創作メモ(2020/3/10):シチューを忘却して肉じゃがを発明する訓練
何かネタを思い付いたのに、忘れてしまった。
ナントカ思い出そうとして、似たようなかけ離れたような成果物が出来上がってしまう。
ということが、時々あるじゃないですか。
あれ、脳をメチャクチャ使うんですが、創作の鍛練になるし、新しいネタが生まれてくるから、あれはあれで一種の得難い経験なんですよ。
ということで、ネタをメモ帳に書き留めておくのはとても大切なことで、是非やっていくのですが、
「あっあれ何だったっけ、忘れてしまった。思い出せない」
となったとき、直ちにメモ帳の走り書きを探す「のではなく」、ぐっと堪えて、思い出す努力をしてみるのも、大事な功夫(ゴンフー)かと思います。
思い出せたらもちろんそれはそれで大いによし。
思い出せなかったので思い出そうとしてひねり出したものは、原型とは似ても似つかぬものかもしれない。
だが、それはシチューのレシピから肉じゃがを作るみたいな、何らかの発明につながる。
(「東郷平八郎元帥海軍大将が、留学先で食ったシチューの味を、赴任先の舞鶴市か呉市で、うろ覚えの記憶を元に、軍艦の料理長に作らせた」という都市伝説は有名だが、旧海軍港湾都市である舞鶴市や呉市の町興しのためのダミーストーリーであるとされる。まあ、説明上の都合のために、喩えとして使っています)
https://ja.wikipedia.org/wiki/肉じゃが
(ちなみに下の画像はタイトー本社をプレゼンテーションで説得するためダミーストーリーを作ったことで有名なハードSF横スクロールシューティングゲーム『メタルブラック』です)
(話が飛びすぎでは…?)
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想像力を羽ばたかせて、何かを思い付くことは、ふつうは自分で自由意志(と呼んでいいようなもの)でコントロールして考えているものです。
また、これは意識が伴うものではあります。
が、それが記憶として根付いてくれるかは、また別の話です。
特に、連想とかでフッと「閃く」類いの思い付き、ありますよね。
あれ、意識はしていても、自分でコントロール出来ないんですよ。
で、基本的には記憶に残らない。
作業記憶(意識していて、少しの間は覚えているし思い出せるが、時間が経つと揮発する短期記憶)からエピソード記憶(あの時あそこで何をしていたか、という長期記憶)に焼くか、作業記憶から揮発する前にメモ帳に残しておかないと、この手の閃きは容赦なく揮発します。
作業記憶からエピソード記憶に焼く工程は、それ自体、意識を向けて己の意志でガッツリやることです。
なので、そうなるともう大々的にコントロール下になり、フッと閃くことはまず不可能になります。
強いて思い出そうとすると、連想のキーワードを押さえておく、ということで、それなりの確率で思い出せるのです。
が、常に出来るとは限らない。
それに、連想のキーワードそのものを忘れたらもう本当にダメです(しかもこれはよくあることです)。
なので、「思い出したい」というニーズのことだけ考えれば、揮発しながら急いでメモ帳に書き留める。というのは本当に大事になってきます。
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で、それとはまた別に、「自分のコントロールしていない、出来ない、連想や閃きというものがある」ということを弁えて、それとの付き合い方や呼び出し方に熟練しなければならない。
連想や閃きは、意識とコントロールの伴う想起では、取り出せないことがよくある。
というか、コントロール出来ないものなので、コントロールしようとすればするほど、永遠に引き出せなくなる。という恐るべき罠がある。
こればかりは意識やコントロールの力をそのまま使ってもダメだ。連想とか閃きとかの、非意識の付き合い方が、別にあるはずだ。その方面でやっていかねばならない。
そのために、上記の「シチューを忘却して肉じゃがを発明する訓練」みたいなことを、たくさんやらねばならなくなるはずだ。
これも、非意識の連想を、どうやって意識の思考と、部分的にでも同調させて、引っ張ってくるか。という行為だ。
これにより、連想というものに対する解像度を高める効果が期待できるのではないか。と期待したいところです。
非意識との付き合い方、いろいろなやり方がありそうです。いろいろ試してみて、やっていきましょう。