十牛図ほんといいわー
実家は浄土真宗本願寺派である。
親鸞聖人のイノベーティブさを尊敬している。
だけど真言宗も好きで高野山にも行くし、マンダラも唱えるし、曹洞宗のお坊さんたちと仲が良くて座禅もさせてもらうし、禅の教えもとても好きだ。
さて、これは十牛図を僕が簡単に書いたものである。
ちょうど、4番目〜7番目である。
ぜんぜん関係のないところで、ふと人間が思い至る気持ちの過程について考えていたとき、こんな風に思ったのでFacebookにも書いたのだが。
純粋な欲求で生き始める、他者の存在に気づく、他者の能力や環境が羨ましくなる、思い通りにならなくて苦しむ、努力して思い通りになり始めて嬉しくなる、結果を出す自分に執着して苦しむ、何もしなくても満たされる境地に到る、すべてのはからいがいつも丁度良かったことに気づく、意図的な行為をすることに執着しなくなる、兆しに従いながらただ生きる。
すべて十牛図にぴったり一致というわけでもないけど、自分が辿ってきたような気がする心の動きを考えると、こんな感じだったような気がするなあと思って書いてみると、なんとなく共通しているようなつながりを感じる。
全部はもう今日は時間もないし書かないのだけど、7番目は、探し求めていた牛(=私という存在の悟り)を乗りこなし、家のほとりでぼーっとしていて、悟りについて思い悩まず、気にしないという境地のことだ。
私という存在がなんなのか、ということについて理解が到ると、途端に世界はいろいろと楽しくて味わい深いものであったことに気づき、そして何よりも日常で身の回りにあるいろいろなものがいかに面白いものであったのか、美しいものであったのかを心から楽しむ、そういう境地であるようだ。
まあそんなところに到っているかどうか知らんが、ご機嫌に生きていることだけは間違いない。そしてそのうちこれに飽きたら、隠遁でもするのがいいかなと思っていたりもしていたので、ふむふむと思うところがあった。
もうこれがずいぶん前に書かれているんだからね。仏教ったら。ねえ。
ほんとつくづくパイセンたちはすげーなと思う限り。
尊敬の念とともに、ひたすら合掌である。
っていうか、こういう情報がネットでばんばん拾える現世のすばらしさよ。いよいよ仏教が大切な時期がきたと思う。
エア寺、そろそろやな。
あなたのこころに。
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![よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9273304/profile_4a7983a0438d0b342dc5fe5a87aec1bd.png?width=600&crop=1:1,smart)