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#329 『早熟』を過大評価することの危険性

 古典音楽の巨匠モーツァルトは非常に幼い時からその音楽的才能を開花させました。5歳で作曲を始め、8歳の時には時の女帝マリア・テレジアの御前で演奏、10歳の頃にはヨーロッパ各地を演奏会で巡業します。

 『神童』という言葉にふさわしい彼は、今でも私たちに馴染みのある多くの古典音楽を残し、35歳でこの世を去ることになります。

 寿命が今よりも断然短かった時代には「早熟さ」が求められていたのでしょう。日本でも15歳で元服し大人として扱われていたように、その短い生涯の中で、いかに早く物事をなし得るのか、これが非常に重要です。

 時代は令和。平均寿命がこれからもどんどん長くなる中、今問われているのは、その長い人生の中で「学び続けること」ができる力だと言われています。

 一方、世間はいまだに『早熟』を過大評価しているように思う。幼い頃からその才能を発揮することは決して悪いことではありませんが、その価値が社会的に高まりすぎると、非常に危険だなと思う。

 学校教育におけるシステムも同じこと。学歴社会という枠組みの中では22歳までの自身の経歴で、その後の人生が大きく決定されてしまい、なかなかリカバリーが効きづらい。100年生きる人生が最初の22年でほぼ決まってしまうなんて、個人的には、理不尽だなと思ってしまう。

『「早生まれ」と「遅生まれ」有利・不利ある? 統計学的には「学力」「将来の年収」に明らかな差が…』という記事を見つけました。

 今の教育システムの「早熟」に対する評価を物語っているように思います。そんな時私の頭の中に思い浮かぶのは、本当にありふれた日本の昔話である『うさぎと亀』のお話。多少最初のスタートダッシュが遅れたとしても、ゆっくり時間をかければ、人は様々な学びを得て、その学びを基盤とした様々な能力や才能を開花させることができます。今、私はモーツァルトが亡くなった年齢と同じ年。人生はまだまだ続くのです。


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