ネコポニーについて語りたい
なんやこのタイトル?とお思いだろう。
まずはこちらの記事を読んでみて欲しい。
軽快な文章と綺麗な写真、斜め上をいくタイトルで、後味が良すぎるsaori_kさんのnote。
「ネコポニー」という言葉を教えてもらった。
ネンゴロリじゃなく、ネコポニー
マヌカハニーじゃなく、ネコポニー
エコロジーじゃなく、ネコポニー
(もう言いたいだけやで)
これいい。声に出した響きも可愛いし発想がすごい。わりとトラウマな事でも「ネコポニー」て言うだけで、なんか昇華できそうな気さえする。
saori_kさんが無意識にフライを作ってしまうのも、パン粉を賞賛するハヤノくんからのネコポニーでは?という考察。
おもしろい。そして私もネコポニーを語りたい。そんな衝動にかられた。
ということで私のネコポニー。全然興味のない方も、どうか子ネコを見守るような温かい目で読んでもらえたら嬉しい。
私の母は潔癖なところがあって身だしなみにはうるさかった。幼少の頃から、いつも清潔にして、服もパリッと着こなすことを口酸っぱく教えられた。
でも幼稚園くらいだと目クソ鼻クソなんて日常茶飯事。母がこれを見逃すわけはあるまい。
そんな事は絶対に許さないという勢いで、ハンカチで、時に母の唾液が付いた手で入念に取り除いた。母がそれに執着し、熱くなればなるほど、タッチも力強くなり、幼いながらにティッシュで鼻を拭かれたりすることに、苦手意識をもつようになった。
小学生になった頃には、気恥ずかしさもあり、母の顔いじりから逃げるのに必死だった。ならちゃんと顔洗えや。という話だが、昔から目元も鼻も隙だらけだったようだ。
例えば、それは信号待ちなんかで、私の顔を見た瞬間にはもう手が伸びていた。疎ましく思い、逃げるのだが、止まらない母のチェイス。
逃げれば追う。では上手くいくわけはあるまい。攻防が激しすぎてこんなことも……
そんなことで高学年の頃には、私の顔を触ろうとする母の気配を察し、スウェーで事前に回避する能力が備わっていた(そんな嫌ならもっと鏡みろよ)
「そんな嫌なら自分で拭きいな」と小鼻を膨らませながら、私にティッシュを渡してくれたが、母はきっと寂しかったに違いない。
さすがに高校生ぐらいになると、身だしなみには気を遣うようになったが、身体に染みついたものは簡単には消えなかった。
初恋の人とやっとの思いで、いい感じになった時も、彼女の手が私の顔に触れようとした瞬間、全力で顔を後方にスウェー。好きでたまらないのに全力ディフェンス。
「昔からオカンに鼻や顔をいじられ過ぎたネコポニーで……」と言い訳もまたカッコ悪い。なんやこいつマザコンかい。と思われたに違いない。
ちなみに奥さんでもダメで、顔についたものをとってくれようとしても、反射的にスウェーしてしまうし、子どもと遊んでいても、それは見事なディフェンス力を発揮している。
面白いことに母と同じように、奥さんも鼻水などへの追いかけ圧がハンパない。子どもがそれを嫌がりスウェーして机の角に頭をぶつけていたりするのを見ると、ネコポニーにならないかと心配になる。
だから私は、北斗の拳のトキの如く、激流を制する静水のようにベルベットタッチで我が子の鼻水を仕留めるよう常に心がけている。
ネコポニーの連鎖を打ち切るべく日夜、ベルベットタッチでシームレスな対応をこころがけている。
母の愛が、私に残したネコポニー。
なんの話や。サムネイル、🐎ウマやな。
🐈 🫏