ついに野望ガラクタを捨てた!捨てられない物を捨てるためには?
こんにちは。アイルランド在住のつぐみです。
今日はなかなか捨てられなかった「野望ガラクタ」をついに捨てられた話。捨てられないものってありますよね?それを捨てるきっかけになれば幸いです。
野望ガラクタとは?
野望ガラクタとは、断捨離ブロガー筆子さんの使っている言葉で、「将来の自分に期待しているために捨てられないもの」。
現在は使っていないのに、将来使うかもと期待して保有しているものです。
典型的な例が、痩せたら着ようと思っている、サイズの合わない服。
以前書いた野望ガラクタの記事はこちら。
私の野望ガラクタ MBA時代の教科書
断捨離にはまっていた時に、多くの野望ガラクタを捨てることに成功したのですが、上記記事にもあるように、私がどうしても捨てられなかったのは、MBA時代の教科書。
いつか読みたいと保管し続けて約6年。ようやく読まないって言う結論がつきました。(遅い.....)
遅いですよね、他人から見てなぜ捨てられないのかと言う疑念はよくわかります。でも捨てられない野望ガラクタは、自分の欲望に紐付いているから、なかなか捨てられない。
サイズの合わない服は、比較的簡単に処分できました。なぜなら、私はさほど服に情熱がないからです。
しかし、私はMBA に昔から憧れていて、授業で活躍する自分や、知的好奇心の高い人々とのネットワークをずっと夢見ていました。
が、MBA時代には、それが期待通りにできない自分に、何より失望しました。
まあ、期待もプライドも高すぎたんだけど。
なんで処分できたのか?
その甘酸っぱい記憶が、いつかMBAで学んだことを消化できるようにと、教科書保管させていたのですが、そもそも学ぶことは次から次へと出てくるし、もう過去に戻ってこの特定の分野を学びたいと言う気持ちもなくなってきました。
何より私が感じていたのは、読書好きの私にとって、いつか日本語の本ではなく、英語の本を日常的に読みたいと言う気持ち。
MBA時代は、読書によるインプットも、議論によるアウトプットも、自分の英語スピードが全く追いつかずに悔しい思いばかりしていた。
しかしここ最近は、月2〜3冊は洋書で読めるようになってきました。日本語の本を読むスピードには、まだ程遠いのですが。
それは私の自信になっていると思う。だから私はもうMBA時代の教科書という、英語コンプレックスを保有する理由が低くなったので、捨てる決心がついたのだと思う。
野望ガラクタを捨てられずに困っている人は、その裏にある欲求や野望を別の形で満たせると、捨てられるようになるのかも。
アダム・グラントは、昨年の自分がバカだと思えたらそれは今年の成長の証だと言っていたが、少なくとも6年前の自分をバカだと思える私はその時より成長しているのだろう。
あー、スッキリ。