自分で決める。
まだまだ雨が降り続いて梅雨が明ける気配がありませんが、ちらほらと蝉の声がどこからか聞こえるようになってきましたね。
もうなんやかんや言うてたら本格的な夏が来るんでしょうね。
今のうちに夏を心地よく過ごせる準備をしていきたいですね。
こんにちは、色波です。
今日は、最近やたらと決断とか決めるとか決意とかいう言葉が頭に入ってくるので、それについて書いていこうかと思います。
どちらでも良いよという呪縛
何か選択肢がある時に「どちらでも良いよ」「どっちでも良いよ」っていうこと多いと思うんです。
特に日本人はほぼ無意識で言ってる事が多いと思うんですよね。
ぼく自身も「どっちでも良いよ」「どちらでも良いよ」って言うことが多いんです。
この言葉自体は柔軟性があってぼくは好きやし、良いと思うんですよ。
ただ、時と場合によって「こうでないとあかん!」「こう決めたんや!」っていう強い硬い意志も必要だと思うんですよね。
柔軟性がある方が良いという呪縛から解き放たれる時も必要なんです。
強い意志、硬い意志はそのまま信じる力にも通ずるものがあるので、突き進む上で必要なものだと思います。
こだわること(硬さ)となんでも良い(柔らかさ)。
自分の考え方、自分の価値観って人それぞれあると思います。
それらが違って当然。
むしろみんな違うから面白いと思えることも多いですよね。
みんな違ってみんな良い。
こんな言葉が少し前に流行りましたよね。
それぞれの価値観、それぞれの考え方、それぞれの捉え方があって良い。
そういう意味では『どっちでも良い』『どちらでも良い』『なんでも良い』というのはあると思います。
その上で、こだわるところはこだわる。
決めることは決める。
信じ抜くことは信じ抜く。
柔らかさと強さ、硬さは表裏一体で持ち合わせておくと良いですよね。
こだわりを持つことは悪いことなんかじゃなくて、こだわり(硬さ)となんでも良い(柔らかさ)を持ち合わせていく事が大切なことなんじゃないかなと思うんです。
決断と覚悟と責任と。
何かを決めるということは覚悟を決めて責任を持つということ。
自分自身の人生に責任を持つということは、必ず自分で選んで決めることが付き纏います。
自分で選んで覚悟を決めて自分で責任を持つ。
自分の人生を生きるということは、自分の人生に責任を持つということだと思います。
誰かに言われたからってその人に言われるがままに生きていたら上手くいかなくなった時にその人のせいにしてしまうんです。
その人の言うことを聞いたのは他の誰でもない自分なのに。
他人に振り回されて生きていると、どうしても不平不満が溜まります。
他人に言われたことでも、自分で選んで決めたんだったら、それは誰のせいでもなく自分の責任です。
自分が選んだ道やもんなと思えると、後悔もあまりしなくなります。
他人が選んだ道にそのまま乗っかっただけやと、後悔しまくり不平不満だだ漏れになります。
ぼくはある時から後悔はしたくないと思ったので、できる限り自分で選ぶようにしています。
それでよく失敗もするけれど、自分で選んだ道やと諦めもつくし改善点も見つけやすくなります。
まあ恐らく二度とない自分の人生を自分が後悔しないように生きたいですよね。
むすび
今日は決断、決めること、決意などの話を中心に書いてみました。
硬さと柔らかさを持ち合わせた竹のようなしなやかな人間になっていきたいものですね。
人生は選択の連続だという言葉もありますが、無意識的にか意識的にかに拘らず人は常に選択を繰り返しています。
どんな選択を選ぼうともそこに自分の意志が乗っていることが大切なんじゃないかなと思うんですよね。
〝生きるとは選択の連続だ
選ばなかった道は確実に存在し
選んだ道は人生として刻まれる〟 色波
今日も最後まで読んでいただきまして有難うございます。
少しでも色波の頭の中をだだ漏れにさせようと思って〝いろはの音〟と勝手に名付けて書き始めたnoteですが、いろんな方に読んでいただけて嬉しく思っています。
こんな感じでこれからも脳内だだ漏れでいきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします!
〝いろはの音〟執筆者の色波でした。
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