白とオレンジは平和の象徴。|エッセー
よくある音ではあるのだけれども。
コツンとまっしろの卵をコンロの角にぶつけて、パカっと割れて、ジュー、とひろがる透明とオレンジ色。焼き音がひびくだけの時間。白とオレンジって、平和の象徴だ、とそう思った。こんな朝に目玉焼きを焼くのってたぶん、けっこう幸せ。慌ただしい朝には気付けない、不思議な時間が流れていた。それは白くなる。オレンジ色は少しぼやける。自由なフォルム、絶対的なリキッド感、焼くと固まる特徴といい、なんだかちょっとおもしろい。栄養としてのエネルギーも蓄えていて、昔から食べられていたんだろうな。公園で散歩中のハトみたいにさ、一定の平和を感じる。ただそれだけを思い、フライパンに合わないサイズの蓋をする。
今の私たちにとっての平和は「これ」なのではないかと、日常ではあまり感じない思いが込み上げる。あのときの目玉焼きはここら界隈で一番うつくしく見えていただろうと思う。そしてそれを食べながら思い出した、むかしの写真。
写真は、家のリビングで撮られたもの。私はきっと小学校低学年くらい。低いテーブルで手に箸をもち、顔だけこちらを向いていた。奥にはテレビが置いてある。幼い自分の前には、ひとつのお皿。その深めのお皿の中には、油でつやつやとしたソーセージと、真っ赤なプチトマトひとつと、目玉焼き。野菜も敷かずにお皿にただ乗せられただけの3つのおかずがあった。それは母親がつくったものだ。忙しい母親はそうやって私を文字通り、育てたのだと、何の気なしに、ぼーっと箸を持つ幼い自分をみて思った。今の私は野菜も食べるし、自分で目玉焼きも、ソーセージも焼くけれど、深めのお皿に3つのおかず。写真のそこには愛があった。人を生かそうとする、愛が。その目玉焼きは、母親が一体どんな顔をして、どんな想いで、どんな音を立てて焼いたの?私がいつか、目玉焼きをみて平和を感じることや、その時を思い出すことなんてきっと思わないよね。あのつるりとした白と鮮やかなオレンジは、私の記憶をつなぐ。目玉焼きは愛であり、そこに塩をふりたくなるのは私である。じゃあこれから、それを食べるのは誰だろう、なんて考えた。(私かもしれないし、ちがうかもしれない)
エッセー:白とオレンジは平和の象徴。
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