「嫌々旅に出た本」を読む

仕事帰りに立ち寄った書店で、キミコさんの文庫本を購入した。
電車の中で読み始め、すぐに閉じた。……失敗した。
つまらなかったのではない。その真逆である。
面白過ぎるので、彼女の本は電車で読んではいけなかったのだ。
さらに、マスクをしていたとはいえ、世界中の人が「飛沫」に神経質になっているコロナ禍において、電車内で吹き出してしまったことは、失敗を通り越して「失態」であった。

さてと……
旅行雑誌を読むと、作家やエッセイストが旅をしている記事が掲載されていたりする。
その方たちは、旅先の風情ある街並みの中を歩き、ある時はレンタサイクルで名所・史跡を巡り、その地方の名産品を扱うお店でお土産を探し、時には特産の工芸品作りを体験したりもする。昼はオシャレなカフェでお茶を飲み、夜は宿や料理屋で郷土料理に舌鼓を打つ。
その旅は、旅人本人であったプロの文筆家により美しい文章になり、プロのカメラマンが撮った写真は鮮やかな情景を切り取り、そして、それらをプロの編集者が素敵にレイアウトする。
そうして作られた記事は、読者の旅心を猛烈に掻き立て、その地へ旅するように誘うのである。

ところが、である。
プロの文筆家の文章に、プロのイラストレータのイラストを添えて、プロの編集者が編集しているのに、この本は、どうしてここまで違うのか?
タイトルからして『いやよいやよも旅のうち』(集英社文庫)である。読者を旅へと誘う気など、さらさら無さそうだ。

この本の中で、旅嫌いで「留守番人」を自負する著者の北大路公子氏(以下、キミコさんとお呼びする)は、「小説すばる」の連載企画で、同行する担当編集者の「元祖K嬢」が立てた旅程に従い、1道5県を嫌々旅させられている。

北は北海道(地元)から南は沖縄(遠い)までを、「嫌だなあ」と思いながら歩いた。まさに『いやよいやよも旅のうち』である。このタイトルは、当初「旅嫌いの私を旅に連れ出す」という意味だったはずだが、いつのまにか「普段なら絶対にしない嫌なこと、面倒なことを頑張ってやってみよう」という趣旨に入れ替わっていた。「何も頑張りたくないんですよ、疲れるから」との私の訴えはまったく通らなかった。
そんなわけで、本の中の私は終始「嫌だなあ」と言っている。「ジェットコースター乗りたくないなあ」「自転車も乗りたくないなあ」「海に入りたくないなあ」。あと「原稿書かずに原稿料がほしいなあ」ともしょっちゅう言っている。心情を素直に吐露するのが旅日記の醍醐味とはいえ、煩悩までもがだだ漏れである。

P4 「まえがき」

そんなキミコさんは、富士急ハイランドでジェットコースターに乗せられたり、岩手でサイクリング(自転車に30年乗っていないのに)を強要されて事故に遭いそうになったり、沖縄でスキューバダイビングを強要されたりして、大抵の場合、何らか死にそうな目に遭っている(というか、旅立つ前から、死ぬ気でいたりする)。
こんなお笑い芸人のようなことを要求される文筆家は羽田圭介氏ぐらいだろうと思っていたら、もう一人いたのである。

こんな面白い事が起こってしまうのは、嫌々旅をしているからだけではない。きっとキミコさん生来の「ツキ」なのだ。

本書を読んでいるとキミコさんの才能がうらやましくなる。嫌なことを強要されている自分を、圧倒的ユーモアで描写するのである。
たとえば、ジェットコースターの恐怖をこんなに的確に、しかも面白く描写した作家は過去にいないだろう。

「ごげええええええ」
突然、奇妙な音がどこからか聞こえると思ったら自分の声であった。
(略)
当時の様子を再現するのは難しいが、できるだけ冷静かつ忠実に再現すると、
「ごげええええ! いやあああ! ぎゃああああ! カーブうううう! なぜ曲がるうううう! 横倒し横倒し遠心力ううううう! なんぞこれええええ! 偽物か偽物かああああ! ぐげええええ! 落ちるうううう! 落ちるっつうか死ぬううう! 死んだら化けて出るううう! 元祖K嬢のところだあああ! あと小すば編集部ううううう! ぎゃあ! スピード! スピード出すぎだろおおお! なぜ曲がるうううう! 危ないいい! いやいや嘘嘘嘘! さっきの嘘だから化けて出ないからお願いお願いもう終わって終わってうあああああ右へ左へえええ! ばかじゃねえのばかじゃねえの! 何で私がこんな目にいいいい! ていうか、まだ? まだ続くのおおお? いやあああ! あ、止まった」
という感じであった。所要時間三分三十六秒。

P66-P67 「山梨編」

それにしても、他人が「嫌なこと」を強要されている姿は何と面白いのだろう。キミコさんが何かをさせられて「いやだいやだ」と言えば言うほど、楽しくなってくるのだ。

そして結局、「こんな面白い旅ができるなら、行ってみたいな」とオシャレな旅行記事とは全然違った意味の旅心を猛烈に掻き立て、私を旅に誘うのである。

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