SFCと井筒俊彦の接点:応用井筒研究の妥当性
言語哲学者の井筒俊彦と慶應SFCには間接的な接点がある。
井筒が晩年過ごした鎌倉とSFCの立地的な近さはあるものの、1993年に亡くなった井筒と1990年に開講されたSFCとの直接的な関わりは確認されていない。しかし、井筒の与えた影響(それを意志と呼んでみることにする)はSFCというトポスの重要な要素になっているのである。
SFC井筒研究会の中で井筒を扱うにあたり、井筒俊彦が遠くの存在などではなく、実は身近に潜んでいるということを体感してもらうことを意図してこの記事を書くに至った。結論として、SFCにおける応用井筒研究の妥当性を確認することができた。
※敬称略
0. 慶應と井筒俊彦、そしてSFCへ
簡単に井筒俊彦を振り返ってみる。井筒俊彦は日本ではイスラームの聖典『コーラン』を訳した人として有名であるが、世界的には東洋哲学の研究者として知られている。その主な立場は言語哲学と呼ばれるものであり、古今東西の言語の在り方の比較によってその普遍性・特殊性を浮き彫りにしている。
そんな井筒俊彦は青山学院高等部を経て、慶應義塾大学経済学部へ。そこで後に有名になる民族学者の池田彌三郎と国文学者の加藤守雄に出会う。共に文学への情熱を捨てきれず、文学部へ。井筒はシュルレアリスムの詩人、西脇順三郎の元へ、池田と加藤は民俗学者の折口信夫の元へ行く。西脇も折口も日本を代表する学者である。
ここらへんのお話は若松英輔のエッセイが詳しく述べているので参考にしていただきたい。
その後、井筒は西脇が担当していた「言語学概論」の授業を引き継ぎ教壇に立つ。この授業が慶應における伝説の授業になったことが当時の塾生の思い出に綴られている。また折口信夫の影響も強く受けていたのではとフランス文学者の松原秀一は指摘する(鈴木孝夫との対談)。
慶應の伝説的な教員を超克する井筒俊彦。直弟子の鈴木孝夫は「鬼才」だと表現する。そんな井筒は教授会に出ないなどいくつかの逸話を残す。そんな行動に他の教授は不満を露わにするも、井筒の非凡さを見抜いていた先生たちが井筒を守っていた。
そして京都大学から井筒を引き抜きたいと申し出がかかる。慶應の宝をみすみす手放すかと、民俗学者・松本信広と哲学者・松本正夫は京都大学まで行って断った。なんとか井筒を留めようと画策し、戦争中の救済策としてあった語学研究所を言語文化研究所に改組した。現在も言語文化研究所は三田の南別館に存在する。
文学部教授から言語文化研究所教授となった井筒。その後ロックフェラー財団からの支援を受け世界を旅すると、今度はカナダのマギル大学に誘われ、カナダへと飛び立つ。そしてテヘラン王立哲学研究所へ行ったり、エラノス会議へ参加したりと世界的に有名な研究者へとなっていく。
しかしながら井筒が慶應において受けた影響と慶應に与えた影響は計り知れない。井筒の意志というものが伝播し、それは次世代にまで影響を与えていることが様々な人物を通して確認できる。
1. 江藤淳と井筒俊彦
井筒俊彦と慶應の関係を見てきたが、ここからはSFCとの関係を見ていきたい。SFC以前として井筒の伝説を目撃していた人物がいた。それは江藤淳である。
江藤淳は1992年から慶應義塾大学環境情報学部教授として活躍した。しかしこれはSFCの立場から見る江藤淳である。日本というスケールで見れば彼もまた伝説的な研究者の一人である。
江藤淳と「言語学概論」
江藤淳は非常に著名な文芸評論家だ。大江健三郎や司馬遼太郎と同時期の文芸家であり、いくつもの賞を受賞している。特に従来の夏目漱石観を覆した「漱石論」は有名である。Wikipediaには「戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄の死後は文芸批評の第一人者とも評された」ともあり、戦後文学の発展に寄与した重要人物だということがわかる。
慶應義塾大学出版会からは江藤淳の講義CDが販売されており、肉声を聞くことができる。
そんな江藤淳の指導教員は西脇順三郎であった。また慶應義塾大学文学部時代、井筒俊彦の「言語学概論」の授業を受けて感銘を受けた人物でもある。その時の記憶が、「井筒先生の言語学概論」という題で投稿されている。
現在このエッセイは2022年に新版として出された「ロシア的人間」の巻末に掲載されている。
江藤淳にとって井筒俊彦が重要な存在だったことを江藤淳に最後に会った批評家・平山周吉は指摘する。
江藤淳とSFC
では井筒の意志を引き継いだ江藤淳はSFCにどのような影響を与えたのだろうか。これは江藤淳という人物像を通して間接的に与えたものとして理解することができるだろう。当時の目撃者は江藤潤から強く影響を受けていることが確認できる。
映像作家でSFCの卒業生・金子遊は語る。
フランス文学者で元SFC教授の堀茂樹は語る。
元SFC教授、経済学者の岡部光明は語る。
生徒から教員までSFCに与えた影響を確認することができるだろう。1997年、江藤淳は定年1年を残しSFCを去る。そして1999年、妻を亡くして気力を無くし、自らを「形骸」として鎌倉の自宅で自殺する。
江藤淳がSFCを去る際に行われた最終講義のタイトルは「SFCと漱石と私」であった。内容は書籍『日本の最終講義』に掲載されている。
我々はこれらからSFCへの間接的な井筒俊彦の影響を確認することができるだろう。次は間接的だがかなり直接、井筒の意志が展開された例を見たい。
2. SFC外国語教育と井筒俊彦
2021年2月、言語社会学者の鈴木孝夫が亡くなった。著書の『ことばと文化』はたくさんの人に読まれ、大きな影響を与えた。鈴木は英語化が進む中で、日本語という言語が持つ潜在性とその重要性、日本人が日本語を扱うことの意味を深く掘り下げた。それだけではない。SFCにおいてはもっと重要である。なぜならSFCの特異な外国語教育システムをつくった一人だからだ。
井筒俊彦の弟子、鈴木孝夫
ここで気づいた人も多いのではないだろうか。前半にも出てきたように鈴木孝夫は井筒俊彦の直弟子である。もともと医学部だった鈴木は語学をやりたいと思い、文学部へ。そして英文学者の厨川文夫の元に行き(縁ともいうべきか、厨川門下には江藤淳もいたそうだ)勉強をした。
しかしそんな中、鈴木は井筒の「言語学概論」を出会ってしまった。「途端に井筒先生の魅力と、学問の面白さに惹かれて、厨川先生のほうを…。」と回顧している。そして井筒の元に至ったのだ。当時は研究室などはなく、自宅で研究するのが常だった。鈴木は井筒の自宅(当時は西荻窪)で勉強していたそうだ。そのうち、時間の無駄だからということで井筒宅に下塾することになる。ご飯を食べ、プラトンの暗唱、プーシキン、リルケと日替わりで読むなど10年以上家に置いてくださったそうだ。(『井筒俊彦とイスラーム― 回想と書評』より)
しかし井筒のあまりに強い魔力に鈴木は悩まされる。井筒からマギル大学に誘われた時、鈴木は「申し訳ないけど、先生と縁を切らないと、私は破滅する」と言い、縁を切ることになった。その後、自身の学問を探し、ようやく見つけた時にできたのが前述した『ことばと文化』であった。
鈴木は自分の98%は井筒の影響下にあると言っているが、井筒の著書『Language and Magic』からは鈴木の影響を確認することもできる。両者が共に影響を与えたことがわかるだろう。
鈴木孝夫とSFC
そんな鈴木孝夫がSFCの外国語教育に関わっていたのである。ではそもそもSFCの外国語教育とは何なのかとなるが、これもまた複雑である。詳しくは私の別途連載している「【SFC研究会】SFC革命物語」において記述しているが、とにかくSFCという学校自体が当時の日本においてあまりにも異例で特殊であるということが前提である。慶應という歴史ある大学の中でSFCという特異なものが生まれるのだから、そこには壮絶な歴史と闘いがあったのだ。詳しくは『未来を創る大学』を読んでいただきたい。
なので簡単にSFCの外国語教育の特色を述べさせていただく。まず英語が必修でない。11言語の中から好きな言語をレベル別に選ぶことができる。そして実践重視である。特にインテンシブと呼ばれる集中型の授業は短期集中で使える言語の習得を目指している。詳しくはサイトを見ていただきたい。
ポイントはこの外国語教育の特異性が井筒の影響下にあるのではと言うことだ。鈴木のこの考えの背景を、同じくSFCで外国語教育システムをつくっていた言語学者の鈴木佑治(元SFC教授)との対談に見ることができる。
この文章から伝わるのは日本語で考え世界に発信していくことの重要性。サピア=ウォーフ仮説(異なる言語を使うと、認識する世界観や概念のあり方が変化するという仮説)という有名な仮説があるが、言語文化圏で構築される世界観の違い、特に日本語文化圏の特異性を活用する意義を唱えた文章だと私は思う。
鈴木佑治は自己紹介でこう述べている。
鈴木孝夫が井筒の「言語学概論」を継承し、SFC外国語教育システムへ、そして鈴木佑治へと渡っていくのがなんとも感慨深い。鈴木佑治のSFCへの影響は、SFCの伝説的人物である(伝説が多すぎる)カトカンや村井純との対談から確認できる。
鈴木孝夫と井筒の薫習
鈴木孝夫の考えに関しては詳しく鈴木自身が述べている映像が残っている。ラジオ感覚で聴いていただきたい。
このユーモアのあるお話は思わず聴き入ってしまう。Youtubeにはいくつか鈴木孝夫の動画が残っているのでぜひ見ていただきたい。私は何度も見たためにとうとう夢にまで鈴木先生が出てきてしまった。
ちなみに動画内で江藤淳のこちらの本が紹介されている。鈴木孝夫の本とのタイトルの重なりを見れば、二人の関係性を垣間見ることができるだろう。(記事の最後のコラムに二人のエピソードを記載した)
自国の言語で考えることの重要性。実は井筒俊彦もそのことを指摘している。文明学者の伊藤俊太郎との対談である。少し長いがぜひ読んでいただきたい。
かつてイスラームにはすべてがあった。哲学も科学もすべて。我々が享受している学問の原型は古代ギリシャ以来、アラビア世界において保存されていたのだ。伊藤俊太郎はそれを指摘する。そんなアラビア世界の言語含めた分裂現象。井筒は次のように指摘していた。
鈴木孝夫と井筒俊彦の考え方は共通していることがわかると思う。SFCの外国語教育の特異性はこの深い文脈から創造されたシステムなのだ。
実は鈴木孝夫がSFCで行った講義がCDとして販売されている。タイトルは「言語と伝達」。「日本と日本語の行く末を案じ、言語教育政策と日本人論の強烈な論客である鈴木のエネルギッシュな講義内容は、聴く者を圧倒し、そして力強く励ます。」と説明書きがある。
解説はSFCの外国語教育スタッフの中心人物である詩人・井上輝夫(元SFC教授)が書いている。慶應義塾大学出版会のnoteにはこうある。
井上輝夫と井筒俊彦
先の井上輝夫と井筒には外国語教育だけじゃない深いつながりがあることを発見した。井上の生前の姿が動画に残されているので見てみてほしい。
さて井上と井筒にどうのようなつながりがあるのか。これは元SFC総合政策学部長の河添健の文章に見ることができる。
井上自身が井筒に影響を受けていたことがここでわかるはずだ。外国語教育の中心人物もまた、井筒の意志を展開した人だった。
3. SFCと井筒俊彦:展開される意志
今、井筒俊彦はSFCにおいてどういう展開されているのか。ひとつはイスラーム研究の拠点としてSFCがあるのも事実だ。しかしこれは井筒の影響下ではない。もっと直接的な影響はなんだろうか。
数学研究と井筒俊彦
ひとつは先の文章にあった出版であろう。
数学者の河添健は井上との関わりの中で三つの不思議な偶然に会い、井筒俊彦の英文著作"God and Man in the Koran"の出版に携わった。これはだいぶ特殊なケースであるが、「私の研究会でも来期はこの本を読もうかと思っています。本を開くと多くの概念図があることに驚きます。多分、井筒先生の思想の根底には数学的な構造がきちんと構築されていたのではないでしょうか?そのあたりを研究会で調べたいと思っています。」とあるように、井筒俊彦の応用的な研究では重要な役割があったのではと思える。
2022年現在、河添はSFCにおいては「問題発見・解決のための数学リテラシー」という数学の面白さを学べる授業を開講している。
最終講義をこちらで見ることができる。
創造研究と井筒俊彦
より直接な言及として井庭崇の取り組みが挙げられる。
井庭崇は総合政策学部の教授であり、「創造」を主軸に研究している。SFCで授業や研究会を行う傍ら、アウトリーチ活動にも意欲的であり、研究対象である「創造」に関する本の出版やイベント、ワークショップに取り組んでいる。
そしてそんな研究の中に井筒俊彦が潜んでいる。まず確認できるのは影響を受けた人物の中に井筒俊彦がいるということ。そしてもうひとつは自身の研究会における文献の中に井筒俊彦の本が選ばれていることだ。
さらに実際井筒俊彦に関して「東洋哲学:井筒俊彦の空海論と月輪観瞑想体験セッション -(川島俊之氏)」というイベントも行っている。
それを踏まえた論文も記述している。(7th Asian Conference on Pattern Languages of Programs(AsianPLoP2018) , 2018)
Artと井筒俊彦
そして井筒俊彦の考え方を応用して作品を作っている人物もいる。SFC特別招聘教授の馬場淳だ。馬場はベルリンでビジュアルアーティストとして活動する傍ら、SFCで「現代アート概論」という授業を開講している。
公開されている授業内容からは「アートとコトバの関係性の学びを深める。 キーワード:アートの言語学的解釈、空海、井筒俊彦、深層言語」と、井筒俊彦についての言及もある。
またSFCでの公開講義がYoutubeにあがっている。53分のところで、井筒俊彦のことが触れられており、Artと井筒の関係性を探求することができるだろう。
結論:SFCにおける応用井筒研究の妥当性
以上、長くなったが「SFCと井筒俊彦の接点」という題でその関わりを辿った。SFCにおける井筒俊彦とは応用研究的性質が強いことが示されたと私は考える。
はじまりはSFC以前に遡ることが可能であり、井筒俊彦を応用した独創的研究者として江藤淳、鈴木孝夫を挙げた。そして井筒俊彦の応用は外国語教育へと応用され、鈴木佑治、井上輝夫に強く影響を与えた。さらに、書籍を通してその影響を超克する独創的な研究者として河添健、井庭崇、馬場淳が挙げられた。
井筒俊彦は薫習し、SFCという特殊なトポスを創り上げた。特筆すべきは、どれもただの継承者ではなく、超克し独創的な人物へとなったことではないだろうか。
私が好きな井筒俊彦の言葉に次のようなものがある。
SFCの応用井筒研究はまさに創造的誤読に他ならない。井筒俊彦が西脇順三郎をそうしたように、今我々も井筒を創造的誤読する必要があるのだ。
SFC Izutsu Study Groupにおいて何ができるか考えていきたい。
(滝本力斗)
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