関西弁「即興小話」的物語~東直子著『キオスクのキリオ』~
歌人・作家の東直子氏の短歌に着想を得た映画『春原さんのうた』(杉田協士監督、2022年)のパンフレットに、東氏と杉田監督の対談が掲載されていた。
その中で、杉田監督が東氏の小説『キオスクのキリオ』(ちくま文庫、2017年。以下、本書)について、『即興小説なんですよね』と言及しているのを読んで、私は自室の本棚からいそいそと本書を取り出し、パラパラと捲ってみた。
大阪のどこかの駅のホームにあるキオスクで働く、独身のおっちゃん(と自身で言っている)キリオが、生来の人の好さゆえ、ちょっと変わった客たちの面倒事に巻き込まれてしまう短編集。
最初に読んだ時(2017年3月読了)には(たぶん)気づかなかったのだが、改めて「即興小説」と意識して読むと、なるほどと頷ける(当時気づかなかったのは、「即興小説」と明かされたのが巻末の「文庫本あとがき」だったから)。
頷ける理由は、物語が基本的にキリオと誰かの会話で進んでいくからで、それはつまり、作者の頭の中で「キリオと誰かの会話が浮かんでいる」ことを意味する。
わかりやすくたとえると、人形やぬいぐるみなどでの子どもの「一人遊び」と言ったところだろうか。
その会話が関西弁でテンポ良く展開されるため、さながら上方落語の小話のように、気持ちよく読み進められる。
落語といえば、寄席の客からもらった三つのお題全てを盛り込んで即興噺に仕立てる「三題噺」という趣向でお客さんを楽しませていたそうである(その昔、笑福亭鶴瓶師匠と桂ざこば師匠が朝日放送のテレビ番組「鶴瓶・ざこばのらくごのご」で三題噺を披露していた)。
本書の物語と主人公のキリオも、「三題噺」のような趣向から誕生した(三題だかはわからないが)。
そうして生まれたキリオは作者の中でどんどん成長していき、『最初の、ミイコとキリオとへびのエピソード』を含む10編の物語に結実した。
どれも少し不条理で、ちょっぴり切なくて、でもキリオの性格と関西弁のおかげでそんなに深刻にもならなくて、人情味もあって……
上述のとおり、物語はテンポの良い会話で進んでいく。
会話なのに漫才ではなく落語なのは、作者一人の頭の中で人物が動いているからで、落語家が一人で幾人かの人物を演じ分けるのに似ている。
本書は「本」だから、落語と違い自分で読まなければならないが、ただ物語を楽しみ、笑って、ちょっと泣いて…お終いは、「あゝ楽しかったねぇ」と言いながら本を閉じる……それは寄席と同じ体験だ。