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随筆

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十一月、靡く夜燈

十一月、靡く夜燈

 鼻の頭のにきび跡を擦っていると、Eが僕を見た。仄暗い居酒屋のテーブルの隣で、彼女は僕の方を向いて笑っていた。
 なんとなく目を逸らして、空になったジョッキを口に当て、そこで初めて中身がないことに気がついたようにテーブルに置く。少し経ってからまた彼女を見る。彼女はもう僕を見ていなかった。
 煙草で煙たくなった個室で、六人のうち三人は既にうつらうつらしていた。向かいの席のTのライン通知が鳴り、液晶に

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雪予報

雪予報

「今日雪降るんだって」
 朝起きると友人からLINEが来ていた。久しく会っていなかった友人だった。雪の予報の文の前に、東京に来ているが、今日会えないかという内容のメッセージが入っていた。
 天気予報のアプリを開き、今日の気温を確認する。最高気温7℃、最低気温1℃。ここ最近で一番寒い。2月に入り、最近は気温が安定していた。すっかり冬にも慣れ、常に肌寒いが背中を丸めるほどではない。寝巻を脱ぎ捨て、何を

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くゆらば

くゆらば

紫煙が立っていた。これはいつの記憶だろう。

居酒屋にいた。私がいたのかどうかはわからない。少なくとも自分の身体はそこには感じない。兎にも角にもその眼は居酒屋にあった。

遠くで店員の声が鳴っている。内容は聞き取れず、音はべっとりとした空気に溶けていく。
酔っているのだろうか。焦点が合わない。斜め上の視線の先にある垂木がぼやけた視界のなかに揺れていた。白けた垂木を伝い天井を見上げると電球の光で真っ

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本を読むということ

本を読むということ

私は本を多くは読みません。
いえ、こう言うと語弊があります。本には度々触れはします。
でも一冊まるまる読み切ることは多くありません。小説くらいかもしれない。専門書を読み切ることは稀です。
まず最初から読み始めるということ自体あまりありません。まず目次を開き(あるいは序文、あとがきを読んで)、気になる章の気になる箇所をあたります。それが当たりであればそのまま読み、はずれであれば別の章に飛ぶかその本を

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塔を撮らなくなった

塔を撮らなくなった

 最近塔を撮らなくなった。空を撮らなくなった。
 撮っていることを意識し始めてから約2年間撮り続けた。
 家や公園から見える電波塔を撮り、出先で見つけた送電塔を撮った。
 ずっと捉われていたモチーフがいつの間にか手からこぼれ落ちていた。

 そもそも1つのモチーフを何度も何度も撮り続けたのは、昔大学にいらっしゃったある写真家の一言がきっかけだった。
 当時私は今ほど熱心に写真を撮っていたわけではな

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音になりたい

音になりたい

ある夜のことです。
床に就く前にふと思い立ってイヤホンをしてある音楽を目を閉じて聴きました。
ある旋律が感覚を揺らして、ある思いが芽生えました。

音になりたい。
彼らの鳴らす音になって宙を漂い、やがて減衰してなくなる。それはなんて素敵なことなんだろう、と。

音とは空気の振動です。声帯や弦、その他のものが振動し、それが空気に伝わったものです。人やものの手を離れたただの動作の痕跡のようなものが音と

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