
何のためにがんばってるのか
テレビや新聞の無い生活の私には、
インターネットでの情報が基本です。
180度違う情報なんか当たり前で、
読んだり聞いたり見たりしながら、
自分なりの理解を深めている訳です。
そこから、本を手に取って調べたり、確認したりする感じ。
知らなかったいろいろなことを知るチャンスが広がっていて、
良いことだなぁと思うのですよ。
最近思うことと言えば、
「世の中みんな、何のためにがんばってきたのかなぁ」
ですね。
世界中のさまざまな流れを眺めていて「そう」思う訳です。
皆さんも思いませんか?
残念過ぎますよね。
お金?女性?
結局そこ!?
「自分の思い通りにしたいという本能」を満たすために
日夜
「がんばっている」のだろうか?
なんとも。
要するに
「人の幸せとは何なのか?」
に尽きるのかも。
何のためにがんばるのかと問われるなら、
幸せの為と答えるはず。
それが、もし、
「自分のしたいことをしたいときにしたいようにしたいだけしたい」
という感じなら、
二人の世界だって大変でしょう。
そりゃあ、世界から戦争や紛争だって無くならないわ。
幼少の頃から、
「人の幸せとは」ということを
ちゃんと親御さんが身を持って導くことが
やっぱり大切なんじゃないかなぁと思うのですよ。
子は親の鑑。世は人々の鑑。
まずは、気付いた人から一歩を歩みたいですね。
幸せな生き方を。
私が思う幸せな生き方。
それは、
自分が心掛けて幸福感があり、
関わる全ての人にも幸福感がある生き方じゃないかなぁ、と。
いつも、その「幸せという人生の目的」を、
見失わずにバランスを心掛けて歩むこと。
目の前の「今」に、
誠を込め心行き届かせていく。
その深さだけ、
「在りを在りとして」と感じるおかげがある。
すると、
「自分はどう在れば良いか」
と、自然に思考が移り、
そして、
「こう関わろう」となって、言動が始まる感じ。
その誠の積み重ね。
「誠を込め心を行き届かせて」生きると、
心が抵抗することなく目の前の「今」と関わり始めるものです。
すると、創意工夫という人間力が発揮され、
自らの意志で関わることができるおかげがあります。
自らの意志で行うことは、
一言で言えば
「楽しい」
という感覚が授かっていて、
楽しいから次の意欲が授かり、
より良い関りへの英知まで授かるものです。
人間って「そうできている」のですよ。
自分自身が自己実現の幸福感で生きられるし、
そんな誠実な生き方に関わる人たちも
幸福感のお裾分けがあるものです。
人の幸せって、そういうこと。
「誠を込め心を行き届かせる心」は、
謙虚な祈り心ですね。
その心を形にしたものが、
「祈ること」です。
祈りつつ誠実に!
人生は芸術である、楽しかるべきである。
続きは教会で!