#306 自治としての生徒会
日本の学校の多くには、「生徒会」という組織が存在しますが、その歴史は戦前の「校友会」という組織で現在の部活動のようなものでした。会長は校長が務めるなど教師が主導となって管理運営を行うものでした。「生徒会」というキーワードが出現するのはは1949年4月発行の『新制中学校新制高等学校 望ましい運営の指針』。生徒会の役割や設立について比較的詳細に記され、生徒会の役割として先述の「自治の修練」のための組織としての役割と校友会的組織としての役割の両方が与えられていました。
現在の「生徒会」は「生徒会活動を通して,望ましい人間関係を形成し,集団や社会の一員としてよりよい学校生活づくりに参画し,協力して諸問題を解決しようとする自主的,実践的な態度を育てる」ことを目的とし、(1)生徒会の計画や運営(2)異年齢集団による交流(3)生徒の諸活動についての連絡調整(4)学校行事への協力(5)ボランティア活動などの社会参加といった学校の全生徒をもって組織する生徒会において,学校生活の充実と向上を図る活動内容と文部科学省によって定義されています。
私の個人的な生徒会のイメージは正直あまり良いものではありません。その理由は、生徒会に与えられている権限があまりにも小さいから。私が勤めていた学校でも、生徒会の提案が学校に却下される様子がしばしばありました。文化祭や運動会などの学校行事も、生徒会が運営しているようで、結局は今までの既定路線のままのことが多い。生徒会が校則を変えようとしても、結局うまくいかない。生徒会は何のために存在するのか、という問いを立てずにはいられません。
生徒会長も結局は誰がなっても同じだし、誰がなっても何も変化を生み出すことはできない。そんな印象を与える。生徒会の選挙活動などが、政治参加への第一歩と考えるならば、その実態は民主国家としてあまりにも杜撰だと言わざるを得ない。
一方、今の教育業界のキーワードの1つは「児童・生徒主体の学校」。学校は児童・生徒のためにあり、彼らが望む「学びの場」を教員と協力して作っていくこと。そんな中、今まで形骸化してきた「生徒会」の価値が見直されると考えています。生徒会は児童・生徒の代表者。同じ学びの仲間にとって「より良い学校」を創造する非常に価値ある組織となります。教員と同じ目線で対話をし、様々な変化を生み出していく。生徒会が本当の意味での「生徒会」として機能する日は近いと感じています。