〈CLASSICALお茶の間ヴューイング〉イーヴォ・ポゴレリッチ(Ivo Pogorelich)インタヴュー【2020.2 144】
■この記事は…
2020年2月20日発刊のintoxicate 144〈お茶の間ヴューイング〉に掲載された、ピアニスト、イーヴォ・ポゴレリッチ(Ivo Pogorelich)のインタビューです。
intoxicate 144
造物主の矢──ポゴレリッチの帰還
interview & text:青澤隆明
20年以上の歳月を乗り越えて、新しいレコーディングを世に問うたイーヴォ・ポゴレリッチ。ベートーヴェンのソナタop.54とop.78が2016年、ラフマニノフのソナタ第2番op.36が18年と、還暦をはさんでの録音だ。愛する師であり妻のアリザ・ケゼラーゼと死別する前年、1995年に収録した2枚を最後に停止していたレコーディング活動への久々の復帰作となった。
「これは、武器としての芸術です。芸術は武器である。このことは、サムライの概念をもつ日本人ならばおわかりでしょう。いましがた知ったのですが、“arrow” のことを日本語では“矢” というのですね。ヤ、というのは私の言語では一人称、私という意味です。私は、矢。ソニーはつまり、私という新しい音楽兵器をもったわけだ」とポゴレリッチは悠然と笑った。
ポゴレリッチと初めて話をしたのは2005年、療養期間が明けて6年ぶりの来日を果たした折だった。凄絶な孤独を帯びつつ、喪失の季節を彷徨する彼の演奏は従来にも増して異様なもので、それでも執拗な持続と濃密な構築のうちには、地底から這い上がろうとするかのような意志と葛藤が、残酷なほど強硬に宿っていた。このときも、彼は録音活動を近く再開する決意を語っていた。そのリサイタルにはラフマニノフの第2番が、2 年後の2007年の東京ではベートーヴェンのop.78が、09年のパリでは両者がひとつのプログラムを結んで演奏された。
変化の兆しが生命感のような光明とともに射してくるのは、もう少し先のことだ。2013年のオール・ベートーヴェン・プログラムでop.54、op.57、op.78を並べて演奏したとき、そして16年にラフマニノフの第2番を弾いたときには、テンポもずいぶんと遅滞を解いて、演奏の鮮明な表情からも、ポゴレリッチが新しい地平へ向かう心身の健康を回復しつつあるように感じられた。
「ラフマニノフのソナタを私はもう30年以上も演奏してきました。ベートーヴェンのop.78は11、12年前、op.54は5、6年前に学びましたが、この2曲を選んだ理由のひとつは、私にとってエニグマティックな作品だったから。ピアノ音楽史上の革命的な作品で、他のすべての作曲家に異なる方法で影響を与えた貴石です。楽器奏法上のことで言えば、音響の抽出に必要な新しい技巧を、長い修練の結果として身につけることを私は求めました」。
どうやって、これらの音楽の謎めく境を拓いていったのでしょう?
「いずれにせよ、それは響きの世界です。ベートーヴェンは音のエンジニアでした、ドイツ人らしく。そして、まったく私的な世界に入り込む側面もあり、科学者がラボで化学物質を混ぜ合わせるようなところもある。彼はピアノの響きを革新しました、和音の構造を通じたピアニズムを発明して。構造とは指のポジションのことで、非常に建築的に組織化されたもの。手こそが武器なのです。私の格闘は、すべての音に固有のクオリティを見出すことでした。ラフマニノフも同様ですが、私が希求したのは、すべてのディテールにおいても、全体としても美しいオブジェクト。そこでは、すべての音符、連繋や行間が、非常に透明で精密かつ正確であり、数学的に計算されている。それが私の目標です」。
ライヴとレコーディングはまったく別分野のリアリティだとポゴレリッチは言う。ここ東京にいると、なぜかいつもインスピレーションを受けるので、いまも次作の構想を温めているところだ、とも。
「人間の生活はミステリーです。人はつねに自分のもっていないものを望みますが、私は年相応の魅力的な側面に満足していますよ。私には芸術家としての成熟と活動が最重要ですが、それは長い道のようなプロセスです。フィジカルに言えば、大切なのはフレンドリーで、健康であること」。芸術上の探求において、ずっとインスピレーションになっているものは?「 もっとも重要なのは、動モティーフ機の誕生です。私は自分がみて、きたもののなかに答えを見出し、なにかをみてなにかをしたくなるのだと思います。私がある作品を演奏するポテンシャルを感じるとき、なにかを発見しつつあり、本能的になにかをみつける途上にある瞬間が重要です。それを生きたものに保ち、成長させ、さらに創造的なプロセスに向かわなくてはなりません。動機こそが最高のギフトです。火花が煌くモーメントに、なにかが始まり得る。ときにはどこかへ導いてくれるし、ときにはただ消え去ってしまう」と、巨人は大きく笑った。
■イーヴォ・ポゴレリッチ(Ivo Pogorelich)プロフィール
1958年ベオグラード生まれ。1981年のカーネギーホールでのデビュー以来、世界中で活躍、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロンドン響、パリ管、シカゴ響、ボストン響など世界有数のオーケストラと共演を重ねている。若い人への教育にも熱心で1986年にはクロアチアに若い演奏家をサポートするための財団を設立。1989年から開催しているドイツのバート・ヴェリスホーフェンでのポゴレリッチ音楽祭では若い音楽家たちに著名な演奏家と共演する機会を与えている。また赤十字やサラエヴォ再建、癌や硬化症と闘う人のためにも多くのチャリティ・コンサートを行っている。1988年にはユネスコから親善大使に任命された。
『ラフマニノフ: ピアノ・ソナタ第2番&ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第22・24番』
イーヴォ・ポゴレリッチ(p)
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