小説・2023年GW前半、京都への「旅?」

これは「旅」なのか? 2023年4月28日

動き始めた列車に揺られて
どうして自分が今
ここにいるのか
わからないまま
旅を続ける
明日の自分を
見つめながら

(作詞・うじきつよし)

ふと窓の外を見て、乗っている新幹線が新横浜駅のホームから離れていくその刹那、男は「子供ばんど」の「WALKIN' AWAY」という曲を思い出した。
約30年前、まだ20歳代前半だった男は、ウォークマン(曲名にかけてみたが、この名称は正しくない。「ウォークマン」はソニーの製品名で、男は当時、もっと安価な、おもちゃみたいな「ポータブルカセットプレイヤー」を使っていた)でその曲を聴きながら、列車旅をしていた。
何をそんなにセンチメンタルな気分で旅をしていたのか。
もうじき53歳になろうとしている男は、もう思い出せない。
今だって、1分でも早く京都に着きたくて終業ベルと同時に会社を飛び出し、東京駅に着いてすぐ発車する「のぞみ号」に飛び乗ったのだ。
センチメンタルどころか、「旅風情」のカケラすらもない。

2023年4月28日、明日からGWだという日の夕方。
男が飛び乗った新幹線の自由席は、特に目立った混雑もなく(東京駅新幹線ホームは、2号車~3号車辺りには長蛇の列ができていて恐れおののいたが、1号車は全く空いていた)、マスクは任意となったが、5類になっていないという中途半端なコロナ禍において、車内は彼と他数人以外は皆マスクを着け、会話も控えめだ(もとより、一人「旅?」の彼は会話する必要がないが)。

は、「ことりっぷ」が「#わたしの旅行記」という記事を募集しているという"note"の記事を思い出す。
「内容によっては、トラベルライターとしての活動をご相談する可能性」云々と書いてあったが、もし私が、この男のこれからの行動を記事にして投稿しても絶対「ご相談」などされないだろう。
卑下や負け惜しみではない。

「旅」或いは「旅行」とは何か?
私にも男にも、そもそもわからないのだ。
『知らない角を曲がれば、それはもう旅です』という名言を遺したのは永六輔氏だが、それに従えばGWに東京を脱出して京都で過ごす、というのは立派な「旅」なのだろう。
だが果たして、2時間後京都駅のホームに降り立った男は、そこから「旅」をするのだろうか?
なにせ、50歳を過ぎた男には「センチメンタル」という気分がわからなくなっている(「センチメンタルなジャーニー」が出来たのは、『伊代はまだ、16』歳だったからだ)し、新幹線に飛び乗る行為は、全く「旅風情」に欠ける。
と、男はビールを飲みながら考える。

これは2022年4月に男が撮った写真で、実際の彼は、車内販売の売り子さんに「ビール」とだけ告げて、何も確認されることなく差し出された「ASAHI SUPER DRY」の350ml缶を飲んでいる。
男が新幹線の車内でビールを飲むのは毎度のことでそれをイチイチ写真に収めようとは思わないから今回も撮らない(従って、以降の写真-特にお店の外観-については、男が過去に撮影したものが多い旨、ご承知置きを)のだが、それを毎度毎度写真に撮るフレッシュな気持ちこそが「旅風情」というものであろう。

ビールを飲み干した男がうたた寝をしているうちに、新幹線は京都駅に到着。
ホームで前を歩いていた若いカップルの女性がホームの写真を撮っている。男は撮らない。
到着駅の写真を撮らないのは「旅」として、いかがなものだろう……

男は、京都駅から地下鉄に乗り2駅、四条駅から徒歩わずかのところにあるホテル「チェックイン四条烏丸」にチェックインする。

狭い畳敷きの部屋のほとんどを布団が占拠している。
男にとってのホテルは「どうせ寝に帰るだけ」。安いに越したことはない。
これは「旅風情」なのか?

男はスマホのWi-Fi設定だけ済ませて、早々に部屋を出る。
GW前の四条烏丸辺り、21時前だからか、飲み会帰りらしき陽気なサラリーマンのグループ何組かとすれ違う。
前を歩くのは外国人のグループで、「明日から外国人や旅行者で、今は静かな京都が蹂躙じゅうりんされるのか」と訳知り顔でため息をついてみる男だが、当然彼にそんな権利はない。
「旅行者」かどうかはわからないが、男はまさに「余所者」なのだから。

そんなことを考えながら男が辿り着いたのは「一政」というお店。

換気のためなのか、開け広げたドアから地元の人たちと思われる賑やかな声が聞こえてくる。
……が、カウンターにはお客さんがいない。
男は遠慮がちに入口近くのカウンター席に座る。
新幹線でビールを飲んできた男は、いきなり日本酒を注文。

「淡路」と書いてある欄に鯛(何ダイだったか失念)を見つけ注文。厨房の若い店員(オーナーのご子息)に「今日、平政ひらまさがメッチャ良いんで(鯛と)半々にしませんか?」と持ちかけられた男は、素直にそれに乗る。

近くのテーブル席は壁で仕切られているが、中から「スーパージェッター」なる言葉が聞こえる。どうやら、中年サラリーマンたちが往年の特撮ヒーローについて熱く語り合っているらしい。

2階のテーブル・座敷席も地元のグループらのようで、カウンターの静けさとは裏腹に厨房は忙しそう。
「カウンターは暇だねぇ」
オーダーの谷間で一息ついたホールの店員さんに、男が声をかける。
「そうなんですよ。ちょっと心配になりますね」
「明日からGWだから、『嵐の前の何とか』じゃないの?」
「だといいんですけどね」
男はもう一杯、今度は半合にしてもらってお酒を飲み、店を出る。
男は帰りがけにオーナーシェフの篠さんに声をかける。
「今年は何出すの?『2割3分』?」
「『2割3分』なんて高くて出せないっすよ。1本1万(円)するんすよ。『3割9分』です。その代わり、『美酔』持ってきますんで、良かったら呑みに来てください」

男はもう1軒、「一政」近くの「お酒とお料理 つぐ」というお店に入る。
出迎えてくれた若い店員さんが「後ろが団体さんでうるさいんですけど、それでも宜しければ」と申し訳なさそうに告げる。
「全然いいですよ」と酔っ払い特有のお気楽さで応えた男は、カウンターに案内される。
名物らしき「おでん」を注文し、日本酒を飲む。

ホールは、背の高いイケメンが3人。奥には女性もいる模様。
確かに背後は賑やかだ。会社の愚痴だったり、誰かの噂話だったり、自慢話だったり……
この猥雑な賑やかさを、「旅行者」はどう思うのだろうか?
たまに口コミサイトなどを見ると、「地元の人がうるさかった」とか「常連さんとばかり話をしている」とか書いて低評価を付けている人がいる。
男自身は「居酒屋は地元の人や常連さんのためにある」と思っているので、そういう賑やかさが嫌どころか、むしろ好きである(地元じゃない土地で、その地元の人たちの会話は、たとえどこでも変わらない愚痴や悪口でも、何だか新鮮に聞こえるし、結構、地元ならではの情報を耳にすることもできるし)。
そもそも、地元の人がいないお店に行くのは「旅」なのか?
ラストオーダーの時間が迫っている。
男はお店を後にする。

帰り道、男は、「まんざら亭 NISHIKI」という居酒屋さんの前で、すでに閉店作業が終わった店員さんたちが三々五々、それぞれの場所に戻ろうとしているのを目にする。
自転車に乗った若者が、烏丸通に出て左折する。男はその後を追う格好になったが、若者は左折したところで、自転車を降り、女性と話をしていた。
女性は慣れたように彼の代わりに自転車を押し始める。
うーん。みんなが見えないところまで自転車で来て、ということは、これは「二人だけの秘め事」なのか?
酔った男の顔が少しニヤける。
入ったことの無いお店だが、明日行って確かめてみようか、男は酔った勢いで思ってみるが、酔っ払いはそれまでの事だって覚えていないのだ。知らないお店の知らない店員の顔なんて、当然、覚えていない(人気店らしく、男は後日夕方訪れてみたが、満席で入れなかった)。

噂話は「旅」か? 2023年4月29日

朝6時5分。男はホテルの最上階にある大浴場へ向かう。
一番乗りだと思ったら、先客が。
小学校低学年くらいの男の子とその父親らしき人。二人で仲良く体を洗っていたので、男は遠慮して奥の露天風呂(と言っても、小さな浴槽と洗い場が屋外にあるだけ)へ向かう。
と、隣の女性用の露天風呂から小さな女の子とその母親らしき人の声が聞こえる。きっと家族なのだろう。
もしかしたら、露天風呂でお互い会話したいかも、と男は思い、軽く湯船に浸かっただけで中に戻る。すぐに男の子と父親が露天風呂に向かう。
これが「大人の気遣い」というものだ。体を洗いながら、男は一人悦に入る。
と、後から後から「おじさん(男もだが)」たちが大浴場にやってくるではないか。
やはり、子どもと年寄り(男もだ)は朝が早いのか?
とはいえ、「大浴場」というのは「旅風情」を感じさせてくれる。

8時。

三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダっていう
コーヒー屋へね

高田渡の名曲「コーヒーブルース」を機嫌よく口ずさみながら男が向かったのは「イノダコーヒー」ではなく、ホテル近くの「Fresco」という京都で良く見かけるスーパー。

男はお総菜売り場で「カツカレー」をゲット(何故か、税抜き298円と他のお弁当に比べ格安)。

ホテルに戻り、エレベーターホール前にある電子レンジで温めながら、その間にフロントロビーに降り、無料のドリンクサービスでお茶を淹れて戻ってみると、ちょうど「チン!」。

こんなに忙しなく「効率」を求める男の行為は、果たして「旅」なのだろうか?

安くて美味しいカツカレーに満足する男は、翌日の朝、別の男がカツカレーに苦しむことを知る由もなかった、ということはさておき、お腹も満たされた男は、いざ観光へ!
という観光客の当然の行為(というか、「観光」するから「観光客」なのだが)に至る気が起こらない男は、部屋で、『黄色いチューリップの数式 √-15をイメージすると』(バリー・メイザー著・水谷淳訳、アーティストハウス、2004年刊)を開く。ずいぶん昔に読んだ本だが、先日読了した小川洋子著『物語の役割』(ちくまブリマー新書、2007年刊)でこの本が紹介されていて、再読してみようと思ったのだ(帯に小川洋子さんがコメントを寄せていた事に男はさっき気がついた)。

……男がこの本をちゃんと読めれば、それはそれで「観光」なのかもしれないが、当然のように簡単に寝落ち(いや、「旅先で読む」と本を持参するも結局読めない(読まない)のが「観光客」なのかもしれない)。

気づけばお昼前。ようやく男は部屋を出る。
GWのランチタイム、あちこちの飲食店の前には行列ができている。
忍耐力が全くなく行列に並べない男は、負け惜しみのように「行列に並ぶなんて、それこそ機会損失じゃないか」と呟く。
男は烏丸御池駅から地下鉄に乗り、今出川駅で降りて少し歩く。

カプリ食堂Verde」に入ると、オーナーが「もう来る頃やと思ってましたわ」と男を迎えてくれる。
京都御苑の近くとはいえ、住宅街にあるお店は行列もなく、かといってガラガラでもない、程よい込み具合。
そこへ2人組の外国人男性が入店。まったく日本語が話せない。
それでもオーナーは気後れすることなく、片言の英語で対応。
「まぁ、気合で何とかなるもんですわ」と自画自賛。
「前は片言でも日本語を喋ろうと努力する人ばっかりやったんですが、何か最近変わってきて、全く喋ろうという気がない外国人が増えた感じですね」
そういう恐れを知らない外国人たちが、こんな住宅街のお店にまで当たり前のように入って来る時代になったのだ。

「祇園とか行かはります?」
唐突にオーナーが男に聞く。
10年くらい前には何故か祇園のキャバクラにボトルを入れていたりしていた男はしかし、ここ最近、特にコロナが蔓延してからは足が遠のいている。
「1週間前に、知り合いの女性が祇園にクラフトビールとどぶろくのお店をオープンしたんですよ」

山根子」という名のそのお店は、東大路通「祇園花月」の北側の路地ろーじを少し入ったところにある。

Cash On Deliveryシステムの立ち飲み屋さん(テーブル席もある)で、客はレジで注文して都度お金を払う。
男は、たくさんあるクラフトビールに戸惑いながら、「旅」にふさわしい名前だと思い付き、「一期一会」を選ぶ。

グラスもオリジナルで、お店の中にある大きな冷蔵庫にはオリジナルラベルの貼られたどぶろくの一升瓶がズラリと並び、気合の入れ方が伝わってくる。
男は思う。
「祇園でお店を開く」というのは、きっとこういうことなのだ。

男は帰りがけ、入口まで送ってくださった女性に思い切って「失礼ですが、オーナーの方ですか?」と訊いてみる。
オーナーは2階で接客中とのことで、男は送ってくださった女性に「カプリ食堂のオーナーから紹介されて来ました」とことづける。
お店同士の関係は「持ちつ持たれつ」。こうして名前を出しておくのは大事なことだ。

男は、そんなことを、次に行った「ひっとぽいんと」で、マスターの安原氏に話す。

その話をきっかけに、このお店も入っているテナントビルの1階店舗の話になる。
1階にはお寿司屋さんと、ローストビーフとワインを売りにした飲食店が入っていたが、どちらもあっという間に潰れたと言う。
「お寿司屋さんの大将に聞いたら、オーナー会社が破産したらしい。しかも、めちゃめちゃ酷いことに、雇われ大将は前日に『明日、差し押さえが来るので、お店に入れません』と突然一方的に通告されたらしいで」
「ローストビーフの方は、開店1カ月、ローストビーフが売れるクリスマスイブ前日に閉店」
どうも「コロナ禍」で飲食店がつぶれていく中、コロナ明けを見越して始めた(飲食業をナメた)素人たちによる「失敗」だったらしい。

「それからな」と安原氏が声を潜める。
「ウチ(の店)の前、『楽〇なんたら』が入ることが決まってたんやけど、この2年間、何もなかったやろ?」
確かに、エレベータで4階に着くと、左側に「ひっとぽいんと」があるが、右側はコンクリート打ちっぱなしの空間が広がっている。
「なかなかできひんなぁと思ってたら、こないだ、楽〇なんたらの部長が逮捕されたやろ? 新施設がらみがどうので、悪いことしてたっていう……どうも、アレに利用されてたらしいわ。そら、何も出来んはずや。逮捕されても契約は残ってて、でもそれもあとちょっとで切れるから、そうしたら何かのお店が出来ると思うで」
興味深く話を訊く男は、ふと思う。
こんな噂話をしながら飲むのは「旅」だろうか?
(お断り:このお店での話は、あくまで個人の「噂話」を基にした、本稿小説筆者の「創作」です。事実とは異なりますので、鵜呑みにしないようお願いいたします)

ビールを飲みながら二人の噂話は続く。
そこへ、やたらハイテンションの常連カップルが入店。
「安っさん、誕生日やろ?」
「いや、明日やねんけど」
「ケーキ買ってきたから、お祝いしよ! ローソクも付けてもろたし」
誕生日は明日だという安原氏の言葉を無視して、ハイテンションカップルは誕生パーティーを始めてしまう。
男も騒動に巻き込まれ、シャンパンとケーキをご馳走になる。

男は、ケーキもご馳走になったという遠慮もあり、カップルのハイテンションぶりにお店を出るきっかけをつかめず、結局ビールをお代りするハメになる。

男がやっとお店を脱出できたのは18時を少し回った頃で、彼はそのまま御池通を越え、柳馬場通りを南下する。
和鉄板ぞろんぱ」の入り口前に立つと、偶然そこにいた店長に「8時まででよければ」とカウンター席に案内される。この間10秒。

ビールをさんざん飲んできた男は、日本酒でスタート。

軽くお寿司を握ってもらう。

カウンター席、隣の年配ご夫婦が機嫌よく帰られた後、店長が「お客さん帰らはったんで、ご予約の方、その席に案内しますんで、いてくれていいですよ」。
それに「ラッキー」と答えたのが、この日の男の、最後の記憶である。

男のスマホに残されていた写真
(同上)

予約しないのは「旅」か? 2023年4月30日

昨日、何時に、どうやって帰ったのか覚えていない男は、6時半にホテルで目覚める(ちゃんとパジャマに着替えている)。
とりあえず大浴場へ。
二日酔いが回復しない男は、テレビをつけっぱなしにして、ベッドでグズグズ。
天気予報が、今日は雨だと伝えている。
昨日訪れた「カプリ食堂」のオーナーは、今日・明日と4歳の愛娘を連れて家族でキャンプに行くと言っていたが、雨でも楽しく過ごして欲しい、と男は思う。

9時になり、ホテルの室内に置かれた全自動洗濯機(無料)で洗濯する(周囲の部屋への騒音防止のため、9時以前は洗濯を禁じられている)。

浴室乾燥付

この洗濯機と浴室乾燥機のおかげで男の荷物は随分と少なく済んでいる。
そもそも男は、どこのホテルでも洗濯する。このホテルは無料だが、他では洗濯・乾燥はたいてい有料である。
にも拘わらず、お金を払って洗濯・乾燥してでも、男は荷物を減らしたいのだ。
つまり、手軽に「旅」を楽しむためにはホテルでの洗濯が欠かせない、と男は考えているのであるが、果たして「ことりっぷ」が求める「旅」には、「洗濯」という旅程(?)は含まれているだろうか?

洗濯が終わり浴室乾燥機をセットした後も男の二日酔いは回復しないが、11時を過ぎたのを機に重たい体を引きずって、とりあえずホテルを出る。
ホテルから近い外国人観光客でごった返す錦市場を歩く。
ノロノロとしか歩けず、時に立ち往生すらしてしまう状況に、男はイライラする。
毎度毎度、そうなることがわかっていて錦市場を歩く男の行為は、「ひっとぽいんと」の安原氏に言わせると「ウチの店で文句を言うために、わざわざ錦を歩いてる」ということになる。
確かにその通りなのだが、男はどうやら「観光客は錦市場を歩くものだ」と、これこそが「旅」だ、と思い込んでいるらしい。
男は観光客定番の八坂神社にお参りして、昨日行った「山根子」を再訪し、「夢かうつつか」という名の、今の彼の気分にピッタリなクラフトビールを注文。

男はそこから河原町方面へ戻り、新しく出来た、「かく打ち」がある「浅野日本酒店」というお店に行く。
角打ちカウンターは大賑わい。女性店員さんが申し訳なさそうに「今日は予約でいっぱいなんですよ。だいたい、土日はこんな感じなんです」と謝ってくれる。
その言葉に面食らった男は、思わず「予約しなきゃいけないんだ」と小声で呟いてしまう。

「立ち飲みで予約?」
「ひっとぽいんと」の安原氏が憤る。
彼は本日、36歳の誕生日を迎えた。
なのに、男と同じく二日酔い。

祝・36歳の誕生日!

「同棲している彼女が数日前に『誕生日に何が食べたい?』って聞いてくれて、『カツカレー』って答えたんやけど、今日、それが出てきて……。嬉しいからちゃんと完食したけど、二日酔いでカツカレーは正直しんどかった」昨日の朝、一人お惣菜カツカレーを食した男には、「ノロケ」にしか聞こえない。

「いっつも言ってるけど、お店に入りたいんやったら、予約した方がええで」
安原氏が忠告してくれるが、男は頑なに予約をしない。
ふらっと行って、ふらっと飲む。入れなければ、次のお店を探す。
男は、それこそが「旅」の面白さだと思っているのだが、最近、どのお店に行っても飛び込みで入れなくなってきたのは切実に実感している。
どうも世の中の「旅」とは事前に計画を立て、予約をして、万全の準備をしてから行くものになっているようだ。
では、何の計画もなく、予約もせずお店に断られ続ける男は、京都で「旅」をしていないのだろうか?

なんてことを毎度のようにグチグチ言っているのにも飽きて、二人の話は、いつしか「卵の値段」に移っている。
「ウチの常連さんが沖縄の国際通りの近くに引っ越したんやけど、卵1パックが420円するってLINEが来て」
それは高額だが、話はそこから飲食店の原価の話に移る。
「メニューに『だし巻き卵』ってあると、今、ドキドキする。いきなり値上げできひんし、かと言って、メニューから外すのもアレやしな、とかついつい考える」

その言葉を噛みしめながら歩いていて、「パウゼ」というお店の前に出されたメニューに「だし巻き風オムレツ」と書いてあるのを見つけた男は、思わず入ってしまう。

650円。美味しい。
他に、自家製ホタルイカの沖漬けを注文し、日本酒のアテにする。

美味しい。予約もせずに、飛び込みで入ったお店だったが、大当たりだ。
日本酒を2杯飲み、男は満足してお店を出る。

ホテルに帰り、暫し休憩した男は、夜の街へ繰り出す。
着いたのは、昨日行った「和鉄板ぞろんぱ」の系列店「串鉄板ぞろんぱ」。

この人気のお店は予約なしだと断られることが多い(というか、このお店では何度も「電話してくださいよ」とほとんど懇願に近い言葉を掛けられているのだが、男は頑として電話をしない)が、今日はすんなり入れてもらえる。
入るなり、オーナーのあずまさんが、「『升』何個要ります?」としつこく聞いてくる。男は、「もう買ったからいらん」と断る。
GWとはいえ、5月1、2日は平日で出勤の会社も多いからか、いつもは観光客で賑わうこのお店も、地元の常連さんたちがノンビリ飲んでいる(とはいえ、当たり前のように満席)。

「『天明』の『中取り伍号』が入ったんで、どんな味か気になるんですが、ボクらが封を開けるわけにはいかないじゃないですか」
店員さんが意味ありげに言う。
要するに注文しろということか、と男は察するが、もとより自身がお酒の誘惑に勝てない。

やっぱり美味しい。
その後も他のお酒も注文しながら楽しく過ごした男は、気分良く近所にある「五黄の寅」へ向かう。
24時まで営業しているお店は毎夜地元の人や観光客で賑わっているが、23時過ぎに最後のお客さんが帰った今の店内は、男だけの貸し切り状態。
何だが拍子抜けで手持無沙汰感を持て余した男は、仕方がないので、お店の人たち全員にビールをご馳走する。

こういう時、以前なら「テキーラ・ファイト」だったはずだが、店長のアカリさん曰く「もう、そんなことができる歳じゃないんで……やっぱり身体は大事ですよ」
そんな話をしたことを男は薄っすら覚えているが、気がつけば、ホテルで寝ていた。

立ち飲みは「旅」か? 2023年5月1日

二日酔いで何もする気が起きない(毎度繰り返しの表現に筆者の筆力のなさを感じる……)男は、いつものとおり、テレビをつけっぱなしにしてゴロゴロ横になっている。
テレビの中で、よく知らない女性お笑いトリオの人たちが、台湾で小籠包を美味しそうに食べている。不意に男の頭に、小籠包ではなく、タイガー餃子が浮かぶ。
四条通を歩き、「タイガー餃子会館 河原町店」に向かう(ホテル近くにも「四条烏丸店」があるが、カウンターの後ろが狭い通路になっていて、落ち着いてビールが飲めないので、男はあまり行きたがらない)。
時間はちょうど正午。外でお客さんが待っている。開けっ放しのドアから中を覗くと、カウンター席も埋まっている模様。男は諦めて通り過ぎる。
と、その先にも行列があり、ぞろぞろと移動しているのが見える。
何かと思ったら、立ち飲みの名店「たつみ」の開店時間で、待っていた人たちが入店しているのだった。
昨日の「浅野日本酒店」もだが、やはり昨今の立ち飲み屋さんは、フラリと入れないのだろうか? 男は、釈然としない気持ちを持て余す。
その列に並んでいる(後から通った時にも、若い男性が並んでいた)人の中には、いかにも「観光客」という風情の人も見受けられる(あくまで、男の私見)。ということは、「立ち飲み」は「旅」だと言える……のだろうか?

いやいや、それより餃子だと、男は周辺をフラフラ歩き「モトイギョウザ」の前まで行ってみるが、ランチタイムど真ん中だからか、このお店もカウンター席が埋まっている。

モトイギョーザ。2022年4月30日撮影

男はどうしようか思案し、先斗町の「珉珉」に行こうかとも考えてみたが、あまりに距離があるので躊躇しながらウロウロ歩く。

「珉珉」のビールセット(五目焼きそばセット)。2020年撮影

そんなこんなで結局元の「タイガー餃子」に戻ると、カウンター席が空いている。男は迷わず入店。
青島ビールとタイガー餃子を注文。

これが「タイガー餃子」

美味しく呑み食いした男は、昨日のリベンジとばかりに「浅野日本酒店」へ向かう。
このお店は、酒屋さんの奥に立ち飲みカウンターがある。気に入ったお酒があれば購入することができる。もちろん、購入だけでも立ち飲みだけでもOK。

男は「風の森」の飲み比べセットを注文。

店内の奥では、常連らしき年配の男性2人が楽しそうにお酒を飲んでいる。
男は、定年後にこういう生活をする自身を夢想しながら、いくつか別のお酒を注文して時間を過ごす。その間にも、お酒を購入するお客さんが訪れたりする。

「萩乃露 雨垂れ石を穿うがつ」
何と良い名前だろう

男はほろ酔い気分でお店を後にし、そのまま「ひっとぽいんと」へ。
昨日が誕生日だった安原氏、順当に二日酔い。
「ウチの客、良い人が多いんで、5人くらいで来て『バイクで来たから飲めません。僕らの分、代わりに飲んでください』って。な? ええ客やろ?」

店を出ると雨が降っている。
男は雨に濡れながらホテルに戻り、大浴場へ急行する。

「雨、まだ降ってました?」
風呂上がりのビールを求めて初めて入った、「ぽんしゅや 三徳六味 四条烏丸店」という立ち飲み屋さん(男は入店するまで「立ち飲み」だと知らなかった。今日はつくづく「立ち飲み」に縁がある、と男は独りごちる)で、カウンター越しに店員さんに訊かれた男は応える。
「止んでました」

立ち飲みスタイルとはいえ、おでんをメインに本格的な一品料理を出すお店。お客さんがまばらだった店内は、男が入ってビールを飲み干すまでに、あっという間に満卓になる。

おでん出汁をつかったポテサラ

「今日、何軒目ですか?」
さっきと同じ店員さんが、男に訊く。
まだ18時半で、普通なら1軒目のはずだろう。
何故、男が早い時間からはしご酒していることがバレたのだろう?
「4軒目くらいかな」
酔った頭では適当な誤魔化しが思い浮かばず、男は正直に答える。

風呂上がりのビールを飲み干した男は、さっそく日本酒に切り替える。

お酒をちびちび飲みながら、メニューを眺める男。
どうにも、おでんの「にゃんぺん」が気になる。
「はんぺんです」
店員さんが即答する。「猫の形にくり抜いてるんですよ」

猫形のはんぺんにはおでんマークの焼き印が

隣の2人組の若い男女の前にも「にゃんぺん」が置かれる。男と店員さんの会話を聞いていたらしい。
隣に立っている女性が男の方を見て、「いっしょですね」と笑う。男はドキドキしながら「そうですね」と緊張で引きつった笑顔を返す。
男は新たな出会いを期待したが、女性は「かわいい」と言いながら何枚か写真を撮り、また男性との会話に戻る。

まぁ、そんなもんさ。
男は女性に気づかれないように小声で呟く。
日本酒をお代りしながら、店員さんと軽く話しているうちに意識が遠のくが、これは単に男の飲み過ぎであり、決して失恋が原因ではない。

またもや気づけば、男はホテルで寝ているのだった。

帰省は「旅」か? 2023年5月2日。

ホテルをチェックアウトする。
ホテルは、室内清掃を断るごとに300円の返金がある(だから、男には900円の返金があった)。

清掃を断るのではなく、清掃希望を申し出るというシステムが良い

チェックアウト前にスマホを確認すると、前日、映画『上飯田の話』についての本当につたない拙稿に、たかはしそうた監督自ら「スキ」をしてくださっていて、男は恐縮すると共に感謝した(ありがとうございます)。

朝7時過ぎの京都駅は、通勤客の方が多いように見える。
新幹線で更に西へ向かい、在来線を乗り継ぎ、実家へ帰省する。
これまで、さんざん「旅?」について悩んできた男だが、帰省は明確に「旅」ではないと思っている。
だから、男が実家でどう過ごしたかはここに書かない。

読書と観劇は「旅」か? 2023年5月3日。

GW後半。
帰省ラッシュに恐れおののいた男は、始発列車で地元を発ち、東京へ戻る。
朝早くに発ったことが功を奏したのか、自由席は通路やデッキに立っている人が若干いる程度で、ギューッと圧縮されて身動きが取れない、というほどではない。男はラッキーなことに、全行程座って東京まで戻る。

とはいえ、満席以上の車内では、ゆっくりお弁当を食べる気にもならず、男は持参した(実は、本を2冊持参していた)中森明夫著『TRY48』(新潮社、2023年刊)を読む。

途中で新幹線の車掌が「左手に富士山が見えます」とわざわざアナウンスしてくださっているのも構わず読書に耽る男は、「旅」をしているのだろうか?

『TRY48』は、1983年に死去した歌人、劇作家…etc…である寺山修司氏が「2020年も生きていたら」という架空の話をベースに、その寺山が「TRY(TeRaYama)48」というアイドルグループをプロデュースする、という物語。
いかにも「AKB48」のパロディーのような軽い物語を想像するが、しかし、著者はアイドル評論家の中森明夫氏である。
物語の前半は「寺山修司批評」的展開で、「彼がもし現代に生きていたら……」と想像させてくれるが、しかし中盤、現代なら炎上どころか確実に重大な犯罪になってしまう彼の行為(或いは性癖)がつまびらかにされるに至り、つまり「現代に寺山修司は存在できない(現に存在していない)」ことが宣言される。
現実に寺山が存在していないため、TRY48の活動についても寺山の自己模倣(中森の創作なのでこの表現は正しくないが、しかし物語としては寺山自身の自己模倣ということになる)で、当時としてはアナーキー過ぎたことが、21世紀では通用する(つまり、「寺山は早すぎた預言者」)ように、前半は痛快な展開を見せる。
しかし終盤、「路上演劇」の自己模倣において、「寺山ですら追いつけないほど時代のスピードは上がっている」ことが露見する。この顛末に物凄い衝撃を受けた男は、暫し大きなフォントで書かれた文章を、呆然と眺める。
それは、インターネットやスマホなどの「テクノロジーの進化」が寺山を追い越した、という単純なものではない。
男は、1990年に刊行された、いとうせいこう著『WORLD ATLAS』(太田出版)を思い出す。

古来、常に商品化されながら、表向きには常に商品であることを認められなかったものが2つある。セックスとドラッグである。その2つが積年の恨みをはらさんとばかりに、激しく商品としての立場を主張しているのがネオ・シックスティーズといわれる現在だ。
しかし、こういったセックスとドラッグの反乱の背景に、'60年代的な資本主義へのアンチテーゼを見てはならない。今回のセックス・ドラッグ商品化運動は資本主義の高度化ゆえの現象なのだから。資本主義はついに禁断の木のみさえも売りに出したのだ。
中森明夫が正しく指摘している通り、純愛ブームも同じ現象である。純愛の美しさが人をひきつけているわけではない。資本主義が純愛まで商品化してしまった、というのが事の真相なのだ。
セックス・ドラッグ・ロックンロールと'60年代は叫んだが、おかげで資本主義の野郎は『おう、3つともいい商品じゃねえか』とうなずいてしまった。
そして今、人間最後の砦である純愛も叩き売りに出されてしまったのである。

「純愛」まで商品化した資本主義は、21世紀を迎えてさらに高度化が進み、「アイドルの恋愛禁止」という反転行為に至り、それすら庶民の「暇つぶしネタ」として『商品化』され消費されるようになった。同様に、'70年代社会のアンチテーゼであったはずの「路上演劇」も軽く消費されてしまうのだ。

『TYR48』はこの展開から、「寺山修司批評」ではなく、2020年代における彼(及び三島由紀夫)の「総括」「断罪」に至る。
新幹線の中で男は、上気しながら一気に読了する。

あまり「帰省ラッシュ」を感じずに新横浜を出発した新幹線に乗る男は、次の車内アナウンスに戦慄を覚える。
『東京駅新幹線ホーム1号車から5号車付近は大変混雑しており、改札までかなりの時間を要する可能性があります。可能なお客様は、品川駅でのお乗り換えをご検討ください』

男は慌てて品川駅で降りる。
品川駅もかなりの混雑具合。男は、人込みに辟易しながら、山手線で新宿へ向かう。

着いたのは、新宿・紀伊國屋ホール。
ここで、劇団「ラッパ屋」の『ショウは終わった』(鈴木聡作・演出)の朗読劇を観る。

1989年に劇団の第9回公演として上演された脚本を、ほぼそのまま朗読劇として上演する。
2000年に刊行された『ラッパ屋図鑑 2000』では、この作品はこう紹介されている。

終戦や全共闘体験など自分の人生の持ちネタを競い合う家族を通じ、昭和という時代の終わりを取り上げた作品。観客動員数3000人突破。岸田國士戯曲賞候補作品になるも大落選。

初演された1989年早々、昭和天皇が崩御され、「昭和」が終わった
つまり、タイトルは「昭和終わった」とのダブルミーニングである。

登場人物である家族が深夜放送を聞くシーンで、その深夜番組のゲストが寺山修司だったことに、男は思わず吹き出す。
つまり現実として、寺山も「昭和」とともに『終わった』のだった。

男は元々「ラッパ屋」好きだ。

そしてそれに加え、客演として上大迫祐希さんが出演されているということで、24時間も実家におらず、しかも帰省ラッシュの中、始発で移動するという強行スケジュールに臨んだのだ(さらに言えば男は「演劇集団キャラメルボックス」のファンでもあり、劇団の看板女優であり「ラッパ屋」創設メンバーでもある大森美紀子さんが、三十数年ぶりに「客演」として「ラッパ屋」の作品に出るというのも、大きな理由である)。
男は、上大迫さんが出演する映画を何作か観ており、今回の舞台に加え、それらの映画なども思い出しつつ帰途につく。

自宅に戻った男は、思わず「あゝ、良い『旅』だった」と呟く。
しかし、ここに記した2023年GW前半における男の行動は、果たして「旅」と呼べるものだったのだろうか?

※本稿は、タイトルにある通り「小説」です。「男」なる人物が本当にそんな経験をしたかについては保証いたしかねます。


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