エッセイ | マキネッタのサイズが変わるということ
朝日新聞の「天声人語」に掲載されたコラムにステキな一文があった。
そのコラムは『コーヒーと人生』というタイトルで、イタリアで暮らす友人からの手紙に「コンロに新品の小さなマキネッタを置いたときに涙が出た」という一文が冒頭に登場する。
この記事については朝日新聞を購読している母から存在を聞いたのだが、この一文の力はすさまじい。
私はこの記事をまだ読めていないが、この一文は朝日新聞デジタルにてギリギリ無料で読めた。ここから先は実家に戻ってから読みたいと思っている。
マキネッタとは直火式のエスプレッソメーカーである。「エスプレッソメーカー」と言われているが実際にエスプレッソは抽出ができず、抽出されるものはモカになるのだが、そんなこと今はどうでもいい。
イタリアではどの家庭にも常備されており、毎日マキネッタでいれたコーヒーを家族で飲むのが日常なのだとか。
マキネッタは「大は小を兼ねる」という製品ではないため、それぞれの状況に合ったサイズを使用しなくてはならない。カップル2人で暮らしているなら2人用。子どもが2人いるなら4人用だし、両親と一緒に暮らしていれば6人用が必要となる。
このコラムに登場する友人は、両親との別れや子どもの独立により慌ただしく過ぎゆく日常の中で、ふとマキネッタを見た時に今までの生活とは変わっていることに気付く。
今までなら4人用や6人用の頼りがいのある大きなマキネッタであったのに、2人用の小さなマキネッタに変わっている。今まで使用してきたものと比べれば心細くなるほど小さなサイズだ。
日常の一部となっているツールにより、寂しさや悲しみに触れることができたのだ。
しかし、これは友人本人にだけ言えることではない。友人の子どももまた同じ感情になっているのだろうと思う。両親と暮らしていた時には大きかったマキネッタが、実家から独立したことにより小さくなるのだから。
ただ、子どもの場合は寂しさと喜びが同居しているだろう。
私もマキネッタを持っている。それは2人用の製品で、これを使用する時はいつも2杯のコーヒーを飲んでいる。
今後、私が持っているマキネッタも大きくなることがあるのかもしれない。4人用になることや、日本ではあまり考えにくいが6人用になることも。
大きくなるごとに喜びに触れ、小さくなるたびに寂しさを覚える。いれたコーヒーは苦くて酸っぱく、時に甘い。
こちらもどうぞ