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生きづらさを輝きに!NO.39 89歳の義母の介護と、13歳の娘の子育て。結局は、介護する側、子育てする側が自分を大切にし、見失わないことが上手くいく秘訣。

うちの娘が私たち夫婦の娘として産まれたのはもう、13年前のことである。
極低出生体重児であった。

その時、生きるか死ぬかを私は意識したはずだが、もうそれから13年も経つと、人間その時のキツかったことは記憶にはそれほど残っていないと言うと違うかもしれないが、記憶がかなり薄れるものだ。
結果、それだけ日々生きるのに一生懸命なのかもしれない。

私が初めて義母と出会ったのは、義母が60代前半。
なので、義母は今、私のことをどう思っているかはわからないが、義母の姿を見て、人間、歳とるのはあっという間、前はあんなに元気だったのに、歳をとって嫁に介護をしてもらうのが当たり前という時代とは今は変わってきているが、義母は嫁が看て当たり前と思っているに違いない。

私も若い時は若気の至りと言うものか、義母の独特の行動に何度か激怒したこともあった。
今なら、少しは魂も磨かれ丸くなっているところもあるだろうから、そんな言い方はきっとしないだろう。

娘が産まれた頃は何もまだ考えていなかったが、あんなに元気の良かった義母の介護をすることは全く頭にはなかった。
私も若かった。

義母を金曜の午前中、ショートステイ先に車で送って行き、月曜日の午後のおやつの時間が過ぎた頃、迎えに行く。

水曜日は病院とデイケアの日。
水曜のデイケアの時間と、ショートステイに、義母が行っている間は、私にとって、大切な時間である。

今のところまだ、うちには中2の娘がいるので、娘のことでは色々やと振り回されることも多いのではあるが、隙間を見つけて、自分のやりたいことを一つ一つ、コツコツと少しでもやっていくことが大事なことだと思う。

アラフィフ世代になると、恐らくもう、我が子は大人になっているというところがほとんどだと思うが、うちの場合まだ、中学生。
吃音症状があったり、5年生の時やってもらったADHD、ASDの検査でもグレーゾーンだったため、そういうことも関連して、少し色んなことが難しいのだと思う。
うまくいかないなと思うことは日常茶飯事だけれど、そこはなるべく気にしないことにしている。
考え込んでも仕方がない。

義母は7月の末で目標の90歳である。
本人は82歳の時に90までは生きたいと口癖のように言っていたので、後2ヶ月弱、最低でもどうにか頑張ってくれることを祈っている。

今年の初めくらいには、まだまともな義母であったが、段々と月日が流れるうちに、幻聴や幻覚などが酷くなったりして、挙げ句の果て、私は暴言まで吐かれた。
恐らく、幻覚で別の人格が義母の中にはいるのだろうと私は勝手に思っている。
次の日には忘れているようであるが、しかし、頭のどこかで覚えているような気がする。

とにかく、義母にはもう、昔みたいに冗談は言える状況ではない。
介護も仕上げの段階という表現は違うかもしれないが、前段階は終わったという私の認識である。

まだ、中学生そこそこの娘とは色んなことを言い合いして、バトルを繰り広げていたが、義母のおかしな行動を数回見ていたり、私から聞いたりして、娘は只事ではないと察したみたいだ。

77歳の歳の差がある者同士が一つ屋根の下に暮らすとは、色んなことで合うはずがない。
それは当たり前である。

それを当たり前と捉え、たまには合わせるということも必要だけど、思春期の娘はそう簡単には動かない。

介護も、子育ても長くなってくると、色々変化していくのが当然のことである。

子育ても、何も出来なかった赤ちゃんが、一つ一つ色んなことができるようになっていき、成長して大人になる。

介護で言うと、介護される側は、一つ一つできないことも増えていったりして、逆に赤ちゃんに戻っていくというのは本当の話だと思って介護に携わってみて納得する。

少し前までは、気持ちでとか、思いやりでとか、優しさでとか思っていたが、その介護にも段階があり、その段階は終わり、あくまで、私の仕事としてやっている。

状況はどうであれ、私は私自身を可愛がり、大切にし、自分しか生きれない自分の人生を歩いていこうと思う。

自分を大切にし、見失わないことが、介護と子育てがうまくいく秘訣だと私は思う。



(今日の相田みつをさんの名言)

『ちからをいれてりきまない それがなかなかできないわたし』


今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^







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