算数は手とオノマトペを使って力を育む
「小さな子供は手に脳がある」
教師になってしばらくしてから、この考え方を知った。
「なるほど!」と思った。
思い当たる子供の表れが数多くあったからだ。
以来、この言葉は私の金言となり、学年段階に関係なく、教育実践の拠り所の一つとなった。
ある教科書会社の1年生の算数の教科書を開いてみた。
1年生にとって最初の足し算の学習では、ちゃんとブロックを手で動かすように「絵」が指示している。
いきなり、「3と2をあわせると5になります」などの言葉で足し算の意味を教えていないし、「式」を書かせているわけでもない。
まず、「手」による操作ありきになっている。
引き算の最初の学習も同様であった。
そう!これなのだ。
これが「肝」なのだと思った。
自分が大切にしてきたことそのものだ。
1年生の足し算・引き算の指導で、文章問題から立式させることや正しく早く答えを出させることに力を入れている指導を見掛けることがある。
そうした指導では、ブロック操作は、答えを出すための手段になっている。
まだ念頭で答えを出すことができない段階の子供への支援になってしまっている。
私は、それは違うと考えてきた。
その前に、「手」によるブロック操作を通して、「足す」「引く」という演算の意味を理解させることが必要なのだ。
さらに重要なこととして、その「手」によるブロック操作の際に、オノマトペなどを使わせた。
足し算なら、「がっしゃん!」とか、「いっしょに」。
引き算なら、「ぽい!」「ぽいぽい」「どうぞ」「さよなら」などであった。
子供が操作をする時に使った言葉が、その後の学級の「学習用語」になっていった。
過日、今井むつみ氏と秋田喜美氏による「言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか」(中公新書 2023年)を読み、自分の指導方法は、「記号接地問題」に関わっていたということが分かった。
子供が言葉の<腑に落ちた理解>をするためには、身体に根差した(接地した)理解をすることが必要であり、そしてそのときに、オノマトペが橋渡しの役を果たしていることが書かれていた。
どうやら自分が大切にしてきたことは、理に適っていたようだ。
「ヒント帳95」で、ともなって変わる二つの量を身の回りから見付けさせる実践を紹介したが、これも同様の考え方によるものであった。
二量の関係概念をいかにしたら身体化した理解に導けるのか工夫したものだった。
この本から私が読み取ったことを用いて、私の大切にしてきたことを説明すると、次のようになるだろう。
言葉は極めて抽象的だ。数式はさらにそうだ。
子供が実感を伴って理解するには、「身体」を通す必要がある。
だから、積極的に、手を使わせることが有効だ。
特に「最初」の学習段階では。
そのときに、オノマトペ(的な言葉)を組み合わせることで、「足す」「引く」などの概念理解が進みやすくなる。
さらにそれによって、やがて手を使わなくても、「足す」「引く」ことの意味を文章問題や現実の場面から読み取れるようになる。
それにしても、上掲書は知的興奮に包まれる良書であった。
単なる<幼児語>的な地位しか与えられない時もあるオノマトペについて明らかにしていくことを通して、ヒトの言語の習得と起源・進化の過程にまで論考を進め、巨大な仮説を提示するに至っている。
アブダクション推論であることも手伝って、一級の推理小説を読んでいるかのような楽しさも味わえた。
オススメである!