見出し画像

理解し合おうとすること。


夫と自分は似ていない。
どちらかといえば、真逆な人間。


話しても話しても
理解し合えない。


でも、理解し合おうとする努力は
必要だと思う。

理解し合えなくても
理解し合おうとする姿勢を
保っていれば


関係は円満でいられるんじゃないか。


夫と自分に限らず
人と人が関わる時に
よく発生することなんじゃないかと思う。

理解し合えなくて
理解し合おうとする姿勢も
ないと関係は

去っていく
離れていくのであろう。



最近理解し合えなかったことに
ついて書きたいと思う。




自分は日清のカップヌードルのシーフード味の
カップ麺であろうと

大好きな人と一緒に食べたら
美味しかった、という体験の元


どんなものでも
大好きな人と食べると美味しく
感じると思うと言った。


しかし、
夫はどんなに大好きな人と食べても
食べ物の味は変わらないと言う。

むしろ人と食べると
味が味わえなくて
よくわからなくなる、と言う。


自分が言いたいのは
人と食べる方が食べ物が美味しいと
言う事が言いたかったのだが

夫は人と食べても一人で食べても
味は変わらないの一点張り。


価値観の違いなのだけど


どちらも正しさとか正解を
見出そうとすると言い合いになるけど


夫のような人もいるし
自分のような人もいるという
だけのこと。


ただそれだけ。


ただそれだけなんだけど
自分は夫ともっと分かち合いたい
気持ちが強い。


何かを共有したり
共感したり


そんなことを求めているんだけど

夫はバッサリ切る。


そんな人だから
惹かれるのかもしれない。


って書いてて気づいた。




夫のことを知ろうと思って
堀探っても手のひらから砂のように
落ちてなくなってしまうように
夫はいなくなるし

見えなくなるし


どんな人なのか結局わからない。


いつも知りたい気持ちだけが
取り残されていて

掠め取られていく
ように毎秒が過ぎていく。



かと思えば

サラサラした感触で肉厚な
手で自分の手を繋いでくることがある。


何回手を握られても
ドキドキするし


手を繋ぎながら
眠る時は安心感がハンパない。


(寝る時には手を繋いでると寝にくいから手をそっと夫を起こさないそうに離すんだけど)


優しいようで冷たい。
冷たいようで優しい。


見ていないようで見ていて
見ているようで見ていない。




今日、髪の毛の分け目を変えた。

いつも同じところに分け目をしていると
ハゲると美容師さんに言われたことを
急に思い出して。


ついでに前髪を切った。


ちょっとだけいつもと雰囲気が変わった。



フットサルに出かけてた夫が帰宅して

夫『髪の毛切った?いつもと違うね。』

いっぱち『前髪切った。』


夫『かわいいね。』



かわいいなんて久しぶりに
言われた。

嬉しくて飛び上がりそうなのを
堪えて

いっぱち『そう?』


の一言で返して終わりにしちゃった。


本当は嬉しくてありがとう、が
言いたかったのに言えなかった。


話を戻して、

夫とは話しても話しても

分かり合えないことがよくあるけど


それでも一緒にいる。


美味しいは共感できることも
多いけど

それ以外はほとんど
理解し合えないことばかり。


だけど、理解し合おうという姿勢が
大切なんじゃないか、
と思う。


だから

いつまでも

夫はどんな人なのかな?
どう感じるのかな?

と知ろうとする姿勢は忘れないで
いようと思う。


そこそこ
コツコツやろう。
そこそこ
できることをやろう。

いいなと思ったら応援しよう!