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伝わらないことが当たり前

ポートランドの寿司店でウェイターのバイトをしていた頃、厨房のチーフシェフは日本人ですがスタッフはみなメキシコ人でした。メキシコ人といっても日本食店を渡り歩いている凄腕の人もいれば、日本食が何かわかってない人までレベルは様々。(だいたいはメキシコ人ワーカー同士の繋がりでお店にやってくることが多いんですよね。)

僕がいた店では蕎麦やうどんも提供していたのですが、ある日アメリカ人の客から「そばつゆの味がしない」とクレームを受けました。商品を引き取ってバックヤードで確認すると、そこに入っていたのは蕎麦つゆではなく麦茶。水分補給用に厨房においてあった麦茶とそばつゆの見分けがつかず、色が似ているという理由だけで調理担当したメキシコ人の方が入れちゃったんですよね。もちろん確認せずに提供した僕を含め、店全体の問題ではあるのですが、その時に僕は日本にいた頃なぜか母親が空いたコーラのペットボトルに麺つゆ入れてて、それを夜中に間違って飲んだ日のことを思い出しました。「言わなくてもわかるよね」でわからないことは世の中にはたくさんあるわけです。

トライリンガルでアートとサイエンスの垣根を行き来するドミニク・チェンさんのこの著書では、「話せばわかる」じゃなく「話しても通じない」という前提に立つことでみえてくる豊かなコミュニケーションについて、彼の生い立ちも含めて優しい口調で語られています。(実際にお会いして講義を受けたことありますが、ほぼそのままの穏やかなのに惹きつけられる艶のある語り口です。)

ちょうど講義を受けたすぐあとにミラノにいったので、トリエンナーレ美術館に展示されていた彼の「ヌカボット」をみにいきました。ぬか床ともしコミュニケーションが出来たらもっと美味しいぬか漬けが食べられて生活が豊かになるかもしれない、という夢からはじまったテクノロジー×アート×食の作品。自然現象を「妖怪」というかたちでキャラ化する日本文化と、西洋のテクノロジーが出会った瞬間をみた気がしました。

英語については、たしかに7年近くいて日常的にしゃべれても、感情と言語表現が一致しない妙な違和感がどこかで拭えませんでした。日本に戻ってきてから、時々客観的な目線で考えるとたとえ母国語の日本語でも同じだよな、と思うことはしばしば。そんな意味でも心に響いた一冊でした。

なお、この本は国語問題集の教科書にも採用されたそうです。


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未来をつくる言葉: わかりあえなさをつなぐために(2020年、新潮社、ドミニク・チェン)


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