エッセイ | 写真は撮る者の魂も奪う
「写真は撮られると魂を奪われる」といった迷信を聞いたのは小学生の頃だったはずだ。社会の授業中、先生が幕末に活躍した偉人の写真を見た時に言ったのだ。
当時の私はその言葉の意味が分かっておらず、昔の日本人はシャッターを切る瞬間に魂を魔法のように抜き取られ、写真の中に閉じ込められてしまうと考えたのだと思っていた。
実際に魂が抜かれるということはなく、カメラの技術が未発達であったため、撮影できるまでに時間がかかったことが原因のようだ。同じ姿勢、同じ表情で待つ必要があるため、撮り終えた頃には疲れ切ってしまう。撮影から帰って来た人の表情を見て「魂を抜かれたようだ」と表現したことが由来らしい。ただ、これも諸説あるため確実かは分からない。
「写真は撮る者の魂も奪う」という言葉もある。これはアメリカの写真家であるユージン・スミスの言葉だ。実際に言ったのかは分からないが、映画『MINAMATA』で何度も登場する言葉になる。ユージン役のジョニー・デップが言うのだ。
『MINAMATA』は水俣病を題材とした映画で、主人公はアメリカの写真家ユージン・スミスと、彼に水俣の写真を撮るよう依頼したアイリーンだ。
私はこの映画を観た時に主演が誰かを気にしておらず、エンドロールが流れたタイミングで初めてジョニー・デップがユージンを演じていたのだと知った。
エンドロールの1番上に『Johnny Depp』と出て来た時に、「ウソでしょ? 誰の役で出演していたの?」と思ってしまうほどに演じていることを気付かせなかった。
「写真は撮る者の魂も奪う」についてだが、私はこのセリフを聞いた時になんだか不思議な感覚に陥った。
「写真は撮られると魂を奪われる」は子どもの頃から聞いていた言葉であるためなんとなく理解できたのだが、「写真は撮る者の魂も奪う」とはどういうことなのだろう。
『MINAMATA』を観ている時にこの言葉が登場し、困惑した人も少なくないと思う。しかし、この映画を観終わる時には自分なりの解釈ができるようになっていただろう。私はなんとなくだが、この言葉の意味を理解できたと思っている。
『MINAMATA』ではユージンが写真を撮ることで苦しんでいる光景が何度も表現されている。そして、ユージンが写真の撮り方を指導する時に「写真は撮る者の魂も奪う」と何度も言うのだ。
劇中では水俣に暮らす人々とチッソ株式会社のやり取りが多く映し出される。みんなが自分たちを守るため必死に抗議を繰り返すのだ。その写真を撮る際にも「写真は撮る者の魂も奪う」という言葉が出てくる。
私はこの言葉の意味を、「感情に任せて写真を撮っても、そこに自分の真意は映し出されない」という内容ではないかと考えた。撮りたいもの、伝えたいことがあるならば、感情的にならず冷静に考えて撮らなければいけない。勢い任せの写真は、撮った者の魂を伝えられないということだと思った。
本当の意味は分からないし、実際には正解があるのかもしれない。ただ、2時間弱の映画を観ることで、写真とは何かを考えさせられる映画だった。
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