完璧主義なわたしのなんちゃってマインドフルネス。
私は昔から、変に完璧主義なところがある。
そして自分にとって都合のいい言い訳を次から次へと並べる天才でもある。
掃除をするなら隅々までピカピカにしないと気が済まない。だけどその分、「今日は時間がないからまた今度」と言い訳をして結局やらないことも多い。そんな自分に嫌気が差して、「これじゃダメだ」とまた自分を責めるという、とんでもない悪循環を作ってしまうのだ。
自己否定製造機とはまさに私のことである。
マインドフルネスに興味を持ったのは今年の春頃。
仕事、家事、人間関係。
毎日頭の中はやらなきゃいけないことでいっぱい。なのに気がつけばスマホ片手にぼんやりSNSをスクロールしているものだから余計に私のこじんまりとした脳はぱんぱんになっていく日々。
「雑念を捨てる」「心を落ち着ける」と聞いて、これならこの悪循環を変えられるかもしれないと思ったのだ。けれど、始めてみると案の定、また完璧主義が顔を出した。
「もっと雑念を減らさなきゃ」「心がさまよったらマインドフルネスじゃないような…」
呼吸法に集中しようとしても、家の片づけや仕事のことや人間関係が頭に浮かぶ。そんな自分をダメだと感じて、マインドフルネスも「やっぱり向いてない」と投げ出しそうになった。
でもある日、ふと「雑念が湧いても雑念に気づくだけでもいいのでは…?」なんて勝手に思い始めた。私は悩めば悩むほど自分の都合のいいほうに思考を持っていく必殺技を隠し持っている。
完璧に「無」にならなくても、ただ気づくだけでいっか!
それ以来やっている、なんちゃってマインドフルネス。
たとえば、洗い物をしながら泡の感触を意識したり、お茶を飲むときに湯気をじっと眺めたり。ただ、「今、この瞬間」に注意を向けるだけ。上手にできなくても、「まぁいっか」と軽く流すようにした。
不思議なことに、少しずつ心が軽くなっていったのだ。完璧にできなくても「これでいい」と思えるようになってきたし、言い訳をする前に「今できる範囲でやってみよう」と思えるようになった。
本当のマインドフルネスからすると、かなり不完全なのかもしれない。でも無理して完璧を目指さないのがゆるりフルネス。(何それ)
きっと大事なのは、自分に合った「心の休憩」を見つけること。
完璧じゃない私を受け入れる練習さえも、完璧じゃなくたっていいよね、と。
私の中で「不完全な自分をそのまま受け入れる練習がマインドフルネス」という位置づけになってきた。変に完璧主義で言い訳の多かった私が、少しずつ「今の私でいい」と思えるようになったのだから、多少なりとも効果があるのかもしれない。
ヨガでも瞑想でも、動物と戯れることでも、好きなYouTubeを見ながらぼーっとすることでもいい。完璧を目指さなくてもいい。気負わず、「なんちゃって」でいいから、自分なりの小さな幸せを見つける。
そんな緩い心構えが、今の私にはちょうどいいのだと思う。