日記(2023/10/3):今まで作って来た数学読書要約の図を整理していたが、一里塚までは行ったので、おめでとう、という気持ち_2
2.今朧気に見えている数学基礎論の全体像(たぶん問題があるので後日直す)
今朧気に見えている数学基礎論の全体像は、こんな感じです。
2.1.(記号化されていない)論理学の世界
まず、(記号化されていない)論理学というものが出てきます。
2.1.1.変数等
数学的対象としては、
変数(「主語」や「述語」になりうる抽象的なもの)
結合子(一般には「(論理学における)ならば」「ではない」「または」「かつ」)
量化子(一般には「(論理学における)とある」「すべての」)
等がとりあえずまずあることとします。
「これら三つの関係は何か」とか「これらの前に何かあるか」とかも面白いトピックですし、その辺も私の関心事ではありますが、まあざっくり「これらはそういう何か数学的対象というやつのバリエーションです」ということにしてしまいます。
2.1.2.論理式
そこから作られる論理式というものがあります。
平易に言えば、「主語となりうるものは、述語となることをする」というものです。非常に簡単な文であり、(論理学における)文と呼ばれる前段階のものと思って下さい。
これが、いわゆる式というものの最も根本的な在り方です。
ここから実は後々方程式なり多項式なり、学校でやった式っぽいものが作れるのです。
2.1.3.(論理学における)文
が、差し当たり、論理式からは(論理学における)文が作れます。
非常に雑な話をすると、(論理学における)文には、単なる論理式とは異なり、「そうである」か「そうではない」が設定できます。
これは、物事について「そうなのか?」と問いかける時に「正しい」「誤りである」と答えられるようであってほしい時には決定的に重要な性質です。
というか、人は論理学に対して、これができることを(も)期待しているものです。
***
論理式の中で文となるものの絞り込みを行う、あるいは論理式を文に加工する方法は、以下の通りになります。
「xはアイスティーを飲む」
という論理式(ふつうの自然言語で書いてますが)について「そうなのか?」と聞かれても、これは「そうである」とも「そうではない」とも答え難いです。
何がいけないのか。xがいかなる対象にもなりうる類の変数だからです。
これを確定する方法は3つあります。
1つ目はシンプルで、この変数の表す対象を1個に固定してしまうことです。固定された対象を定数と呼んでも良いでしょう。こうすれば、上の論理式は例えば「私(犬神工房)はアイスティーを飲む」になり、今この記事を書いている私(犬神工房)はアイスティーを飲んでますので「はい」になります。
2つ目は「ある人がアイスティーを飲む」にすることです。場の取り方にもよりますが、まあこれも真偽が確認できます。
3つ目は「すべての人がアイスティーを飲む」にすることです。場の取り方にもよりますが、まあこれも真偽が確認できます。
2つ目と3つ目は、変数の対象を固定しません。その上で、「(論理学における)とある」と「すべての」で加工することで、真偽が言えるようにしています。
量化子には、真偽を確定できなくする元凶である、いわば自由な変数を、このように束縛することによって、真偽を確定させる。という(パッと見に奇妙だし、よく見ると面白い)性質があるのですね。
抽象的に思考する場合、具体例をいちいち考えないで済むと便利ですので、論理学では2つ目と3つ目は頻繁に使用されます。
ともあれ、こうして論理式を文に書き換えることができます。
2.1.4.公理
正しそうな文を用意し、公理と呼ぶことにします。後で証明ということを行う際に、出発点となります。
実用的には、あることを言いたい時に、最低限要求される性質をまず公理で描き、そこから証明によってあることを言おうとします。
ちゃんと言えたら、その公理は「とても正しそう」ということで生き残ります。また、これが別のことを言う時に応用が利いたりすると、さらに残りやすくなったりします。
人は論理学に対して、「正しいことから正しいことを導く」ことも期待しているため、この手の「とても正しそうなこと」は強く求められています。
2.2.集合論の世界(下級:集合から有限集合まで)
2.2.1.集合
既知の「正しそうな文」にはいくつかありますが、その中である目的に適したものがあります。
何か?
「これらの公理で数学の究極の素材の持っていてほしい性質を描き切り、その数学的究極素材の組み合わせで実用的な数学を扱い切りたい」
という動機です。
確かにそれが達成できれば大変嬉しいでしょう。多種多様な数学のジャンルを、統一的に扱うことができる訳です。
ある数学者たちは集合というものを数学の究極の素材と見立て、この路線で大きな成功を収めました。
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集合については、人によっては高校で学ぶと思いますが、改めて。
極めて大雑把にしか説明しませんが、集まりとは直感的に言えば中身を持てる数学的対象です。
中身を持てる機能のことは所属、中身となるものは元あるいは要素と呼ばれます。
中身がたまたま集合である場合、中身を持てる機能は包含、中身となる集合のことは部分集合と呼びます。
これが集まりに関する基本的な数学的対象になります。
ふつう、集まりが集合と呼ばれるためには、2つの性質のどちらかを備えていなければなりません。
「中身を直接入れた」集まりを外延と呼びます。これは「全く同じ中身たちから成る集まりたちを同一視する」外延性公理に従って作られます。
「中身を論理式で特定の性質を持つものに指定した」集まりを内包と呼びます。これは「矛盾しないように制約をかけた上で、特定の性質を持つ集まりを作って良い」内包公理=分出公理に従っています。
ふつう、集合とは外延と内包の両方の総称です。
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このように、集合の性質と、集合で数学を作る際に必要な、他にもいくつかある公理の集まり、公理系の性質について扱う、公理的集合論という数学の分野があります。
2.2.2.自然数、自然数全体の集合、濃度、有限集合
現在広く通用している公理的集合論の流派、ZFC公理系だと、こうした集合から実用的な数学を作るための公理が9種類あります(これらの公理がどのようなものかについては、煩雑になるので説明しません。ただし、この中の外延性公理と分出公理=内包公理については説明した通りです)。
これらを上手く積み上げることで、
あまりにも基礎的かつ抽象的過ぎてふつう認識されることのなかった、空集合や対や関係や写像などの数学的対象や、
おなじみの自然数や、
よく考えればあるはずである自然数全体の集合や、
集合のサイズ、濃度や、
ふつう我々にも数え上げられる程度のサイズの集合、有限集合が作れます。
2.3.記号論理学の世界
2.3.1.記号、記号論理学
ここまででもかなり大きな成果です。何しろおなじみの自然数や有限集合が作れるのですから。
しかし、実はこれでは困るのです。おなじみの自然数の個数が、まだ扱えないのです。
パッと見に、
「有限集合のサイズを自然数で表したものが個数である。ということじゃダメなのか?」
と言いたくなるかもしれません。
実は、
「本当にこのミカン3個の袋とリンゴ3個の袋とバナナ3本の袋が同じ個数だと言えるか? 多くも少なくともないと言えるか? そこの保証はどうするのか?」
という、「同じサイズ」(同濃度)の説明をする時に、もっと高度な説明が必要になってきたりします。
実は、有限集合とそれまで作ってきた数学的対象から、(数学で考えられている)記号を作ることができます。
それによって加工された論理学、記号論理学というジャンルが可能になります。
それでは、この記号論理学なら同濃度を定義できるのか?
実は、もう少し、仕込みが要ります。
2.3.2.定義による拡大、記号化されたZFC公理系
さて、今更ですが、ZFC公理系では、変数、結合子、量化子の他にも、等価と所属の機能が必要になります。
これらは記号化できます。具体的には、おなじみの等号("=")と、高校で見たことがあるかもしれない所属の記号("∈")になります。
記号化されていない等価と所属は、他の変数等同様、なんか素性は分からないが、ともかく何らかの数学的対象であるとして、今まで使ってきていました。
等号や所属の記号も、他の変数等の記号同様、何らかの記号であるとしたい。
そしてこれでZFC公理系固有の論理式を記号化したい。
そういう風にして、記号化されたZFC公理系というものが、作れて然るべきです。
また、後で使うのと、例として便利なので、自然数全体の順序的代数系と記号化された自然数全体の順序的代数系の話をします。
自然数全体の順序的代数系とは、自然数全体の集合で、大小関係と足し算と掛け算が成り立つように強化したもののことを言います(なお、引き算は足し算から、割り算は掛け算から作ることが出来ます)。我々にとってはおなじみですね。
記号化されていない大小関係と足し算と掛け算と所属は、こちらは実は今までの過程で作ることが可能だし、使っても来たものなのですが、記号化されていない何らかの数学的対象であることは、ZFC公理系のときと変わりありません。
大小関係や足し算や掛け算の記号も、他の変数等の記号同様、何らかの記号であるとしたい。
これで、自然数全体の順序的代数系固有の論理式も記号化したい。
そういう風にして、記号化された自然数全体の順序的代数系というものが、作れて然るべきです。
***
さて、等号と所属の記号から自然言語の文を素直に作ると、
「aとbは等しい」
「aはbに属する」
という形になります。
大小関係や足し算や掛け算の記号から自然言語の文を素直に作ると、
「bはaより大きい」
「aとbを足すとcになる」
「aとbを掛けるとcになる」
という形になります。
これらのうち上2つと下の1つ目は一般的には2項関係、下の2つ目と3つ目は2項演算というやつです。
それでは、2項関係や2項演算を扱える記号ってないのか?
ないと記号化されたZFC公理系や記号化された自然数全体の順序的代数系は構築できません。
さて困った。どうするのか?
***
変数と論理式の間に中間項として項というものを定義します。
変数とは「何かになりうるもの」のことでした。また、これを記号化したもの、すなわち変数記号については既に書きました。
そして、定数すなわち固定された「何か」を記号化して定数記号で表します。
原始的にはこの2つが項です。
関数記号とは「穴があり、そこに項を入力したら項が出力される」機能があるものです。これによっても項が作れます。
よく見ると、2項演算は「2つの項aおよびbを入力したら項cが出力される」ので、これのバリエーションであることが分かります。
つまり、2項関数記号は、2項演算を扱える記号として使えます。
述語記号とは、「穴があり、そこに項を入力したら記号化された論理式が出力される」機能があるものです。これによって、記号化された論理式が作れます。
よく見ると、2項関係は「2つの項aおよびbを入力したら「aとbは等しい」とか「aはbに属する」とか「bはaより大きい」とかの文が出力される」ので、これのバリエーションであることが分かります。
つまり、2項述語記号は、2項関係を扱える記号として使えます。
煩雑になるのでこれ以上は詳しく説明しませんが、少なくとも「こうした関数記号や述語記号は利用可能な記号として問題なく追加できる」ということだけ覚えておけば結構です。
関数記号や述語記号を使用可能な記号として追加する手法を、定義による拡大と言います。
さて、これにより、記号論理学を特に上級の集合論に使えるよう拡大した、記号化されたZFC公理系が可能になります。
実は、記号化されたZFC公理系と記号化された自然数全体の順序的代数系の話は、後であまり嬉しくない形で出て来ます。
2.4.集合論の世界(上級:同濃度から可算基数まで)
2.4.1.同濃度、個数、可算基数
とりあえず、記号化されたZFC公理系には有り難みがあり、
先に述べた同濃度や、
個数(ふつう義務教育では自然数と統合的に扱っても問題ありませんが、厳密には分けます)や、
可算基数(自然数全体の集合のサイズに等しい、最小の無限個)を作るために必要になったりします。
個数が数えられると、生活にかなり合った実用的な数学になりますね。
2.5.数理論理学(モデル理論と証明論とそれらの関係)の世界
2.5.1.(モデル理論における)無矛盾な文全体の集合と(証明論における)理論
さて、サイズを数で表すと可算基数になるような集合を、可算無限集合と呼びます。
可算無限集合はたくさんありますが、例えばここで記号化された変数の集合が出てきたりします。
どういうことかというと、これが可算無限集合でない場合、様々な数学の分野に使うための実用に堪えなくなるのです。
今回は数学に使いたいので、可算無限である記号化された変数の集合を仮定します。
***
可算無限集合である記号化された変数の集合を備えている記号の集合を準備したら、そこから下の2種類の記号化された文の集合が作れると便利になります。
真偽が言い切れる、記号化された文全体の集合を、(モデル理論における)無矛盾な文全体の集合と言います。
記号化された公理系から、記号化された証明で得られる、記号化された文全体の集合を、(証明論における)理論と呼びます。
2.5.2.モデル理論と証明論
さて、記号論理学より上位の論理学として、数理論理学と呼ばれる分野があります。
これはさらに細分化可能で、概ね
(モデル理論における)無矛盾な文全体の集合を求めて、既存の数学の各分野をも記号化して「正しい」「誤りである」を言い切れるようにするモデル理論と
(証明論における)理論を求めて、問題なく「正しいことから正しいことを導く」ことができるかを検証する証明論と
これら2つが都合の良い関係にあるかないかを探る分野(何て呼べばいいんだろう)があります。
私より詳しい方はひょっとしたらこの分け方に「そうじゃない」と言いたくなるかもしれません。
というより、そもそも記号論理学と数理論理学をこんな風に分けること自体にご不満があるかもしれません。
だとしたらごめんなさい。私の説明の都合上の暫定的な分け方です。
***
2.5.3.ゲーデルの不完全性定理
さらに達成していたいのは、無矛盾な文全体の集合と理論との間に、都合の良い関係が成り立っていることです。
ある記号化された文の集合に基づいて、ある記号化された文の「証明ができる」と、ある記号化された文の集合からある記号化された文の「真偽が言える」、いわば「健全」であるし、
逆も成り立つ。すなわち「真偽が言える」と「証明ができる」、いわば「完全」であるという性質です。
この2つがしばしば求められます。
要は、こうです。
無矛盾な文全体の集合と理論の両方いいところどりである、無矛盾な理論というものが作れるとします。
健全と完全が両方成り立つ、「健全かつ完全」であるという性質を持てた場合、無矛盾な文全体の集合と、理論と、無矛盾な理論は、全部一致する。ということになります。
もし数学の全ての分野でこうなら、こうでなかった場合に比べて、作業量はうまく行けば3分の1くらいに減るでしょう。
***
さて。
こんなことをわざわざ言う以上、何となく予想がつくでしょうが、記号化された数学の各分野は、しばしばこんなに便利になってはおりません。
例えば前に述べた、記号化されたZFC公理系や記号化された自然数全体の順序的代数系には、実は問題があります。
ゲーデルの第1不完全性定理
「特定の条件を満たしたとする」
「この場合、真偽の言い切れる文からは証明できない、しかし真偽の言い切れる文が、何かしら必ずある」
「つまり、無矛盾な文全体の集合は、無矛盾な理論より、常に大きくなってしまう」
ゲーデルの第2不完全性定理
「特定の条件を満たしたとする」
「無矛盾な理論から、「無矛盾な理論である」という文を証明することはできない」
「つまり、無矛盾な理論は自分の正しさを自ら保証できないようになっている」
なお、歴史的にはこれは記号化された自然数全体の順序的代数系の性質として発見されました。だからこの話をしてきた訳です。
(詳しくは説明しません)
2.5.4.コーエンの強制法
これらの性質を持つ、記号化された数学の各ジャンルが、他にもいくつもあるため、無矛盾な文全体の集合と理論と無矛盾な理論が一致しないことが多々あります。
そして、少なくとも証明論的な、特に理論による手法は、モデル理論的に無矛盾な文全体の集合を探る時に、基本的には役に立ちません。
学校で証明をやらされた経験のある方も多いでしょう。
数学では分からない事柄は証明して分かるようにするのが重要な手法なのでした。
しかし、この手はこの場合は効かない。
無矛盾な理論からはみ出す無矛盾な文を扱う手段は、何かないのか?
***
当たり前ですが、数学の各ジャンルでは、特定の数学的対象を扱います。
モデル理論の観点からは、特定の数学的対象を扱う文全体の集合にも、残らず真偽を割り当てられて然るべきです。
この、文に真偽を割り当てるルールの集合を、モデルと言います。
ところで、記号化されたZFC公理系にも、モデルが当然あります。
これの特定の条件を満たした部分集合を取り出し、さらに特定の方法で拡張すると、奇妙なことができます。
「本来その理論では証明不能なこと」を扱えるようになるのです。
その中には
「公理系が無矛盾である時、ある文を公理系に追加しても、全体としては無矛盾のままであること」とか
「ある文が公理系から原理的に証明不能であること」とかが含まれます。
これはつまり、無矛盾な理論からはみ出す無矛盾な文を扱うことができているのと同じことです(制約はありますが、煩雑になるので説明しません)。
この手法をコーエンの強制法と言います。
2.5.5.連続体仮説、ススリン仮説
なんとこれが、高校でやる実数全体の集合を加工して作る、おなじみの直線の性質を定義するのに効いてきます。
これが定義できればもちろん、面等の、また一般に幾何学の数学的対象の定義に効いてきます。非常に大きなポイントになります。
どう効いてくるのか?
***
まず、連続体仮説という文の話をします。
「実数全体の集合の基数は可算基数の次に大きい。次の次とかそれ以降とかではない」
というものです。
歴史的経緯で言うと、さっきの強制法は、「ZFC公理系からは連続体仮説は証明できない」ことを証明する時に使えるのでした(なぜかの説明は煩雑になるので避けます)。
さっきも書きましたが、真偽が言えるが証明不能であるという文はありえます。
その場合、証明できないから説明できませんし、こちらには真偽が分かりようもありません。
ということで、連続体仮説の真偽は相変わらず分からないままです。
***
「直線の性質を弱めたある線が成り立つ」(ススリン仮説の否定)か
「直線の性質を弱めたある線などというものは成り立たず、それは結局は直線と同じである」(ススリン仮説)か
という2つの仮説があります。
ススリン仮説は連続体仮説から出発して何段階かの証明の果てに得られます。
これは直線の性質を表すものだから、分かっていたい、と思ってしまいます。
結論だけ言うと、どちらも真偽は分からないままです。
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とはいえ、実用のためには、
「直線は、もしススリン仮説が真であった場合、仮定される弱い線と同一である」
「直線は、もしススリン仮説の否定が真であった場合、それをある性質で強化したものと同一である」
という風に、場合分けした上で適正な処理を行って網羅的に扱えば、それで直線の性質を問題なく説明したことになります。
ずるい? そうかな…そうかも…
2.6.直線、ユークリッド空間、幾何学
ということで、おなじみの直線をはじめとする、やはりおなじみのユークリッド空間と、そしてその中で展開されるおなじみの幾何学が扱えるようになりました。
これらは一見おなじみなのですが、直線に限っても、深掘りすると、数理論理学までをも要求する、かなり大変な代物だったのだ。ということを、何となく察していただければ幸いです。
3.未来へ…
ということが図で書いてあるグラフを、ここ一か月ウンウン唸りながら、有向グラフ描画アプリGraphVizと有名プログラミング言語Pythonを使って、たくさん作っていたのでした。
***
本当は線形代数とか微積分とか、より高度な数学のジャンルも扱わねばならないのです。
が、そもそもそれらのジャンルに至っては本すら読めてないので、それは今後の課題ですね。
いつかはそれを補った図が作れればいいなと思います。頑張ります!
(この記事これでおしまい)