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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
「仕事が忙しくて...」という理由で、読書や他の文化的趣味から遠ざかってしまう人は多い。
読書したいと思いつつも、仕事に追われ、気づけばSNSやYouTubeに時間を費やしてしまう。
よく言われるのは、「長時間労働によって趣味に使える時間が少なくなり、結果本を読めずにいる」ということ。
しかし、これに対して二つの視点から疑問を投げかけることができる。
まず、「本当に長時間労働によって本が読めなくなるのか」という点。
そして、「仕事以外の時間が全くないわけでもないのに、その余暇では何をしているのか」という点。
日本の労働史と読書
明治~大正
日本で読書の習慣が根付いたのは明治時代から大正時代にかけて。
国力向上のため、国民全体の教育水準を高めようと読書が普及した。
明治以前は出身や身分によって職業が決まっていたが、「立身出世」を旗印に、職業や居住の選択の自由が国民全体に認められた。
努力し能力を身につければ誰でも出世できる時代となった。
また、印刷技術の普及により、本の大量生産や図書館の整備が進んだ。
時代の潮流と相まって、平民出身者が努力によって世界的影響を与えたサクセスストーリー集『西国立志編』が流行した。
勤勉さと努力が成功を収めるという価値観が広まり、労働者階級で修養(読書を通じたスキル獲得)が普及した。
昭和
戦後、日本の急速な経済成長に伴い、サラリーマンという新たな中間層が台頭した。
労働時間は非常に長かったものの、通勤中に本を読む習慣が根付いたこともおり、本がよく売れていた。
人事評価制度の整備により「自己啓発」が重視され、自ら知識を積極的に獲得する姿勢が昇進につながるようになった。一方、エリート層は労働者階級やサラリーマン層との差別化のため、教養(実利より知識)を重視した。
実利を追求する層に対して、実利を念頭に置かない知識の習得が、時間的・経済的余裕を示すステータスとなっていた。
戦後~現代
バブル崩壊後、それまで当たり前だった終身雇用制度が揺らぎ、労働環境が大きく変わった。
一度就職すれば企業内で努力を積んで昇進するという価値観から、個人で市場に参入し、自らのキャリアを自らで築く価値観が当たり前になった。
内面的な変化よりも、行動や実績など評価しやすい指標が重視されるようになった。それに伴い、具体的な行動を促し、得られる成果を明示してくれる自己啓発書やビジネス書が売れるようになった。
読書とノイズ
明治以前、読書はエリート層向けの行為であり、内面的な成長に重きが置かれていた。明治以降、「立身出世」のもとで読書の習慣が国民全体に普及し、能力を獲得して出世する手段として広がった。
現代では、資本主義や新自由主義の浸透により、個人の能力が重視され、自己実現が労働の中に見出されるようになった。あらゆる行為が暗に仕事と結びつけられ、「生産性」を旗印に生活全般に影響を及ぼすビジネス書が売れるようになった。
さらに様々なメディアの台頭により、「効率的に知る」ことが可能となり、「生活・労働の役に立つことを即座に知る」ことが良しとされる風潮が生まれた。
まとめ
過去の長時間労働が深刻だった時代でも、読書は普及しており、現代よりも本が売れ読まれていた。
これは、長時間労働だけが本を読めなくする原因ではないことを示唆している。
背景には、読書が出世の手段として有用だったことや、教養が社会的階級差を示すステータスであったことがある。
一方で、バブル崩壊後は、労働環境の変化と情報技術の発達により、市場価値を示しやすく、即座に実利となるものが求められるようになった。
読書は時間がかかり、求める情報以外、すなわち「ノイズ」が多いため、手が伸びにくくなった。
情報に溢れる現代では、情報処理の効率化を求める傾向が私生活にも見出されるようになる。
結果として、読書より短時間で分かりやすい効用が得られるSNSやYouTubeに時間を費やしやすくなる。
結論
現代は、仕事の価値観が私生活にも入り込みやすい。その結果、私生活でも「生産性」や「効率」を重視し、ノイズの多い読書などの行為が遠ざけられてしまう。
現代でも読書を楽しむためには、二つの方法が考えられる。
「ノイズも有用である」と知ること
現代の価値観に合わせて読書を再認識する方法。
自分の知りたいことだけを直接知るのではなく、自分の外側にある価値はノイズの中に埋もれている。
大きな自己成長は、思いがけない外部の情報によって得られることが多い。それらは出会うまではノイズであり、出会って初めてその価値が分かる。
ノイズに触れる姿勢が不可欠であると理解し、読書の価値を再認識する。
「労働と私生活のバランスをとる半身の生き方」を実践すること
現代の価値観から一歩引く方法。
「生産性」を重視して私生活でも行動を制限し、疲弊するくらいなら、その生き方をやめる。焦っても大差はないし、自分をすり減らすのであれば本末転倒である。過労働を美化することをやめ、仕事はほどほどに切り上げる。
私生活でも客観的価値や費用対効果から一旦離れ、心の安らぎを求める。このような半身こそ良い生活であり、これができる人こそ優秀だと考え、自ら実践し周囲にも広める。
感想
「働いていると本が読めなくなる」という言葉はよく耳にするし、自分自身も何度か口にしたことがある。
その妥当性を労働史の観点から検証するというのは中々面白かった。
ただ、労働史の振り返りが長く、結論に至るまでに遠回りしている印象も受けた。
もしかすると、ノイズの重要性を説く本書の主張に沿った構成なのかもしれないが。
個人的には、本書の本質は「働いていると本が読めなくなる事象の解明」ではなく、「読書をしよう」という啓発にあると感じた。調査力は確かに凄くて、各時代の労働環境と書籍の売り上げの関連性を深く考察できている。
しかし、それでも「働いていると本が読めなくなる」現象の解明としては、やや不十分と感じた。
というのも、本が読めなくなる原因は仕事以外の多岐にもわたるはずだが、本書は労働にのみ焦点を当てているため、説明不足の感が否めない。
「働いていると本が読めなくなる」事を前提として話を進めた結果として、「本を読みたいなら仕事を変えるか、働き方を変えるしかない」という結論に至ってしまう。
結局は当たり前のところに落ち着く。
一応、最後に具体的な解決策が提示されてはいる。例えば、仕事帰りにカフェに立ち寄って読書の時間を作るといいよとか、iPadを持ち歩いて電子書籍をいつでも読めるようにするといいよとか。
もし本書が、即物的な利益を重視する価値観から一歩離れ、「ノイズを楽しむ読書をしよう」という主旨で最初から構築されていれば、全体としてよりまとまりがあったかもしれない。