一生懸命な不器用女性たちが繰り広げるブラックユーモア~今村夏子著『父と私の桜尾通り商店街』~

何故だろう。
本人は切実な事情を解決すべく、一生懸命・精一杯、事の対処に当たっているのに、どんどんズレて行き、最後には対処すべき事を忘れ、あらぬ方向に暴走してしまう……

今村夏子著『父と私の桜尾通り商店街』(角川文庫、2022年)に収められた、表題作を含む7編の物語の女性主人公は、揃いも揃ってそんな人ばかりだ。
事は本来の目的地ではなく、全く違う場所に辿り着いてしまったのに、本人たちは何故だか解決したような満足感を得ている。
彼女たちが切実で真剣であるが故、その満足感を得るまでの道程が面白いのと同時に、何だか背筋が薄ら寒くなってしまうのである。
「背筋が凍る」ほどにまで至らないのが作者のセンスの良さであり、それが優れた「ブラックユーモア」になっている。

それが顕著に現れていると思うのが、「せとのママの誕生日」。

今はすっかり寂れてしまってママ一人で経営している「スナックせと」だが、かつては多くのホステスが在籍するほど繁盛していた。
とはいえ、ほとんどはアルバイト気分の若い女の子で仕事熱心ではなかったのに加え、ママの無茶ぶりとも言える熱血指導のせいで、ホステスは入れ代わりが激しかった。

一時でも雇い入れてくれたママには感謝している。わたしだけじゃなく、アリサもカズエも同じ気持ちだ。だから集まったのだ。ママの誕生日を祝うために。

「せとのママの誕生日」

ママをびっくりさせようとアポなしで「スナックせと」を訪れた3人は、寂れて廃墟のようなお店の奥の部屋のこたつで横になっているママを発見する。生存を確認した後、3人は主役になるはずのママを起こさず、自分たちだけで勝手に「誕生日」を祝い始める。

3人の話題は、自ずと「スナックせと」在籍時代の思い出へと移る。
その中で3人は、ママの熱血指導が、無茶ぶりではあるが、単なるイジメではなく、(結果的に)彼女たちの欠点やコンプレックスの克服に繋がっていたと悟る。
ママの熱血指導の結果、3人はそれぞれ何かを克服したのだが、それと引き換えに何かを失っていた。

たとえば、アリサ。彼女は、「でべそ」がコンプレックスだった。

「あれ(でべそ)はあの子の大事な商売道具なんだよ」
(略)商売道具? どういうことだろうと事情を知らない子たちは首をかしげた。(略)
アリサは、一回五百円でお客さんにでべそを見せていたのだ。(略)アリサのでべそを拝むと出世するといううわさが、お客さん同士のあいだでまことしやかに流れていた。そんな根も葉もないうわさを流したのは、もちろんママだ。(略)
ママのナイスアイデアによって日の目を見たでべそだが、良いことばかりではなかった。(略)アリサのへそをつかんで持って帰ろうとしたり、らくがきしようとするお客さんがちらほらとあらわれた。

(同上)

結果的にアリサのでべそは傷つき、実父に知られることとなった。父親の勧めででべその除去手術をしたアリサだったが、商売の武器を失った彼女の足はお店から遠ざかった。除去したでべそは、病院で破棄されたらしい。
ところがアリサは、つい先日、でべそが見つかったと言い出した。

「どこにあったの」
「家にあった」
とアリサはいった。(略)
「家のどこにあったの?」
「冷蔵庫のなか」(略)
「今日持ってきてる?」
「もちろん」
アリサはコートの内ポケットに手を突っこんでごそごそと探ると、こたつの天板の上に黒いかたまりをころんと転がした。(略)
「これどこにあったの?」
「だから冷蔵庫」
「冷蔵庫のどこ?」
「野菜室」
やっぱり。

(同上)

両方の乳首を失ったカズエも、偶然にも先日、それを見つけたのだと言う。

「どこにあったの?」
「それがね、きいてよ」カズエは照れたように笑った。「なんと、冷蔵庫のなか」(略)

(同上)

それぞれの正体はここでは明かさない。
だが、この落語のような話が最終的に、かつて在籍したホステスたちが各々失ったモノで、死んだように眠るママが再生していくという、感動と戦慄の物語に発展してしまう。
そこに至るまでの3人の「切実な狂気」が、確実に読者の背筋を薄ら寒くする。
人というのは、突然の恐怖には悲鳴を上げてしまうが、しかし、ひたひたと迫ってくる薄ら怖い狂気には、笑ってしまうものなのだということを知った。


それにしても、ユーモアという包装の隙間から中身の狂気がチラリと覗いている、全7編。どうすれば、こんな話が書けるのだろう?

著者の今村夏子氏はメディアにあまり登場しない方らしいのだが、巻末の「解説」を書いているライターの瀧井朝世氏が、本書単行本出版時(2019年)に『メールでインタビュー』した際の著者とのやり取りを紹介している。

-「せとのママの誕生日」は(略)こうしたモチーフに惹かれますか。
今村 女性ばかりが働くお店では何かが起こりそうな予感があります。(略)ただ、「せと」のママは、暴力的なところがあるので、私はちょっと苦手です。こういう人が身近にいたら、一生懸命ゴマをすって、何とか気に入られるようにがんばると思います。敵に回すと怖そうなので、びくびくしながら接することになりそうです。

「解説」

-いま、小説を書くことは楽しいですか。原動力となっているのは何ですか。
今村 集中している時間だけ、楽しいです。それ以外の時間は、苦痛です。原動力となっているのは、締め切りです。
ー今後、どのような小説を書いていきたいですか。
今村 毎回、何か書き終えるたびに、これでもう書くことがなくなった……、と悲しい気持ちになります。ですから、この先まだ何か書けるのだとしたら、それがどのような小説でも嬉しいです。

(同上)

何と言うか……、このインタビューを読んで、本書のユーモアの理由が腑に落ちたような気がしたのだ。
著者、そういう人なのであろう、と。

今村夏子は本書以降、2019年に発表した『むらさきのスカートの女』(朝日新聞出版)で芥川賞受賞(略)

(同上)

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