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いてら堂 小説の棚

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湖嶋いてらの感覚や妄想から成る小説が並んでいます。
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記事一覧

黒い真珠 #月刊撚り糸

黒い真珠 #月刊撚り糸

青い空がどこまでも続いている。太陽はいつまでも降り注いでいる。椰子の木はどこまでも連なっている。ぽっかりとインド洋に浮かぶこの島には春夏秋冬なんてない。あるのは乾季と雨季くらいで、かと言って乾季から雨季になって何が変わるという訳でもない。天がしょっちゅうバケツをひっくり返したところで太陽はまた空を割って降り注ぐのだし、椰子の木々は変わらず連なり葉を耀かせている。気温だって一年通して概ね28度の辺り

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面影橋のむこう

面影橋のむこう

一歩林に入ると、むっと秋に襲われる。湿った落ち葉の安らかな匂いに混じる籠もった匂いはキノコだ。売れ残ったサツマイモが後ろでごろごろと鳴っている。滑り込んできた匂いはあっという間に体内に充満して、母の姿を映し出した。彼女が逝ったあの秋が両手を広げて僕を迎える。
寝たきりの母だった。布団と一体化して薄い母だった。さらに薄い唇から儚い恨みを垂れ流しては、日に幾度も紫色の顔を歪ませ咳き込んだ。その体は薄い

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缶蹴り #月刊撚り糸

缶蹴り #月刊撚り糸

「え」
野木祐也は即座に振り返った。蹴り上げられたそれは、二、三度石ころだらけの地面を力なく打って、青空に甲高く鳴いた。地面の歪な円の中心で確かに先程まで祐也が右足で踏んでいたコーヒーの空き缶が、忽然とその姿を消している。
「くっふふっ、ゆうやってば全然気づいてないんだもん」
祐也は目の前に視線を戻した。鶴田真美の長い睫毛が、白い瞼に押し潰されている。
「ふっ、おっかしい」
瞼の際にうっすらと滲ん

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聖夜、祈りて #2021クリスマスアドベントカレンダーをつくろう

私が黒猫だった頃、飼い主は四人家族だった。父親と母親と息子が二人。
母親は毎晩、騒ぐ子らをなだめすかしながら絵本を読み聞かせていた。私も布団の上で丸くなって耳をすませた。
中でも、よく読まれていた絵本が『100万回生きたねこ』だった。あまりに何度も聞いたので一言一句覚えてしまった。
その猫は死んでもまた生まれ、別の一生を繰り返す。100万回もだ。つまり『死ねない』猫なのだった。彼にとって命はあまり

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青色のおままごと #月刊撚り糸

青色のおままごと #月刊撚り糸

そろそろだと思いました。
そろそろいい頃合いだと。
木曜日の午前十時きっかり、私はあなたのクローゼットを開けました。あなたの匂いがしました。昨日の夜のあなた、そのままでした。
左隅に置かれた三段プラケース、その一番下の引き出しをゆっくりと味わうようにスライドさせていくと、あなたの匂いは一段と濃くなっていきます。

一昨日はありませんでした。昨日もありませんでした。しかし遂に今日、見つけました。プラ

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オレンジ色の光 #月刊撚り糸

押し殺したような笑い声。悪戯にこじ開けられた穴々に浮かぶ黒目。3歳や6歳や8歳がごろつくこの家で、薄っぺらい障子がどれだけの抑止力を持つというのだろう。

「くそっ」

腹底からの衝動に突き動かされるように椅子から立ち上がり、その辺に落ちていたパーカーをひっ掴む。綻びから山吹色のスポンジが飛び出た椅子が、ギッコ、と調子の狂ったような声を上げた。体中にまとわりつく視線を蹴散らすように乱暴に歩く。チビ

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雨糸 #月刊撚り糸

雨糸 #月刊撚り糸

10月だというのに、毎日暑い。うだるような暑さを何ヶ月も引きずり続け、木々もあぜ道もどろどろに溶けて無くなりそうだ。
汗が滑り落ちるうなじに、切り揃えた黒髪が貼り付いている。
去年の今頃は、もう涼しかったのに。

私は16になったあの日を思い出した。日曜日だった。糸のような雨と雨の間を、ひんやりとした風が通り抜けていく。藍色に冷水をたっぷりと注ぎ込んだような曖昧な色の空だった。

次の日の3時間目

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庭の底、満月

庭の底、満月

 庭の土はぴくりとも動かずに、しんと横たわっている。いつの間に頭上の闇から落ちてきた小雨が染み込み黒ずんだ土は、一層無言になっている。
 ビール瓶をガーデンテーブルに置く。タイルの僅かな凹凸に、瓶底が浮ついた声を上げる。ラベルのピンクの象が、歩き出す。
 幸せの象徴らしいよ、と笑った君は21だったか。酒などろくに知らない若い二人、ラベルを買っているようなもんだった。ジンクスを飲んでいるようなもんだ

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闇の奥の曇り空

闇の奥の曇り空

 ずぶ濡れの体でぴしぴし言いながら発火する妙な生き物、それが俺だ。湯気だか煙だか分からないものを撒き散らしている。それは目に見えないほど細かい粒子となって空気中を漂い、誰かの足にまとわりつく。まるで妖艶な猫の尾のように。揺らめきながら這い上がっていく。撫で回すように、絡みついていく。そして密やかに強かに、その体内へと入り込んでいく。あぁ気分がいい。ああ最高。
 立ち込める高揚のなかで、降ろした瞼に

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畳縁 #冒頭3行選手権の続き

畳縁 #冒頭3行選手権の続き

 へばり付いた睫毛と目尻の隙間から延びる一本線が、朝日に照らされている。涙というのは軽やかに零れたりせず、ただただ染み出していくものだと知った。
 奥深くまで体液に冒された畳縁は、あたしをこんなにも満たしてゆくーー。

 付き合った男(ひと)は五人だ。忘れられない男は一人。二番目の男だった。そのあと三人付き合ったがどれも駄目だった。いや、厳密には最後の男とはまだ完全に切れていない。一応は彼の彼女だ

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名前を呼んだら

名前を呼んだら

「ねぇ見て見て!ヤバイからぁ!」

 いきなり顔の前に出されたスマホの画面は否応なくこの目に飛び込んできた。
 その瞬間、心臓が停まったかと思った。いや、2秒くらいは本当に停まっていたかもしれない。 

「おらおらー!かっこいっしょー!運命感じる運命運命!」
見るとスマホは既に玲奈のおでこにひっ付けられている。いとも簡単に脳裏に再現されていくあの画面。
 バスケのユニフォーム、肩の筋肉、口元のホク

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ミズキ #書き手のための変奏曲

ミズキ #書き手のための変奏曲

 小柄で華奢だが曲線的な女だった。黒髪は柔らかく肩に乗っていて、その黒の深みの奥から香り立つものがあった。伏し目がちでその瞼は薄く透き通るような白だった。

「おつかれーっす。売上げお願いしまーす」

 もう三十になる癖に、こんな頭の悪そうな喋り方しか出来ないなんて我ながら情けない。将来の夢は社長になることです!と発表していた小学生の俺が見たら思い切り失望するだろう。何が社長だ、パチンコ屋でアルバ

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蛍売り

蛍売り

「いい色してるねぇ、これまた」
くぅ、とのけ反ったその人の頬骨を、お天道様が照らしている。
僕は、ふ、と笑った。

「これとこれとこれな。来週来るか?トマトがいいな。でっけぇやつな」
手渡されたざるに茄子、人参、胡瓜を入れながら、あ、はい来ます、と答える。
来週ならトマトもいい頃合いだ。

夏の日差しか、おっさんの掌か、小さく頭を下げながら掴んだ小銭はぬくかった。
「今年は猛暑だな。おめぇもそんな

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とろけるほくろ #note墓場

とろけるほくろ #note墓場

『男』と呼ぶには近すぎる、片割れのような、同志のような、ぶつかり合ったり溶け合ったりした人が消えた。
「もうすぐ誕生日だね。」
そんな最後らしくない最後の言葉を残して、彼は突然消えた。

 春が来て、同じ大学へ進学した。私達はそれぞれアパートを借りたが、ひと月もしない内に彼は私のアパートで暮らすようになった。ぴったりと寄り添い合い、一緒に寝て起きて食べていた。毎日、毎晩。
買い足したコーヒーカップ

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