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幸せを得るために紛争地に行きたい

マズローの5段階欲求を知っていますか。
人の欲求は5段階に分かれていて、下の段階欲求を満たせれば上の段階欲求へ進むというマズローの説だ。

1つ目は生理的欲求。ご飯を食べたい、トイレに行きたいなど
2つ目は安全欲求。安心して寝れる場所が欲しい、治安のいい地域に住みたいなど
3つ目は社会的欲求。社会的な繋がりを求める、友達が欲しいなど
4つ目は承認欲求。褒められたい、認められたいなど
5つ目は自己実現欲求。勉強したい、何かをなしとげたいなど


人々の欲求は際限なく、増加していく。

普通なら、幸せを感じるために様々な欲求を満たして上の段階へと進むと思うのだが、
私は幸せを得るために下の段階へと進もうとした。
幸せのハードルを下げれば、簡単に幸せになれると思ったから。

紛争地に行きたい理由は、ボランティアがしたいとか人を助けたいとか、本当はそんなもんじゃない。

私が幸せを感じるため。
生きてるだけで幸せだと思いたいから。


紛争地で、いつ死ぬか分からない状況、明日のご飯が手に入るか分からない状況になれば、生きたいと心から思えるのではないかと。

傲慢で、生ぬるい、失礼な理由だ。

でも、今の生活はお世辞にも「生きたい」と思えない。
だから自殺未遂で5階から飛び降りたりもした。

元々死にたいと思っていて、死も怖くないなら、紛争地に行って死んでも何も問題ない。
だから「生きたい」と思えることにかけて、行きたいと思ったのだ。

ついでにボランティアなんかして、人を助けることが出来れば一石二鳥。
いや、承認欲求も満たせるから一石三鳥だなと。

そう高校生の頃に思ってから、今まで国際協力を目指して勉強していた。
別に国際協力じゃなくてもよかった。
紛争地にさえ行ければ、人を殺す立場でも良かった。日本が戦争になってもいい。

ついでに、戦争が起きると、当事者の国では自殺率が低下することがデータとして分かっている。
理由は色々あるので省略するが、同じ国、同じ敵を前にして社会的な繋がりが強まるからというのが大きいだろう。

人間、生きるのには社会的な繋がりが必要不可欠だ。私が飛び降りをしたときも、社会的な繋がりが希薄になっており、戦争でもなんでもいいから社会と繋がりたいと思ったものだ。

今、飛び降りしたせいで入院中なのだが、私が望む環境に近い場所にいるのではないかと思う。

最近まで寝たきりで、寝返りすら打てなかったが、少し動けるようになり、自分でトイレに行けるようになったとき、とても幸せを感じた。
不自由で痛みも伴う、苦しいが、ある意味幸せなのかもなと。


高校2年生 TABIPPO2020大阪支部🐣 発展途上国や貧困、ボランティアについて興味があります。いろんな国に行きたい 🇯🇵→🇰🇭🇰🇪