
生きづらさを輝きに!NO.79 自分のエネルギーのタンクは、人より小さい(少ない)のではないか?
前回、女子会の話をしたが、その次の日は、弟も一緒に従姉妹と会うことになり、私は2日続けて人に会うことになった。
2回とも、人と食事を共にし、長時間話をするということである。
どちらかと言えば、私は50歳になるまで、対人恐怖症はあったのではないか?と思っている。
しかし、50歳になり、これまで生きてきた人生でそのまま一生を終えると考えると、何か納得できなかった。
素敵なカウンセラーの先生と、奇跡的な出逢いがあってからは、人生がバラ色へと変わっていく。
起きる出来事は変わらないのかもしれないが、それをどう捉えるかで、バラ色かバラ色ではないかになる。
私の心の中はバラ色に変わった。
それまでは恐らく、圧倒的にマイナス思考だった為に、自分の目に映る景色は、灰色だったのかもしれない。
かと言って、結婚もし、家を建て、子どもも3人授かり、お金にはさほど余裕はないが、生活はできているので、平々凡々な暮らしとも言える。
言うほど波乱万丈ではないし、どちらかと言えば平凡なのかもしれない。
他の暮らしをしてきていないので、波乱万丈なのか、平々凡々なのかは、私にはわからないことでもある。
それは周りが見て感じることではないのだろうか。
先日の同窓会で、当然、小学生や中学生の時の話で盛り上がるが、私は初めて、同級生に心の内を打ち明けた。
「私は5年生の時に母親が亡くなって、それをその当時、受け容れられなくて、毎日がきつかったんだよね」
と言った。
すると、同級生が
「そうやったよね、そりゃそうよね、まだ子どもやもん、大変やったよね」
と言ってくれた。
その頃が凄く気持ちが沈んでいて、あまり楽しかったと思えない、小、中学生時代を自分的には過ごしていた。
そんなことをサラッと言って、次々に色んな話が飛び交った。
長らく連絡なんてこちらからしたこともなかったが、今の時代、LINEがある。
LINEグループから拾い、個人宛にLINEを入れた。
小学生の時、うちにも来たこのある同級生にも、LINEをすると
「小学校の頃一緒にいたのに、気づかなかった、ごめんね」
と返信が来た。
その同級生とも、色々なかったわけじゃなかったが、その何気ない一言、二言で、私の今までの心のモヤモヤは全て消えた。
言葉って、すごい力を持っているんだと実感する。
同窓会に話が戻ったが、従姉妹と会って、ランチをして、コーヒーを飲みながら、時間にして、4時間半。
女ってほんと良く喋るなーって、恐らく弟は感じたであろう…
いや、本当に、久々に会うとそんなもんです。
たまたま、義母が行っていたショートステイに看護師として働いている従姉妹で、仕事中はあくまでも、看護師と利用者の家族側という関係で、色々関係ないことは話せる訳ではない。
今回は介護の話や、今、弟が立ち上げる会社の話や、今年作った、無農薬野菜の話をして、お土産に、さつまいもと、ミニトマトを渡し、私もちょっとしたお土産を渡した。
土地関係のお礼も兼ね。
私の気持ちはもう、決まっているが、義母の退院がもう近々になる。
義母の将来、私の将来、色々考えると、厳しいと思うが、思うようにはいかないものである。
従姉妹にも、8年は良く看てる、しかも義母の言うことを尊重してるし、と温かい言葉をかけてもらった。
なかなか難しいのだけれど、明日までには結論も出さないといけない。
女子会と、従姉妹と会う日が2日続き、従姉妹と会った日には、凄く疲れが出た。
誰が嫌とかそう言うことではなくて、いつも私はそんな傾向がある。
その場は楽しく話はしているが、何故か終わると疲れる。
よく喋る人って疲れ知らずなの?
と、ふと思う。
そこは、吃音のある娘の疲れた、という感覚と同じなのかもしれない。
通信制高校、定時制高校の説明会の時に、人それぞれの持つエネルギーのタンクは違う、演説をされていた方は、帰ったらゆっくり寝てエネルギーを蓄えるとも仰っていた。
ある意味、みんな発達障害はあるらしいが、発達障害がある人は、エネルギーのタンクも小さいのかもしれない。
私は2日間、色々たくさん話して疲れが出た。
これが正直な気持ちである。
恐らく私のエネルギーのタンクはすっからかんだったので、小学生並みに早く寝て、エネルギーを充分蓄え、バリバリ次の日、動いた。
2日続けてはキツいのだろう。
色々なことを解決するには難しいことも多々あるが、決めるときは決めないといけない。
そうこうしているうちに、11月もどんどん進んでいく。
1日1日を大切にしたい。
今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^