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【読書】会わずに死んでいく友人たちの人生について。

ミランダ・ジュライがどうしようもなく好きだ。初めて読んだ「いちばんここに似合う人」は絶対に手放さない一冊として本棚に並んでいる。あれは短編集だったけれどこちらはノンフィクション。写真つきのドキュメンタリーだ。

映画監督でもある彼女が脚本に行き詰まった結果、不用品の買い手をつのるフリーペーパーに載っている売り手の連絡先に電話をかけまくってひたすら家を訪ねていく、という奇妙な話。

ペニー・セイバー、というのがその冊子の名前で、つまり小銭稼ぎである。紙の媒体で、しかも電話番号が気軽に載っていて直接やりとりするなんて、ずいぶん古風だなと思う。ペン・フレンド募集、みたいな雰囲気。

例えば出てくるのは、皮のジャケットを売る性転換を夢見るおじさん。ウシガエルの卵を売る支援学級の青年。まったくの他人の家族アルバムを大事にする(しかしそれを売ろうとしている)女。理想の家族のイメージ写真(妻と娘)を切り貼りして壁にはる息子を持つ母親。

こうやって書いてしまうとそれこそただの切り抜きで、本に書かれているインタビューにしてもたった一度、半日にも満たない会話だけ。でもそこにある生の、彼らの辿ってきた道の、そして辿っていくであろう道に手を突っ込んでしまった感覚。こわい、逃げ出したい、でももっと見たい。

life、と思う。またはtime。人はこんなにもそれぞれだということの圧倒的な事実。果てしなく遠くて、なのにあまりにも近くて、めまいがする。会ったこともないのに秘密を交わした友人のような気がして、でも絶対に一生会うこともなくいつか忘れてしまう存在だと知っている。まるで何もかも無かったかのように。life。泣き叫んでしまいたい。

それにしてもアメリカのひとたちの開き具合に驚く。(すべからく、ではないだろうが。)なにも隠すことなんてないわ、というような座り方。ええ、いいわよ、が早い。そう見えるだけかもしれないけれど、羨ましかった。日本って閉じてるな、とつい思ってしまう。

だからか、昔よりも海外の小説にぐっとくることが増えた。どこにでもいる主婦がファック、となんのてらいもなく口に出すような無防備。感動の、とか心温まる、とかの枕詞がないのに痛いくらい掴まれる、あれはなんなんだろう。正直であることの強さと頼りなさがないまぜになっている感じ。

今回のも手元にある本の再読だったけど、「いちばんここに似合う人」もまた読み返したいし、「掃除婦のための手引き書」「最後の瞬間のすごく大きな変化」ももっかい読みたい。そうやって全然新刊に手が出せないでいる。

とりあえず頭がぼわぼわんすることなく久しぶりに一冊読み切れてよかった。書くことと同じくらい、読むことは私にとって生活の一部であったとよみがえる。そこでしか見れない景色があるように、そこでしか開かれない私がいる、と思う。今日もこれまでもこれからも本を愛していく。





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