頃の話はしていたので、息子ということはわかっていたようだった。
私も何度も、義弟の高校の頃の話は義母から聞いていたので、わかってると思った。
義母が入院する前、家、デイケア、ショートステイを行き来していたが、入院する前に聞いたことがあった。
長く寝た後に、あら、まだ生きとったね、もう、変な夢ばっかり見て、と話していた。
義母を9年間、色んな形で看てきたが、流石に、誰かわからなくなると、それなりにショックは大きい。
娘も思春期、反抗期、不登校と今そんな状態なので、忘れられて良いこともある。
しかし、娘が生まれた時、女の子だったことにすごく喜び、みんなで可愛がったことは間違いない。
もちろんのこと、義母もである。
そんな娘がまだ幼く、息子2人がまだ家にいた頃が1番幸せだったのか、私からよくしてもらったと思ってることをこちらで言いながら、息子2人が県外へ就職して行ったことに対し、どうやら、嫁である私のせい、もしくは、夫、もしくは私たち夫婦のせいになっているようである。
義母に、黙って決めてしまって!ということらしいが、いやいや、子どもたちが決めることであって、子どもの決めたことを応援するのが親だろうと、私はその話は、昨年の夏にも同じことを言われたが、とても孫たち2人(息子たち)が県外へ行ってしまったことに、母親の私よりもショックを隠しきれていない義母じゃないのか?と思う。
どうなんでしょうね、そりゃ私だって寂しかったですよ、2人の息子が家を出た時は本当に寂しくて涙も流したとも言いたくもなるが、そこまで可愛がられた孫たち、本当に良かったね。
という気持ちと、感謝の気持ちの両方である。
でも、勝手に決めたわけでもないと思うし、ちゃんと報告なりしたと思うよ、でも、子供たちの、県外へ行きたい気持ち、わかってあげるのが親でしょうよ、そりゃ少しは反対もしましたよ。
祖母なら応援するものじゃないの?
だけどね、家で親のすねかじりではいつまで経っても、子どもは大人になりません。
と言いたいです。
まあ、言わないですけど…
どれだけ孫のこと手元に置いときたかったがわかりますが、その状況になれば子どもは100%帰ってこないとは言えないのですよ。
ほぼ帰ってはこないとは思いますけどね。
なので、義母の記憶は曖昧でも良いかと思います。
確か誰かが言っていました。
認知症になるのは、あの世に行くのが怖い人への神様からのギフトだと。
noteだったか本だったかで読んだと思います。
確かになって、今ならわかります。
義母は良く、ベッドの上でお経を唱えたり、手を合わせたり、色々やっていましたし。
入院前は、もうどこへも行かん!と言って私たちを困らせたり、認知症も進んでいたので、もう限界かなと、ちょうどケアマネさんとも話をしていて、リハビリをする老健のパンフレットを持ってきてもらい、申し込もうとしていた矢先でした。
本当にそのタイミングぴったりと言わんばかり。
それでこの状態。
正直、何とも言えない状況ではあります。
なんだかんだ、隣の家の方の忌明け法要も今日終わりました。
なんかあっという間で、でもまだ亡くなっても、居るような気がして、だけど、このバタバタした中、いつの間にか受け容れている自分や、家の人や親戚の人や地区の人。
亡くなるとこうやって、故人との思い出はそっと胸の中にしまって、それぞれが生きていくんだなと、寂しいながらに前を向いている、私であり他の方々であった。
もう、義母に忘れられても仕方ないと割切る、そう思う今日の気持ちである。
義母の気持ちが穏やかになるならそれが良いのかもしれない。
神様からのギフトなのだから。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^