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生きづらさを愛と光へ!NO.55 私が24歳でこの家に嫁いできた頃の義母への見方と、今アラフィフでの見方の違い。
ここ最近は、義母からは手が離れたので、自分のやりたいことを優先しつつ、娘のことを最優先に考えてはいるものの、娘もなかなか頑固なのか、何なのか、娘本人の性格や気質的なもので、状況はすぐすぐ変わりそうにもない。
義母から、先日の面会の帰り際に言われた「頑張れよ〜」「お母さんの言うことは、ちゃんと聞かんば〜」と娘に言ってくれた一言二言だけれど、娘の心には、残念ながら響いてないんだろうなぁと思う。
何故か私の心に響いてしまった。
もう数ヶ月義母とは離れて暮らしているが、施設に面会に行くと、自然に話せるのでまだ、認知症も重度とまではいかないと感じている。
娘が思春期で、母親の私を困らせていたということはまだ義母は覚えていて、理解できているのだと感じた。
急に秋めいてきたので、少し遅めの時間から、1時間ほどだけれど、畑を広げようと勝手に考えて、自力で広げる計画を実行中である。
土を触る、アーシングというものだけれど、パソコン、スマホをかなり使っているので、電磁波は避けられないが、土いじりは電磁波にも良いと聞く。
今日も、義母から言われていた梅干しと、漬物の細かく刻んであるタイプのもの、ついでに柔らかそうな杏仁豆腐を届けてきた。
昨日栄養士の先生からお電話をいただいたが、梅干しも柔らかいタイプのもの、漬物も食べれるかはわからないが、それも食べれそうじゃなかったら処分しても良いと言って、どうにか承諾してもらった。
たまに誤嚥しそうになったりするそうで、今は柔らかいものや、とろみのあるものを食べているらしい。
家にいる時は、3本の歯と歯茎で食べていたが、施設では柔らかいものに変わっていき、今に至る。
義母が食べたいと言ったものは、できる限りは食べさせてあげたいという思いであるが、一応施設側への確認が必要である。
昨日、畑を耕しながら頭に浮かんだことであるが、まだ、私がこの家に嫁いできて間ない頃、畑をしていた義母。
その頃はかぼちゃや、茄子、きゅうりなどいろんな野菜を作ったり、山の栗を拾ったり、山に入るまでの道のカヤを綺麗にしたり、溝掃除をしたりと、とても元気な義母だった。
その頃には、近所や、行事のほとんどは私たち若い者に行ってもらおうということが、見てわかる状態だった。
義母にも妹さんが数人いて、車で40分ほど行くと会える距離だけれど、義父が亡くなったときには毎週揃って来てくれた妹さん達だったが、年と共に、来ることは減り、義母から、姉妹仲のことを色々聞かされた。
その当時私はまだ、他人軸で生きていて、他人を優先していたために、義母の言動が、気になったり、受け容れられなかったりしたのだと思う。
姉妹のこと色々言わずに仲良くしたら良いのに、近所の人のことも、と思っていた。
私も若かったし、合わせないと、という思いもあったからだ。
「〇〇さんが嫁に来てくれてから行事とか寄り合いもよく参加してくれて助かるよ、よくやってるね〜」とその当時私が同じ地区の方に言われたことである。
それまでは来たり来なかったりしていたらしく、私は嫁に来て、この家を立て直すことに必死だった。
「変わり者」と言われるのが嫌だった。
そして、ちゃんと人並みに合わせたかったのもある。
それも我が子達を変な者扱いはしてほしくないから、必死だった。
今では、ある程度人並みであるが、元々田舎ならではのしがらみなどもあり、これ以上はどうにもならないこともある。
と言っても、役員やなんかも、ある程度人並みにはやっているつもりである。
義母はその点、自分というものをしっかり持っている人だと今アラフィフになってやっと義母の思いも理解できるようになった。
ある意味、義母は自分軸がしっかりしていて、自分は自分、自分さえ芯をしっかり持っていれば、人からなんて言われようが関係ないと何度も言っていた。
私は人に合わせることや、自分軸ではなく、他人を優先に考え、周りと合わせてという部分を大事にして来たと思う。
若い時はそう考えていたからそうなるが、歳を重ねて、私がまだこの家に嫁いできた頃、わからなかったことが、今わかったってことである。
ひとりひとりの存在を尊重できるようになったということだと思う。
義母にとっても、義母にとって畑をしようとするタイミングから、畑をやめようというタイミングがあったように、そして、姉妹にはそんなに会わなくても良いと思っていたこともわからないわけでもない。
自分軸がしっかりある人からすると、そうだろなと思うし、私は今、ある程度、周りにも合わせるところは合わせているが、ある意味、なんと言われようが良いか、と思うところもある。
やっと、自分軸がわかったということだと思う。
自分の人生は結局自分で切り拓かないと、夫であろうが、子供であろうが、姉弟であろうが、自分以外の他人をあてにしても、人生切り拓けないってことも今ならよく分かる。
21歳の頃、某ホテルの和食の調理場の板前さん達と仕事をしたことがあるが、そのホテルを辞めるときに、板長(おやっさん)が仰った言葉であるが「自分の人生は自分で切り拓かないといけないよ」と。
ある時、軽くはわかっていたが、しみじみ更に深くわかったのは、本当にここ最近である。
人生切り拓くのに、夫婦であっても姉弟であっても、子供であっても、結局は自分本人の考え方と行動で、人生切り拓き変えていくのは自分次第ということである。
人間1人で生まれて来て1人で亡くなっていく。
自分の人生は所詮自分でしか歩めない、その自分の人生を歩むのに、夫だったり家族だったり、姉弟だったり、友達だったり、知人であったりが側で手助けしてくれているのだと思う。
私が24歳でこの家に嫁いできた若い頃と、アラフィフになった今、義母への見方も変わったということである。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^