失って気づく「甲子園」~早見和真著『あの夏の正解』~

「聖地」「魔物が棲む」

高校野球に関する「甲子園」のイメージは、一般の人にも浸透している。しかし、その本当の意味を実感・体感できるのは、やはり「甲子園」を目指す(目指した)高校球児と関係者たちだけではないだろうか。
さらに、その本当の意味の「本当の意味」を実感・体感してしまったのが、2020年に甲子園を目指した者たちではなかったか。

2020年5月20日、全国高等学校野球選手権大会の中止が決定した。

早見和真著『あの夏の正解』(新潮文庫、2022年。以下、本書)の最初のページにある言葉だ。
著者である作家の早見氏は、本書の中でデビュー作である『ひゃくはち』についてこう記している。

もう20年以上も前、僕は神奈川県の桐蔭学園という高校で野球をしていた。
(略)物語の主人公と同じようにひたすらベンチ入りだけを目指す補欠部員だった。
どうしてこのときの体験を小説にしようとしたのか。書いた20代の頃は見て見ぬフリをしていたが、それはきっと「恨み」からだったと思う。あるいは「憎しみ」からだった。あんなに尽くした野球は、結局、自分を幸せにしてくれなかった。

そんな著者が、2020年5月に「夏の甲子園が中止になるかも」という噂を耳にした友人でもある映画監督の森義隆氏が現在の居住地である石川県の星稜高校の野球部を撮ると聞き、自身も2年前に移住した愛媛県の済美高校を取材することにした。
その済美と星稜への取材は、愛媛新聞の連載記事となった。

2020年5月20日。上述のとおり、夏の甲子園が中止になった。その決定は、同日、監督を通じて部員たちに伝えられた。

かつて経験したことのない、いや、それ以前に、現実に起こるなんて冗談でも想像したことがない事態を前に、選手たちだけでなく、監督や関係者も困惑し、悩み葛藤する。
その困惑・悩み・葛藤は、かつての高校球児である著者にとっても同様である。
著者が『恨み』『憎しみ』を未だに抱えている、あるいは、抱えることができたのは、そこが自身の青春を賭けて『尽くす』ことができた、目指すべきものだったからだ。

「聖地」である甲子園が目指せない「高校野球」とは一体何なのか?

読み進めるのは辛い。
それは、運動音痴で学生時代体育の授業が大嫌いだった私でも、高校球児にとっての「甲子園」が、己の青春を賭けて目指すべきものであり、その頂点に立つために全身全霊で『尽く』しているのだと知っているからだ。

「聖地」が目指せない中、野球に対するモチベーションを失い、チームが崩壊するかもしれない。
特に「来年こそ」という希望を持てない三年生にとっては、やり場のない憤りで、どうにかなってしまいそうな日々を過ごしたに違いない。
私を含めて、高校野球に縁がない人たちは、そう危惧する。

しかし、結果的には両校の三年生は、一人も欠けることなく最後の夏を野球に打ち込んだ。

そして迎えた高校野球人生最後の日。
愛媛県の代替大会の準決勝で済美高校は敗退し、三年生は大粒の涙を流した。
キャプテン山田君が流したその涙の理由に、「聖地」甲子園に棲む「魔物」の正体が垣間見れる気がする。

「なんかやり切れたなって思ったんですかね。絶対に泣かないと思ってたんですけど、みんなの顔を見たらダメでした」
「またあらためて聞かせてもらうけど、どういう三ヶ月だった?」
「そうですね。苦しいことばかりでしたけど、楽しかったです」
「甲子園はなかったのに?」
「はい。こんなこと言ったらまた怒られるかもしれないですけど、だから楽しかったのかもしれません

(太字、引用者)

両校の三年生からは、同様に「楽しかった」「楽しんで野球ができた」という声が多く聞かれた。
その理由について、星稜高校の内山君の言葉を引用する。

やっぱり勝たなければいけないとか、そういうプレッシャーや背負ってきたものがたくさんあった中で、中学三年生くらいから本当に心から野球を楽しめなくなっていた自分がいました。
(略)
(最後の試合の)三、四打席目に『これで最後か』と思ったとき、自然と『野球を楽しもう』という気持ちが湧いてきたんです。そうしたら本当に楽しめる感覚になりました。
(略)
(背負ってきたものとは)勝ちにこだわりすぎていたことです。負けたらダメなんだと中学三年生の頃から思い始めて、負けることに対する恐怖感が年々強くなっていきました。野球を楽しむことを忘れていた気がします。

2020年の夏、両校を追った著者が問いかけ続けたこと、それは、『2020年の夏がどんな夏だったか、教えてほしい』ということだ。

それはインタビューを重ねる度、そして、本当に「甲子園のない夏」を迎えた時、それが終わった時、そこから2年が経った時、その時々で彼らの答えは違っている。
違っていい。本書のタイトルは『あの夏の正解』だけれども、正解なんて出さなくていい。正解なんてなくていい。
この先の人生で、彼らは「あの夏」を色んな風に思い起こすだろう。
時には良い思い出として、時には悔しい思い出として、そして時には著者のように、『あんなに尽くした野球は、結局、自分を幸せにしてくれなかった』と恨むかもしれない。
しかし事あるごとに思いは変わったとしても、一つだけ変わらないものがある。
それは、「これまで苦楽を共にしてきた同級生全員が一人も欠けることなくチームメイトとして、一緒に高校野球人生最後の日を迎えることができた」という事実だ。

本書は、甲子園で優勝を期待される強豪2校の選手たちを取材したものだが、彼らのライバル校はもちろん、エリート校じゃない毎年1回戦で敗退する高校の選手たちだって、野球に対する愛憎は変わらないし、あの夏、いろんな葛藤や逡巡があって、それぞれの決断を迫られたはずだ。

もう一度言う。
あの夏を総括して正解なんて出す必要なんかない。
納得しろ、とも、いい思い出にしろ、とも言わないし、言えない。
事あるごとにあの理不尽に対する怒りが思い出されたっていいし、逆に、コロナ禍で不謹慎とか思わず「甲子園がなかったからこそ純粋に野球を楽しめた」と胸を張ってもいいじゃないかと思う。

2022年の夏。
当時の三年生のそんな葛藤を間近で見ていた一年生たちが、三年生となって甲子園にやって来る。

「あの夏」を知る最後の証人でもある彼らのプレーは、「あの夏」を考え続けるかつての三年生たちに、どんな「ヒント」を与えてくれるだろう。


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