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“noteしていることを周りに伝えるのかどうか”問題

noteで私の名前は“しばまる”としている。

これは本名に何もかかってないし、ただ柴犬が好きだから、そこから“しば”をいただき“まる”はおまけ感覚でつけた。(おまけて何や)

アイコンの写真も、いざ始める時に携帯のカメラ画像を見返して、唯一使えそうだった近くの水族館にいるミニカバの赤ちゃんの写真を設定した。(本当可愛いんですよ、ミニカバ)

noteをこっそり始めて、こっそり続けて2ヵ月が経過。

まだ家族、友人誰にも“しばまる”という名前でnoteをしていることを言っていない。アイコンと名前を見ても私が書いているということなんぞわかる人はいないだろう。本名と写真を入れてnoteを書いてらっしゃる方も多く(眩しい限りです)、私は自分がなぜこんなにコソコソしているのか、疑問に思ってきた。

家で記事を書いている際も、夫に見られそうになったら、急いで画面を切り替えたりしている。noteは全然怪しいサイトではないのに、なんだかnoteさんにも申し訳ない。

しかし少し前に、私が“しばまる”だということは誰にも言っていないが、友人と会社の同僚2人にだけ「noteで記事を書いたりし始めた」と打ち明けてみた。

今後どうしていくか話をしている際に流れで、「言ってみようかな」という気持ちになったのだ。しかし、これを伝えるのすら内心ドキドキ。

「言おうかな、やめとこうかな。どうしようかな。……よーし!」

くらいの葛藤の末ようやく伝えた感じ。(どんだけ~)

友人の反応は「えーー!そうなん!すごいやん。読んでみたい。名前何でやってるん?」と、2人とも同じ反応。SNSやらない主義の私がnoteをやってるだなんて!意外!と驚き、興味を持ってくれている。

それに対して私は「本名じゃなくて……。なんて名前でやってるかは、まぁ……まだ言われへんねん。いつか時が来たら……」なんてもごもご返事をした。(いかほど~)

興味を持ってしかも読みたいとまで言ってくれているのに。時が来たらってなんやねん。誰やねん。

2人とも「え~!ちょっと探してみようかな」なんて言ってたが、私の様子を見てそれ以上は聞かないでいてくれ、私にしては珍しい取り組みを応援してくれた。(ありがとう)

実生活の私からは想像つなないような、ポリシーや考えを書き綴っている訳ではなく、今まで書いてきたことは“まんま私”だ。ネット世界は大海原なので、私が“しばまる”だということを見つけ出すことは困難だろうが、私がnoteをやっていると知った上でこのページを見つけたらおそらく私だとバレるだろう。

別にやましいことも何も書いてないので、なんでこんなに隠しているのかも最早わからなくなってきた。noteをしている皆さんは周りの人に自分がnoteをしていることを伝えているのだろうか。どうなんでしょう。

私なりに時間を割いて書いていて、noteのことを考える時間も増えているので、友人にnoteの話をしたいな、という思うタイミングも出てきている。実際どう思うかも聞いたりしてみたい。(かもしれない)

これって、時が来たってことなんかな。

…………。

ここまで読み返してみて自分ごとながらまじでどうでも良いな。なんかすみません。SNSをやらなすぎて、発信癖がなさすぎて、逆にこじらせてる感じやな、と我ながら思う。

色んな方が書いた文章に触れて、考えを知ることができるnote。仕事や肩書、住む場所、年齢なんかも飛び越えて文章でコミュニケーションを取れる場所。なんて素敵なんだろう。

そんな素敵な場所で私なりの文章を綴っているということ。

ごちゃごちゃ考えずに、「しばまるって名前でnoteで書いてみてるねん。良かったら読んでみて」と爽やかに言える日が来たら、私が一皮剥けた瞬間になるかもしれない。その時が来るのか、来ないのか。私はそんな私が自然に現れるのを待ちたいなと思っている。

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