随筆(2020/9/13):適切な抽象化、難しいですね
1.試行錯誤をする
何かして、失敗したら、個々の事例を
「これは、こういう傾向のパターンや、法則として通用するルールを持ってるんだな」
という風に、パターンやルールにまで抽象化して、次はその通りやって、うまくいったらよし、ダメだったらまたパターンを取り直し、次の次はもうちょっとうまくやる。
というのが、試行錯誤の基本となります。
2.試行錯誤が悪意によって撹乱される場合
ですが、これにはいくつかうまくいかない場合があります。
一つは、失敗を指摘した側に、悪意がある場合です。
何やってもダメ出しする人の言うことを聞いていたら、そこからパターンやルールを抽象することは、まず不可能になります。
だって、そこから出て来るパターンやルールは、
「お前の意志は常に否定されてあれ。お前は自由意志を持つな。そして、私の恣意の通りに動け」
にふつう収斂される。
これをパターンやルールと言い放つのだとしたら、
「恣意にパターンやルールがあるのか?
ふつう、そんなもん、ないだろ? 本当に恣意である以上は。
じゃあ、お前の命令が、恣意なのか、パターンやルールなのか、どっちなのか、はっきりしろ。
曖昧なやつが曖昧なことを言ってるんじゃねえ。
基本的に、明瞭に言語化出来ない愚劣な指揮官の命令、論外だろう。
顧客なら、読解してもらう分も含めて、割増で高い報酬を払え。
どちらも出来ないなら、聞く謂れ、一ミリもありゃしねえよ」
という返ししか出来ないじゃないですか。
3.抽象化が低いので試行錯誤がうまくいかない場合
もう一つは、抽象化が低かったり高すぎたりする場合です。
パターンは分かっても、ルールが分からないことは、あります。
最悪、「個々の事例のやり方」は分かっても、「似た事例のやり方」は全く分からない。ということがあります。これではパターンすら分からない。
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基本的な功夫(ゴンフー)として、
「体当たりでハードにやっていきながら、個々の事例の、大小の印象に残った、いろんな側面、性質を見ていく。
それらの側面がどんなものか、この場合はどのようにすればより良さそうなのか、押さえておく。
そして、別の事例で活かせる側面だけ活かす。これでそこについてはそれなりに楽になるだろうし、ひょっとしたら質的にもうまくやれるかもしれない。
活かせないものは活かせないので、そうなったら結局は体当たりでハードにやっていかざるを得ない。やっていきましょう」
というのがあります。
これをやっていくと、「似た事例のやり方」は少しずつ出来ていきます。
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この「個々の事例の、大小の印象に残った、いろんな側面」、特に「個々の事例のやり方」と「似た事例のやり方」に共通しているものこそが、ルールだと考えて下さい。
場合分けはもちろんありますが、ざっくりと
「この側面がある場合は、こうすればよりよい、楽だ」
という話は、そのうち否応なしに見えてくると思います。
これこそが、ざっくりとした場合分けにおける、その場合に共通して通用する、ルールである。ということです。
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「楽が出来ると有難い」というニーズは、ものすごく強いものです。
だから、それに利するスキルは、ガンガン身に着けていきたくなるでしょうし、そういうニーズに正直になっていくと、気が付いたら身についていくものです。
いずれ、それらの事例は、昔に比べれば、はるかに楽なものになっていることでしょう。こいつは、途方もなく、嬉しい。
いろんな場合分けでの抽象化されたルールが見えていれば、その通りにやらなかった時より、その通りにやった時の方が、仕事は相当楽になっていることに気付くはずです。
ルールを守れば、それらの場合は、「常に」若干効率が上がる(上がり方にはばらつきがあるが、上がること自体は一貫して上がる)。
これは、外からは、「様々な事例に、柔軟に対応出来ている」と呼ばれる状態です。こうなればしめたものです。
楽にいろいろやれたら、それはつまり、「自分の能力がある意味で上がった」ということである。
こうなれば自由度はかなり上がるでしょう。やりたいこともやりやすくなる。これが大事。
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(たいてい、働いているうちに、割り振られる仕事は増えるから、全体として楽になっているかどうかは微妙ではある。
だが、ルールを習得すると、たいてい給料を上げる交渉に効いて来るので(あるいは、給与担当者が査定を真面目にやっていた場合、あらかじめ給料を上げてくれるので)、利益はかなり大きくなる。
それに、楽になるスキルを磨かなければ、いずれにせよキツいままだ。
まして、そんなスキルのない中で、仕事が増えたら、豚のような悲鳴を上げて、激しい苦痛を伴って、グシャグシャになって潰れることになるだろう。
これは本当に避けた方がいいですよ。こうなってから回復するの、べらぼうに無駄な時間と治療費がかかるし、いくつかは治らないから、ますますキツくなる。負のスパイラルに陥る。という寸法だ)
4.抽象化が高すぎて試行錯誤に効いて来ない場合
さて、しばしばある、ツライ話をします。
理論系の学者は、抽象化をすることに興味があり、そこに向かって努力を積み重ねます。
が、せっかく得られた理論を実践に使う時に、うまくいかないことがあります。
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抽象的な話は、解像度を落として、なお残る、余程大事なものです。
その最たるものとして、何らかの、真理というものがある訳です。
(真理の抽出を目指す真理論は、今のデファクトスタンダードの論理学である一階述語論理では、ある組み方をすると速攻で矛盾する、という大きな問題があり、これを解決するためにある種の哲学者たちはスゲエ苦労しています。とはいえ、この努力が無駄だとも言い切れない。なんか知見がもたらされるかもしれない)
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ですが、抽象的な話は、
「こうでないものはまずダメ」
という話ではあっても、
「こうであればダメにはならない」
という話は、別にしていないわけです。
それは、結局、具体的にやるしかない。
目利きの解像度がメチャクチャ低い、真理しか見えない人が、具体的な実践を個々の事例でやると、ものすごい遠回りになる。途中で膨大な失敗もありうる。これは、残念ながら、避けられないだろう。
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「偽を避けなければ必ず失敗するが、真を選んでも失敗しない訳ではない」
という、つまりは
「そんなのアリかよ。予防線貼るくらいの意味合いしかねーじゃねーか」
という、そういうとてつもなく受動的な、弱いものなのです。真理というものは。
(画像はそんな弱い真理を実践に持ち込もうとして失敗しまくる救世主気取りの人が、最終的に諦めるところ)
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具体的な事例の実践、やんなきゃなんねえ。
その際に、抽象化、特に小のパターン化や中のルール化、これも出来れば、やんなきゃなんねえ。
大の真理化も、余力でできるんなら、した方がいいかも知んねえ。
丸っきりダメなルールを後生大事に抱えていると、後で大規模に破滅する。だから、そこから逃げるには、弱い真理、おそらく強い効果があるしな。
まあ、やっていきましょう。