救急看護師とストレス ~神道からのリフレッシュ法①~
多忙な救急看護のお仕事を終え職場でのストレスを発散したいとき、あるいは気の重い、鬱々とした日々が続くようなとき、私たちは「気分転換」と称していろいろなことをします。美味しいものを食べたり、楽しいお酒を飲みに行ったり、温泉に行ったり、趣味に没頭する時間を作ったり、女性なら髪を切ったり、エステに行ったり、友だちとスイーツを食べに行ったりする人もいるかもしれません。
ストレス発散法は、ときにより人によりさまざまです。その目的は、「重い気」を「軽い気」に変えるためです。
「気」とは、私たちが生きるエネルギーの源のようなものです。神様が目には見えない存在であるように、「気」もまた、目には見えないものです。その「気」が弱くなっている状態が「弱気」、病んでいる状態が「病気」、それが元の状態に戻れば「元気」になります。
私たちは、明るく生命力の旺盛な人に接することで「好い気」をもらうことができます。しかし、暗く生命力の低下している人に接することによって「気」が削がれてしまいます。
「気」が枯れてしまっている状態が、「気枯れ(けがれ)」。ふつうは「穢れ」と書きますが、「穢れ」というと、何か忌まわしいもの、不浄なものというイメージが強くなります。
気が枯れてしまった状態とは、たとえば元々はピカピカの水晶球に、いつの間にかチリやホコリ、指紋や油の汚れが付着して、曇ってしまったような状態です。水晶球なら水で洗ったり磨いたりすることで輝きを取り戻すことができます。しかし、人間の霊魂はそうはいきません。
わが国では『古事記』に、黄泉国(よみのくに)から戻った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、自分の身体に付いた死の穢れを祓うために、海水で身を清めたことが記されていて、これがみそぎ(=罪や穢れを取り去って、心身を清めること)の始まりと言われています。そして後世、その海水から抽出したお塩を使って、お清めが行われるようになったと言われています。
神道では死を「穢れ」として捉えています。それはなにも死が忌まわしいもの、不浄だからではありません。死は生の延長線上にあります。ただし、霊魂の抜けた体(ご遺体)は、生命エネルギーが最も枯れ切ったマイナスの状態だと考えられています。
神道のお清めには、「お塩」だけでなく「火」や「お水」、「お酒」、「お米」なども用いられています。日常生活を振り返ってみれば、葬儀の後で会葬者にお清めの塩が配られたり、大相撲の力士が土俵にお塩をまいたり、小料理屋の店先に盛り塩が置かれていたりと、お塩は私たちの生活に一番密着した清めのアイテムになっていることがわかります。
実際に制服のポケットなどに、清め塩を入れている看護師さんにもお会いしたことがあります。お塩は私たちに付いた気枯れを祓うだけでなく、邪気を寄せ付けない、とも言われています。興味を感じた方は、小さいサイズのチャック付ビニール袋にお塩を入れて一度試してみてはいかがでしょうか?ただ年がら年中入れっぱなしではなく、何となく力が弱まってきたな、と自分が感じたときが取り替え時です。
仕事が忙しく不安になりそうなとき、気が重くてため息が漏れるとき、イライラするとき、ひどく疲れを感じるときなどには、ちょっと席を外して洗面所へ行き、ていねいに手を洗って、口をすすいでみてください。これも立派なお清めです。ただし、手を清潔にすることだけが目的ではありません。「悪い気を水で洗い流し清める」という意識をもってすることがとても大切です。
家に帰ってシャワ―を浴びるときには、軽くお塩を体に塗って流し、お酒やお塩を入れたお風呂の湯にゆっくりとつかって、深呼吸するのもおすすめです。歌を唄うのも、悪い気を抱えこまず、放出するよい方法です。マイナスエネルギーを洗い流し、生き生きとしたエネルギーをいただく、というイメージをもってください。
天然塩には殺菌効果や保湿効果があると言われ、最近ではさまざまな香りのバスソルトも売られています。アロマ(お香)には浄めの作用があり、自分の好きな香りは、疲れを癒しリラックス効果を高めてくれるでしょう。お清めの実践・実行が幸せの第一歩となります。まず、自宅や、職場の大掃除をはじめて環境を整えましょう。