夏休みと死~湯本香樹実著『夏の庭-The Friends-』~

夏休みを舞台とした児童文学には、長い夏休みの間に一歩大人に近づくといった成長物語が多いが、その成長のきっかけとなるのが意外と「死」だったりもする。

実際、夏休み中には、かつて第2次世界大戦時には広島・長崎の悲劇があり、それを受けての敗戦(「終戦」ではない)は、ちょうど、古来より亡くなったご先祖様をお迎えするお盆の時期だった。
そして、最近はめっきり減ったとはいえ、夏休みには怪談話がつきものであるし、現実的にも、連日とまでは言わないが、頻繁に「子どもの水や山の事故」が報じられる。
つまり、子どもにとって、夏は「死」を身近に感じられる時期であり、それが成長を促すきっかけとなるのも頷ける。

とは言え、最近の子ども(大人もだが)から「死」は遠ざけられ、それは病院や施設といった「身近ではない特別な場所」で起こるものとなってしまっている。

湯本香樹実著『夏の庭-The Friends-』(新潮文庫、1994年)の主人公・木山や友人の河辺もそうだ。もう一人の仲間・山下は最近祖母を亡くしたが、「死=お葬式」でしかない。

そんな彼らは小学生最後の夏休みに、近所の独り暮らしのおじいさんが『もうじき死んじゃうんじゃないか』という噂を聞いた。

「木山、おまえ、死んだ人、見たことないんだよな」
「あ……ああ」
「オレもなんだ」
「つまりさ」河辺は目を輝かせている。こわい。「ひとり暮らしの老人が、ある日突然死んでしまったら、どうなると思う」
「どうなるって……ひとりぼっちで死んでしまったら……」
(略)
「そこを発見するんだよ」
「え」
「おじいさんがひとりで死ぬ。そこを」
「だれが」
「オレたちに決まってるじゃん!」

こうして3人は、毎日、老人の家をこっそり見張ることになった。
しかし、その見張りは老人にあっさり発見される。
最初は不審がっていた老人も、3人のしつこさに根負けしたのか、やがて家に招き入れ、家のあれこれを手伝わせるようになった。

それまで独り暮らしで『もうじき死んじゃうんじゃないか』といった風情だった老人は、孫ともいえる3人の子どもを相手にするうちに、生気を取り戻したように元気になる。
そして、子どもたちも庭の片付けや草むしりをやらされたり、すいかの切り方を教わったりしているうちに、老人の家をたまり場にして入り浸るまでになる。
そして、老人の過去を知ったり、その過去についてちょっとしたお節介を焼いたりする中で、様々な人たちと出会い、成長していく。

3人の子どもたちと老人の微笑ましい関係を読みながら、自分もこんな夏休みを過ごしてみたかったと羨ましく思いつつ、そんな4人の関係をいつまでも読んでいたい気にもなる。

しかし、夏休みには終わりがある。夏休みが終われば、3人が小学生でいられる時間も残りわずかとなる。
老人の人生は3人の小学生より圧倒的に残りわずかであり、「死」は身近なものでもある。

物語を読み終えて、本当の意味で、自分もこんな夏休みを過ごしてみたかったと思いつつ、もしこんな夏休みを過ごしていたらどんな大人になれたのだろうと、想いを馳せた。

この優れた成長物語は、2022年の「新潮の100冊」にラインナップされていた。


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