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通訳は生き残る仕事なのか。
希望捨てるべからず。
AIに奪われる仕事。どうやら通訳も、例外ではなさそうです。せめて自分が生きている間は残っていてほしいものですが、待ったなしにも見えます。
昨今の入国制限で通訳者が必要な場が減っているのは一時的なものだとしても、やはり長い目で見れば、以前のように人間の通訳者が長期間、長時間必要になる機会は減っていくでしょう。ただ、希望を失っているわけではいません。
人だからこそできることがあるからです。
機械 VS 人間。勝負の行方は…
国際化が進むことで外国人とのコミュニケーションの機会は増え、分野が細分化されることで、通訳の裾野が広がりました。駆け出しの通訳者にとってはありがたい環境でした。
しかし技術の進歩により、機械に任せた方が速く正確に訳せるものが出てきて、しかも急速に精度が上がっています。正直なところ、書いてある内容がざっくり知りたいときは機械翻訳に頼ることもあります。(もちろん、機密情報には使えませんが。)
では、ここでいう「通訳の仕事」とは何を指すのでしょう。英語を日本語にする、日本語を英語にするのが通訳ならば、人間でなくてもよいことになるので、奪われても仕方ないのかもしれません。しかし、意思疎通の手伝いをするのが通訳ならば、言葉の背後にある感情を推し量ったり、言葉になっていない気持ちを言葉にしたりすることもあります。
そこまで求められているのであれば、少なくとも今のところは人間の方が良さそうです。
「通訳」と「通訳者」
かつては言葉の変換をするのも、橋渡しまでするのも、一緒くたに「通訳」でした。しかしこれからは「通訳者」は橋渡しをして、さらには何かを生み出していける(和やかな雰囲気をその場にもたらすとか、みんなを明るい気持ちにさせるとか、そういう漠然としたものも含めて)人間を指すようになるかもしれません。
つまり、通訳者像が変わり、通訳という仕事の定義も変わっていく可能性はあるわけです。従来の通訳者像にしがみつきさえしなければ、通訳という仕事は存続することになるわけです。
この変化は過去もあったし、今も進行形なのでしょう。
単なる変化ではなく、アップデート
自分が通訳者を目指していたころ、あるいは駆け出しの頃、自分の中に「なんとなくの通訳者像」がありました。実際に通訳者になってみると、思っていたのと違うところもありました。どんな仕事でも外から見るのと内から見るのは違うでしょうし、そんなものかなと思っていましたが、それだけでもなさそうです。通訳者のあり方が徐々に変化しているのですから、自分がかつて抱いていた何年か前の通訳者像が今の実態と合わないのも何ら不思議はありません。
自分を奮い立たせるためには憧れに忠実であることも必要ですが、気持ちを切替えて、時代の変化に合わせてアップデートしていく勇気も要るのかもしれません。外部環境が大きく変わる時というのは、あれこれ考える時期でもあります。
変わるもの、変えるべきもの、守るべきものを見極める時なのかもしれません。
執筆者:川井 円(かわい まどか)
インターグループの専属通訳者として、スポーツ関連の通訳から政府間会合まで、幅広い分野の通訳現場で活躍。
意外にも、学生時代に好きだった教科は英語ではなく国語。今は英語力だけでなく、持ち前の国語力で質の高い通訳に定評がある。趣味は読書と国内旅行。