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随筆(2020/9/3):クソリアリスト、ストレスに死す(そんなやつのどこが適応的なんだ)1.他人にも自分にも嘘をつきたくない気持ちのメカニズム(の一部)

1.他人にも自分にも嘘をつきたくない気持ちのメカニズム(の一部)

1_1.綺麗事、嫌い

綺麗事を聞くと

「ケーッ! 人に何かをやらせたいのに、綺麗事で誤魔化すやつ、相手だけでなく自分自身に対しても嘘をつくんだから、一ミリも信頼に値しねえんだよなあ!」

と思ってしまう。

そんなことって、ありませんか。

(ちなみに、「そういうのは良くないですよ」という記事が、以下のこれです)

1_2.他人に嘘をつきたくない

自分は出来るだけ他人にも自分にも嘘をつきたくない。

嘘を吐くスキルが低いから。というのもあるが、まあ嘘が嫌いなんですよ。

嘘、大げさ、紛らわしい文言(JAROか?)で、誰かの判断をバグらせて自分が利益を取るの、信頼のない人間関係の社交や処世では常套手段かもしれないが、そして俺は信頼のない人間関係でやってきている人だが、そういうことをしている限り、信頼の構築は無理だ。

(ただ、まあ、信じすぎても食い物にされるからね。現に、俺を受け入れている職場は、俺を食い物にすることに、最近何ら躊躇がなくなってきている。もちろんこちらも断固食い物にされたくないんですが…)

1_3.自分にも嘘をつきたくない

1_3_1.なぜ自分に嘘をついてしまうか

まして、自分に嘘をつきたくない。

たいてい、自分に嘘をつくのは、何かしたいが力及ばず出来ない時か、何かしたくないが力及ばずやることを余儀なくされる時だ。

で、「しょうがない」と思うために、「お前が無能だから。これが現実だから」というのを認めるのは、ものすごく呪わしいことだ。

「お前は生きていく能力がなく、これは周囲に総攻撃されて社会生命を絶たれるに値する落ち度である」ということを受け入れるのと、ほぼ同じ意味合いがあるんだから。

***

ここで、一瞬、「そんな馬鹿な」と思うだろう。

だが、ある種の人たちにとっては、「誰か他人が、仕事の出来ない人だった」というのは、「作業の存在する組織において、中長期的な組織内人間関係を結ぶに値しない」というのと同じ意味合いを持つ。

これは、そうなんだ。おっかないんだ。

これはそのうちすぐに「中長期的な人間関係を結ぶことを余儀なくされると不愉快だ」「そのための努力のコストは自分だけの持ち出しになっている」という不平不満を生み出す。

まー、こんな嫌な気持ちをもたらすやつなんか、そりゃあ袋叩きにも遭うわな。

***

愛嬌があれば、ある程度無能でも生きていける。という話は、実は中長期的にはかなり怪しい。

仰る通り、人間関係というものは、短期的には好意によるところが大きい。

だが、そんなことでは中期的な人間関係を部分的にしか維持することができないし、長期的には何の役にも立たなくなるだろう。

中長期的な人間関係には、使い捨ての短期的な人間関係ではない以上、何らかのゴミのような面倒事と、中長期的な人間関係を維持するために面倒事をどうこうする作業が、避けがたくついて来る。

少なくとも、こういう甘言に身を委ねるのは、危うい。

***

そんな訳で、現実の自分の才能の無さを認めるのは、慣れるまではとてつもなく恐ろしいことだ。

だから、誤魔化す。

1_3_2.自分で自分を死地に追いやるの、そりゃあ嫌ですよ

でも、そんなことすると、自分が自分を誤魔化していることになる。

自分が無能だろうが何だろうが、周囲には案件が転がっていて、下手するとそれは牙を剥いて今すぐこちらに襲い掛かってくるものだ。

逃げるか、防ぐか、取っ組み合いをするか、選ばなければならない。

どれも体力気力のリソースをカードとして切ることになるし、疲れる。

で、そんな時に、「そういうことは見なかったことにしてよい」?

何で? 自分が襲撃されて殺されるのに? ノーガードでリラックスして突っ立ってて、大丈夫な訳がなくないか?

これで自分が精神的に轢死したらどうなるか? 「自分が自分を死地で丸裸にさせて、無事死亡」ということにしかならねーだろ。

疲れているなら逃げろよ。温泉やサウナへ行って回復でもしてろよ。死地でぼんやりしてるんじゃあない。

***

まあ、頭がぐちゃぐちゃになっていると、それも難しいんだが。

でも、ぐちゃぐちゃになって焦燥感のある頭を、ぐちゃぐちゃのまま思考停止で麻痺させても、頭はぐちゃぐちゃのままだから、何も事態は改善しないんですよ。

ストレスは減る? 脳裏にぐちゃぐちゃが認識出来ている限り、ストレスはなくならない。

というか、ぐちゃぐちゃが認識すらできなくなったら、事態は「悪くなった」訳だ。

だって、死地で「バグって」ぼんやりしているんですよ? オイオイオイ。死ぬわアイツ。

ますます、安全な風呂場でぼんやりして、脳からぐちゃぐちゃを薄めていく方が、よっぽどいいですよ。そういう時は。

1_4.他人にも自分にも嘘をつきたくないのは、適応、生き残りのためだ

自分の中の「他人にも自分にも嘘をつきたくない」という気持ちには、そういうメカニズムがある。最近はそういう見え方になっている。

平たく言うと、俺が他人にも自分にも嘘をつきたくないのは、適応、生き残りのためだ。

1_5.クソリアリズムが適応を損なうこともありうる。じゃあ、そんなもん、要らねえ

だが、さっき否定した「ストレスを誤魔化す」ことを、断固としてしなかった結果、後でそのストレスが心身をボロボロにして、酷い目に遭うことがある。

酷い目に遭うようでは、生き残りは覚束なくなる。そんなクソリアリストの、どこが適応的だ。

そういう罠の話を、ちょっとしていきたいと思います。乞うご期待。

(続く)

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