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カントクのつぶやき

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伊勢真一カントクのつぶやきです。月1で更新しています。 「カントクのつぶやき」がはじまったのは1999年。 ツイッターがはじまるずっと前から、カントクはつぶやいていました。 月に…
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記事一覧

「柔和で鈍い光」

2024年 11月  友人の哲学者、鷲田清一さんが、新聞に『大好き〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜』をしっかり受け止める感想を書いてくれた。  映画『大好き』は、奈緒ちゃんの持つ《柔和で鈍い光》に、奈緒ちゃんの家族や周りの一人ひとりが包まれていくプロセスの記憶をトリトメモナク語りかける物語と言えるかもしれない。   《柔和で鈍い光》は寄り合い、耳を澄ますことで初めて感じとれる「光」なのだと思う…。だから50年の時間が必要だったんだなあ、と今更のように自作を振り返る。  

「デクノボウ」

2024年 10月 「心が折れてしまう…」 と、うめくように呟く声をしぼり出す初老の女性は、ダンナさんが病気だ、とも言っていた。 今年の始めに地震の被害にあい、避難所での暮らしを余儀なくされ、この度の水害でその避難所が又、暮らすことが叶わない状況になってしまった能登の、ニュース報道のヒトコマだ。 「頑張らないわけにはいかない…」 と、女性は、もう一言、呟いた。 私は、私たちは、なんにも出来ずに傍観するデクノボウの自分を持てあましながら、黙ってしまう。 映画『大好き 〜奈

「100年の記憶」

2024年 9月  本当に『大好き』は、いつもに増して感想が素晴らしい。アンケートに書かれた感想だけでなく、手紙やメールにもとても心動かされるものがあります。私の映画をよく観てくれている30代の旧知の女性から送られてきた手紙にも感動したので紹介します。  重い病気をしたので、今、子どもを産むと障がいのある子ができる可能性がある、と医師に言われ悩んでいたという彼女が、たまたま『大好き』を観て心が決まった、という内容でした。  「障がいを持ちながら、元気に50歳を迎えた奈緒

「創ってよかった」

2024年 8月  奈緒ちゃん、51歳の誕生日の頃から始まった『大好き〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜』4週間の封切り上映が、ようやく終わった。  草臥れた。  お客さんの入りに一喜一憂する日々だったけど、この暑い中、足を運んでくれる方々を思うと、ありがたいような、申し訳ないような毎日だった。  たかが映画、されど映画…。今回もまた、お客さんの感想に励まされた。ああ、創って良かったなあ、と思わせてくれました。  トークで感想を読み上げて、「映画より、感想の方がいいんじゃ

「本当のこと」

2024年 7月  映画『大好き』は、「育み、育まれる家族のしあわせ」という映画『奈緒ちゃん』(1995年)完成時に思い描いた、こうなってほしい…という私たちスタッフの願望のようなメッセージが、50年の歳月の中で実現して行く物語、と言ってもいいかも知れない。  障がいのある「奈緒ちゃん」を育てることで「奈緒ちゃん」に逆に育てられていく、という家族の物語…。もう少しいえば「家族」を「地域」とか「社会」と言い換えられたらいいのに、という願望だ。    映画の中で「奈緒ちゃん」の

「終活?」

2024年6月  50年がかりで、やっと出来た新作『大好き 〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜』の完成上映会、プレス・関係者試写会に取り組んでいるところです。  産み落とした我が子を、可愛い子だね、と誉めてくれる人もいれば、気に入らない顔をして引き上げていく人もいる…いつものことだけど。  今回はいつもに増して迷いに迷いながら、やっと頂上にたどり着いた感があるんだ。  50年、夢中で生きてきた奈緒ちゃんとお母さんの日々を、夢中で見守ってきた記録だから、そう冷静にまとめられる

「50年の記憶」

2024年 5月  50年がかりの新作『大好き 〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜』が、やっと出来上がった。  それも、完成上映会の二日前に最終の録音作業を終えてゼーゼー息を弾ませながらゴールに駆け込んだような塩梅だ。  よく「伊勢さんは粘り強く時間をかけてドキュメンタリー映画を創りますねえ…」と感心されるけど、実は何事もスローモーで優柔不断な性格が成せる技で、ただただ仕事が遅いだけなんだ…。本当は、完成させたくない、という思いが強いのかもしれない。  本格的にスタッフを組

「いのち」の想い

2024年 4月  桜が咲いて、散って…  毎年のことながら、あっという間だなあ、と地面に落ちた花びらを見る。  散り際がいい、という思い入れで、軍国主義の時代に桜のイメージは利用されたみたいだ…「死んで来い!」ということだ。  桜は、花を咲かせて散っただけ、ただ懸命に「いのち」を生きただけで、その在りようを見て人は、美しいと素直に思っただけのことなのに。  小賢しい奴が、「政治」に都合よく利用したんだな。  昔も今も「政治」は、利用することばかり考えているんだ…。生きと

「私は傍に居る」

2023年 11月  長編映画の処女作『奈緒ちゃん』の上映が始まった頃、上映後のトークが大の苦手で、「話をしたり、文章を書いたりするのが得意でないから映画を創っているんで、話しは下手ですが勘弁してください…」と前置きの言い訳をして話をしていたっけ。  自主製作・自主上映の映画創りをやり続ける中で必要にかられて話をしたり、文章を書くようになり、この頃になってようやく苦手意識を乗り越えることができたような気がする…。場慣れして図々しくなっただけかもしれないけど。  人前で話を

「記憶」映画作家

2024年 3月 撮影が始まって、今年で42年…。 まさか、こんなに長く撮り続けることになるとは、思ってもいなかった。 障がいのある姉の長女、姪っ子の奈緒ちゃんと家族の普通の日々を、何日間か撮ってまとめようと、ちょっとした思いつきから始まった企画…。「映画」と呼べるほど立派なもんじゃない、ささやかなプライベートムービーのつもりで。 主人公の奈緒ちゃんは「長くは生きられない…」と医者に言われるほど、重いてんかんと知的障がいを併せ持っていたから、せめて、元気なうちにその姿を記

「逢いたいな…」

2024年 2月  昨年6月に「がん」の手術をしてから、毎月のように病院通いをして、経過観察を受けてきました。主に転移があるかどうかをチェックするためです。今のところ転移は無くホッとして新年を迎えた矢先、金沢巡業の雪解け道で、スッテンコロリン、右肘を骨折してしまった。  ほぼ一ヶ月、ギプス生活を余儀なくされ、新作『大好き〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜』編集のラストスパートにブレーキがかかってしまった。映画の神様が与えている試練、と受け止めてはいるけれど…。  自分で始め

「映画というベッド」

2024年 1月  能登半島の震災は、まだ被害の全貌がワカラズ、ただ心配に心配を重ねるばかり…。そんな思いを抱えながら、正月7日、新年最初の上映会が、横浜市の泉公会堂であった。映画『奈緒ちゃん』シリーズの撮影の舞台、私にとっては言わばホームグラウンドだ。三十年近く前に「奈緒ちゃん」が完成した時、最初の完成上映会をやった場所で、次回作『大好き〜奈緒ちゃんとお母さんの50年〜』も、5月11日(土)にここでお披露目をする予定だ。  新年早々、満員のお客さんになれば、と願っての上

「出逢いと別れ」

2023年 12月  今年も懲りずに映画を観せることに取り組んだ一年だった…。「コロナ」以降、いせフィルムが自ら主催する自主上映が多くなった。自分たちが上映をやり続けることで、自主上映活動を焚き起こそうと考えてのことだ。 けれども、まだまだ客足は戻って来ていない。やればやるほど赤字が増えるばかり、という状況が続いている…。  行けるところまで行くのだ。  自主製作も自主上映もツベコベ考えずに、やるっきゃないのだ! 逆算して人生を考えることが出来るほど利口じゃないのだから。

「やさしさ」

2023年 10月 次回作『大好き~奈緒ちゃんとお母さんの50年~』の製作・上映支援カンパが、少しずつ増えています。額の多少にかかわらず、とてもありがたく、嬉しい。  カンパの額に応じて返礼として、パンフレットやDVDや、DVD-boxを差し上げることにしているのですが、「返礼の品は遠慮します」と言う方や「礼状も郵送料と手間が大変だろうから要りません」と言う方が結構います。名前を公表しないでほしい、と言う方もいる。  要は、見返りを求めているわけではない…ということでしょ