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お盆休みの大泣き



大嫌いだった地元に帰ってきた。
もちろん実家には帰らない。


母方の祖父母が実家から徒歩三分くらいの所に住んでいるので、顔を見にきた。
祖父は92歳、祖母は82歳だ。


祖父はとても92歳には見えない。
スラっと背の高い、白髪のおじいさんだ。
スラっとしすぎているかもしれない。
昔から身体を使うことが好きで、何度も富士山に登頂しているような人だ。
92歳にして未だに毎日1時間、そのへんをウォーキングしているらしい。
姿勢もシャキッとしていて、おじいさんらしくないおじいさんだ。
性格は温厚だが、曲がったことやいい加減なことが大嫌いで、そういう場面に出くわすと急に激怒する。
それ以外は温厚で、優しいおじいさんだ。
中学生の時は親といろいろあったので、母方の祖父母宅から中学に通っていた。
私は曲がったこともするしいい加減なこともするので、よく祖父に激怒されていた。


祖母は祖父の一回り下で、可愛い顔をしたおばあさんだ。
少しキツい性格で、すぐ人のせいにする所がある。
しかし孫には割と優しく、面倒見が良い。
綺麗好きで料理が上手な祖母だ。
祖母の昔の写真を見たことがあるが、かなり可愛かった。
お見合い結婚で祖父と結婚したらしいが、(祖父、よくこんな可愛い嫁をゲットしたな...)と常々思っていた。
今はだいぶ歳を食ってしまい、皺だらけの白髪のおばあちゃんだが、それでもやはり可愛さの片鱗が見える。
私は面長なのだが、祖母は顔が小さく、バブみのある顔なので羨ましい。普通におばあちゃんの顔面を羨んでいる。
おばあちゃんのいい所は全く遺伝せず、おばあちゃんのコンプレックスである剛毛と毛量の多さだけが遺伝してしまった失敗作である。




そんな祖父母宅に今日は泊まろうと思い、父方祖父母の家から徒歩と電車とバスを使いこなしてここまでやってきた。
長い旅だった。


久しぶりに見る祖父母の家は、やはり懐かしかった。
少しリフォームされているが、昔の家らしい、ちゃっちく模様が彫られている薄い窓や、床も壁も青いタイル張りの風呂、昔私が寝ていた部屋、夜ご飯を3人で食べたキッチン。
小さい頃は父方の祖父母との交流はほとんどなく、母方の祖父母の家によく来ていた。中学生の頃は短い間だが祖父母宅から学校に通っていた。
塾の送り迎えもしてくれて、迎えにくる度に鰹節と醤油を混ぜた猫まんまのおにぎりを作って持ってきてくれた。
私は塾の帰りの車でお気に入りのそれを食べていた。


しかし私はしばらくこの家に寄り付いていなかった。
なぜかというと、私は母方の祖父母があまり好きではなかった。
こんなにも良くしてもらっていたという話に聞こえるが、母方祖父母のいい思い出はあるものの、母方祖父母に傷つけられた記憶も確かに存在するのだ。


小学校5年生の時、親が母方祖父母の家の近くに家を建てた。
私は今までお盆と正月しか母方祖父母の家に行ったことがなかったが、近くに引っ越してきたとたんほぼ毎日祖父母宅に通った。
お菓子がもらえたり、おにぎりを作ってもらったり、夕食が出たりするからだ。
祖母の作る料理はどれも美味しく、醤油で漬けた唐揚げが大のお気に入りだった。


その頃、私は絶賛虐待されまくり中だった。
家にいる時はほぼ怒鳴られ、殴られまくっていた。
家にいる時間はほぼずっと勉強を強いられ、それ以外の時は殴られていた。

はっきりと”おかしく”なったのは小5の終わり頃だった。
私は朝起きれなくなった。
起きようとしても、身体が言うことを聞かなかった。
起きろと殴られて目が覚めるが、殴られる痛さよりも眠気の方が勝っていた。
ついに何度殴っても起きない私を、親はばあちゃんにチクった。
その日からばあちゃんは私を起こしに毎日家に来た。
ばあちゃんは私が虐待されていることを知らなかった。
ばあちゃんの前でもヒステリックに怒鳴り、軽く叩かれたりはしたが、こんなにも毎日辛い目にあっているとは思っていなかっただろう。
ばあちゃんは私のことを悪い子と認識した。
今日団欒している時に当時のことを語られたのだが、
「まさかそんなことになってるなんて思わんかった。◯◯(母親)が苦労してると思ってた。あの時はあんたのお父さんも単身赴任中やったし、あんたが言うことも聞かずグレてる悪い子やと思ってた。」
と言っていた。
私を悪い子と認識したばあちゃんは、
私のことなど全く考えずにただひたすら怒った。
私のことを考えろ。などと言っても、当時の私は虐待されていることを誰にもバレてはいけないと思い込み、親戚や友達にも言っていなかった。
私が殴られていることをばあちゃんに言ったら、ついに母親に殺されると、本当にそう思っていた。
言っていなかったのだからばあちゃんがそう思うのも無理もない話なのだが、私はこの時、
(ばあちゃんも”そっち側”なんだ。みんな敵なんだ。)と思い、ものすごい絶望感に襲われていた。
この時から、祖父母の家に遊びに行っても、
母から言われたことを鵜呑みにしている祖父母からいつも叱られるようになった。


私はこの時のことをずっと覚えている。
忘れようにも忘れられないのだ。
それくらい深い絶望だった。
中学生になり、学年主任の先生が私と私の家のことを気にかけてくれるようになり、児童相談所の一時保護所に行くまで、私の味方は誰もいなかった。
言わない私も悪いのだが、私はなぜか殴られていることを人に言ってはいけないと思い込んでいた。



中学生の時、少しの間母方祖父母の家に住んだ。
父が祖父母に私を預けたのだ。
中学生にもなると、私は反抗することを覚え、泣きながら包丁を持ち出すこともあった。
絶対に刺せないとわかっているが、包丁を出すほどに私は追い詰められているということを母親に知って欲しかった。
父はこのままだと殺人沙汰になると思っていたらしい。
私は祖父母宅に預けられた。
実家よりは随分居心地が良かったが、やはり母の味方をする祖父母や、几帳面で少しでも”真っ当”なことから外れたことをすると激怒する祖父、周りの悪口を頻繁に言う祖母に疲れたりもした。


私はその頃の嫌な記憶があり、あまり母方祖父母が好きではなかった。



今日は母方祖父母宅の家に久しぶりに来た。
嫌な記憶もたくさんあるが、良い思い出もそれなりにある。
祖父は92歳で高齢だし、祖母はこの前心臓の手術をした。
少し心配だったし、久しぶりに顔が見たかった。
私がされてきた酷いことや、虐待の話も祖父母はもう知っている。
あれから母に祖父母も酷いことをたくさんされ、母にも愛想が尽きたようだった。
今なら会えるかなと思った。

家に着き、キッチンで一家団欒をした。


しばらく話していると、急に遺産の話になった。
祖父母達が、
「最近は遺言書を頑張って書いている。遺産は法律によると姉妹に分けなければいけない。ハムちゃんずがされてきたことも知っているし、私たちも酷いことをたくさんされた。この20年で1000万以上持っていかれた。それでも私たちとは絶縁しているらしいし、今までいろいろしてやったことも仇で返された。でも私たちの子供だ。あんな子でも遺産は分けてやろうと思う。分けないと言ったらハムちゃんずの母はもらえるまでがめつくしがみつくだろうし、母の妹と喧嘩もするだろう。姉妹で歪みあわれても困る。ただ孫にも何か残してやりたい。私たちが死んだら死亡保険が入る。それをなんとかしてハムちゃんず達に分けられるようにしたい。ハムちゃんずには苦労をかけた。一番貧乏くじを引かせた。あの時の私たちを後悔している。ごめんなさい。」

と言うようなことを言われた。
祖母に関しては泣いていた。

私は泣きそうになった。というか泣いた。
まず祖母が泣いていることが悲しかった。
祖父母の生死について話すのも悲しかったし、
今更言われてもといった気持ちも少しあったし、
でもずっとこう言われたかった。ついに言ってくれた。
という感慨深さに、私は泣いた。
大泣きした。


「私は何もいらないから、母に1円も渡して欲しくない。◯◯ちゃん(母の妹)に全部あげてほしい。母にだけは1円も渡して欲しくない。」
と私は言った。
本心だった。
もちろんお金があるに越したことはないのだが、
とにかく金にがめつく我儘で祖父母や私に酷いことをした母が喜ぶようなことをされたくなかった。


しかしじいちゃんは「わしの子やからなあ」と言って、母にも遺産を分けると言った。

その後も死亡保険の話や、生い先長くないといった話をされ、
「も゛う゛死゛ぬ゛と゛か゛言゛う゛の゛や゛め゛て゛よ゛お゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛!゛!゛!゛」
と大泣きした。

祖母は「あんたは素直なええ子やなあ。泣かんでいいねんで。」
と言った。

私は別に素直でもええ子でもない。
祖父母があまりにも自分たちが死んだらという仮定で話を続けるものだから、悲しくなってしまっただけだ。たぶんみんなそうなるだろう。自分の祖父母なら。


しばらくして、祖父母に
「もう死ぬとか生きるとかやめてくれない...」
と言い、その話は終わった。
私も泣き止んだ。



今日は牛すじのホロホロ肉がたくさん入ったカレーだった。
最近うなぎ食べてないと言うと、先週の鰻の残りを解凍して鰻丼にしてくれた。
カレーは懐かしい味がした。
そうだ、この家は必ずカレーのお肉は牛すじなんだった。
と思い出したりした。

ご飯を食べながら、今同居人と遠く離れた土地で同棲しているということを伝えた。
祖母は
「あんたっていつまで経っても落ち着かん子やなあ。」
と言っていた。
「元気で栄養取って、ちゃんとやるんやで。」
と言われた。


祖父母宅に来たのは悪くなかった。
しばらくつかえてた物がうっすら溶けていった気もした。
死んで欲しくないなと思ったし、元気で栄養取って、ちゃんとやろうと思った。



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