#700 それ、ほんと?〜フジテレビ・港浩一氏の会見〜
私はもともと懐疑的な人間で、物事を批判的な目で捉える傾向にあります。これは、ある時期まで自分の家の価値観が絶対的であったものの、その価値観が決して1つではないことに徐々に気づいていく過程の中で出来上がったものだと自分では思っています。
私の懐疑的なものの見方は、ある一定の割合で、私を邪悪なものから救ってくれることに役立っています。
そんな中、このコラムでも時々書いているけれども、自分の中の「違和感」というものを大事にして生きている。
一見論理が通っている、納得できる。でも、何か心に引っかかるものがある。
それをやり過ごさず、しっかりと対峙すること。これが自分や自分の大切な誰かを守ることに繋がると信じているからです。
この「違和感」が今、私たちの世界の中に蔓延している現状があります。
イソップ寓話の『オオカミ少年(原題:嘘をつく子供)』は学校教育の中で用いられるほど有名なお話。羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が来た」と嘘をついたので、大人たちは騙される。少年は繰り返し同じ嘘をつき、、本当に狼が現れた時には大人たちは信用しなかったというお話です。
大人は最初は少年のことを信じていたのに、徐々に彼のいうことに「違和感」を覚え、最終的に彼を信じられなくなります。
これと同じことが、日本(あるいは世界)で起こっている。様々な情報が錯綜する中で、情報の一部が切り取られ、強化され、何度も繰り返される。それによって、ある一部の人はその情報を信じる一方、その繰り返し強化される断片的な情報に違和感を持つようになる人もいるのです。
アメリカの大統領選も、兵庫県知事選も、結局は様々な情報と憶測に、ちょっとした悪意が味付けされ、本当の姿が見えないまま、それぞれが抱える違和感が解消されず、選挙に突入しました。
その結果の良し悪しは置いといたとして、その過程がスッキリしない以上、どんな結果になったとしても社会の分断が起こってしまうと個人的には思っています。
では、そういうことをしないために何が必要なのか。それは「どれだけ情報を、正確に、客観的に、オープンに伝えるか」ということ。
情報の信頼性・信憑性自体に「違和感」を持ってしまえば、これはなかなか大変なことになる。
今世間を騒がせている中居正広氏に関する一連の騒動。その騒動に大きく関わっていると報じられたフジテレビの社長、港浩一氏が会見を開き、騒動の経緯などを説明しました。
その内容を見て、私は「違和感」を感じざるを得なかった。
それって本当?
どうしてもそう聞きたくなる。少なくとも今回のフジテレビの会見は、まさにイソップ寓話のオオカミ少年と同じではなかろうか。
オールドメディアと呼ばれる既存の大手報道機関が、都合の良い情報を、刺激的な編集によって伝え、都合の悪い情報は隠す。SNSなどにおける新興メディアは、大手の既得権益を暴こうとする。
その対立を象徴するような構図。
お互いがお互いを攻撃しあい、結果どちらにも「違和感」をもち、結果何を信用していいのかわからない、日本の脆弱したメディア。
谷川俊太郎さんの詩、「生きる」の中に出てくる
「隠された悪を注意深くこばむこと」
という言葉の重みをずっしりと感じます。