パンを食べるのが楽しくなったジャム作りにチェキを向ける。
ジャムを作ったら久々にパンを食べたいと思えた。
ある日、イチゴをいただいた。
イチゴと言うと春の果物と思う人も居るかもしれない。ぼくもそう思っていたけど、調べてみると本来は春、現代では冬から春先までがシーズンという認識らしい。
その背景には需要と供給のバランス、イチゴ栽培自体の技術の進歩などがあり、現代を基準に考えると本来のシーズンである春にはもうイチゴのシーズンは終盤に差し掛かってると言えるのかもしれない。旬を伸ばされ続けるイチゴも多忙極まりない。
ぼくがその多忙に思う苺を買う機会は、正直言うと滅多に無い。
そもそも、果物を食べる習慣がぼくにそこまで身に付いていないのもあるけど、去年の11月ぐらいから小さいミカンにハマって頻繁に買っていた。果物との関係性はそれぐらい。
頂き物かつ、普段の生活に馴染みの無い苺という希少な存在。そのまま全て生で食べるのはあっという間に終わりそうで逆に味気ない気がした。
ただ、勿体ぶって生のまま少しずつ食べていっても鮮度は落ちてしまうだろうし、ちょっとずつ食べるのに最適だと思いジャムにしてみることにした。
そこにもチェキを向けてみる。
調理方法はシンプルに苺を刻んで煮るだけ。ちょっとしたこだわりとして、砂糖の代わりにみりんを入れる。
今回頂いた苺は中まで赤い品種らしく、実際に刻むと確かに赤いような気がする。ただ、ぼくは意識して苺の中身を見たことが無かったので比較先が朧気ではある。
みりんは加熱すると水飴のようになり、砂糖の代わりになると数年前に知人から教えられた。よくよく考えれば辿り着きそうな原理なんだけど、謎の知る人ぞ知る〝通〟っぽさを感じてからぼくは砂糖をあまり買わなくなった。
元々減量生活をしていた影響で甘めの料理を積極的に作らないというのもあるけど、みりんを煮詰める手間などもあって、甘くするぞって時には贅沢にみりんを使うようにしている。
水飴みたいになるほんの手前の状態でみりんを刻んだ苺を入れたフライパンへ移す。そこにレモン汁代わりのお酢をほんの僅か垂らす。あとは弱火でじっくり煮るだけ。代用品ばかりでもジャムはできる。
次第に生温かさを帯びたような苺の香りが漂い、水分はみるみる減って粘りが強くなる。
ジャムの作り方を改めて調べながら調理をしていたんだけど、完成の目安は冷水にシロップの部分を落として広がらないことらしい。
個人的にはその判別がなんとも難しい。フライパンの上で広がるブクブクと音を鳴らす苺の池はいつも同じように見える。
垂らしては広がりを繰り返す。おかげさまでほんの僅かではあるものの、何回か冷水にジャムを落とすことになったが遂に広がらなくなった。(ように見えた)
随分と水分も減り、冷水テストを一応クリアしたお手製の苺ジャムが完成した。ドロッドロだ。
そのジャムを予め煮沸消毒しといた瓶に詰めて密閉する。
このジャムが入った瓶、めっちゃ眺められる。宝石を溶かしてもこうなるんじゃないかってぐらい神秘的に見える。
さて、味を確かめる。
まずは爪楊枝に絡めたほんの僅かなジャムを味見程度に頂くと、思ったよりも甘かった。多分みりんを入れ過ぎた。もっと苺の糖度を信じたほうがよかった。
とはいえ、数日ほど食パンに塗って食べてみると、食べる度にお店でも開けるんじゃないかと思うぐらいに市販の食パンが上品になり続けた。
ちなみに、パンに塗った写真を撮るのはすっかり忘れてしまいました。
それにしても、ジャム作りが楽しい。
時間の掛かり方が健全というか、待っている時間が長い割に拘束されてる感も無い。作り方も素人が挑戦してみようと思えるぐらいシンプル。
元々市販のジャムをそこまで買っていなかったのもあって、ちょっと甘過ぎたとしても愛でたくなるぐらい満足した出来だった。
一回ジャムを手作りすると気付くことも割とあって、まず苺は量を作ろうとすると思っていたよりもコストが掛かる。あと、個人的には甘い味の食パンが苦手寄りなので、食パン以外にも合うものを探していきたいと思った。
苺はあくまでとっておきの材料に据えて他の果物等で継続して作っていけばいいし、パン以外に合うものとしてヨーグルトとかにも入れようかな。それに合わせて材料も選んでみるのも面白そう。
冬の間ひたすは買い続けたみかんもジャムにするか考えたけど、彼はそのままで食べるほうが好きかもしれない。
あまりジャムを食べる生活は送ってこなかったけど、お手製ということもあってか、ここ最近はジャムのある生活が楽しい。
また作ろう。