バブルの頃と今~岸政彦・柴崎友香共著『大阪』より「大阪の友だち」(柴崎友香)~
2023年11月初め、3連休に有給休暇を足して少し旅に出た。休暇を足したのは、東京で観れなかった劇団☆新感線『天號星』の11月6日(月)の大阪公演チケットが幸運にも取れたからだ。
それはソワレ(夜公演)だったので、何かお昼の時間つぶしができないかと思っていたら、幸運にもそこから徒歩10分程度で行ける距離の劇場で『NOISES OFF』を上演していた。
ということで、折角だから前乗りすることにして、これも折角の大阪だからと、社会学者で作家でもある岸政彦(大阪在住)と、作家の柴崎友香(大阪出身)が交互に「大阪」についてのエッセーを綴った、その名も『大阪』(河出書房新社、2021年)を帯同した。
大阪入りするまでに3分の1ほど読み進めていたが、当地大阪では、旅程を組んだ時には予想だにしなかった「大阪ダービー」から『「アレ」の「アレ」』に(かなり直接的に)巻き込まれて、結局、本を開くことがなかった(直接的に巻き込まれた顛末については、今のところ書く気がない)。
帰京してから続きを読み始めたのだが、柴崎友香が書いた「大阪の友だち」を読んで、現地で読まなかったことを悔やんだ。
それは、1990年前後に過ごした彼女の高校時代の思い出を綴ったもので、私が宿泊したホテルから近い御堂筋やアメリカ村のことが書かれてあった。
さらに言えば、私より3歳年下の彼女は大雑把に括れば同世代ということになり、ここで書かれている『レピッシュや筋肉少女帯(略)スターリンを観に行って遠藤ミチロウが…』といった文章に共感できたということもあり、それはつまり、彼女が日常的に当時の人気アーティストのライブや、当時流行したミニシアター系の映画や、展覧会などに触れていたことを示している。
「大阪の友だち」は先述したように『1991年にはバブルは崩壊しているが、世の中はまだまだ好景気の感覚で、バイトで高校生にしては結構な額を稼いでいる子もいた』頃の話で、『新しい人間関係というものが苦手』な彼女は母親が経営する美容室を手伝い、『ちゃんとしたバイト代をもらえたのでそれを貯め、なんとか映画やライブの資金は確保していたが、CDも服も悩みに悩んで最小限しか買えなかった』と振り返り、こう続ける。
この感覚はよくわかる。
私も、田舎の高校生の分際で、コンサートや映画を観たりといったことが割と普通にできていたし、周りの友人たちも各々趣味やスポーツなどを謳歌していたと思うが、でもやっぱり、田舎の高校生の分際でそんなことが出来ている自分たちの身の丈の合わなさに違和感というか、地に足ついていない浮遊感みたいなものを感じて戸惑っていたはずだ(話したことはないが、たぶん当時の友人たちも同じだったはずだ)。
私はこれを読みながら、彼女について書いた以前の拙稿で、彼女の『千の扉』(中公文庫、2020年。単行本は2017年刊)について書いたことを思い出した。
「大阪の友だち」に戻り、続きを引用する。
両者を比べると、矛盾、或いは執筆時期による(社会変化をも伴う)変節とも捉えられるが、私はそう思わない。
つまり、『人口が減って経済成長はしないから、お金がないから仕方がないとの理由をつけて』いるのは(バブルを経験した)大人たちで、彼らはその論理で、『だからこの暮らしで十分でしょ、これから世の中は厳しくなっていくんだ、って若い人たちに求め』ているに過ぎない。
それに対して、柴崎友香は『違いますよね』と異議を唱えているのである。