小説『男ともだち』読んでみた~男女の友情はずるいのか?~【読書感想文】
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以前読書感想文を書いた文庫本『あなたとなら食べてもいい』をamazonで購入した際に、“こちらもおすすめ”に出てきた『男ともだち』。
以前の記事はこちら↓
なんか、読む前からヘビー級な予感がしてちょっと迷ったが、一緒に購入してみた。
著者は千早茜さん。本作は、2014年に直木賞候補となった作品とのこと(千早さんは後の2023年に『しろがねの葉』で直木賞を受賞した)。
ざっくりあらすじ。
仕事が軌道に乗り出してきている、イラストレーターの神名葵(かんなあおい、以下神名)。
同棲している恋人・彰人とは仲が悪いわけではないが、もはや空気のような存在。
恋人とは別に、既婚者の医師・真司と不倫関係にもある。
ある日、卒業以来音信不通だった大学時代の“男ともだち”長谷雄(以下ハセオ)から、7年ぶりに連絡が来る。
かつて互いが風景の一部になってしまうくらいに、神名とハセオはいつも一緒にいた。
自称、誰とでも寝る女・神名と誰とでも寝る男・ハセオ。
それなのに、二人は決して恋人関係になることはなかった。そしてお互いに恋人がいても、当たり前のように一緒にいたのだった。
神名を取り巻く男たち。
売れっ子イラストレーターになりつつあるのに、なぜかぬぐえない仕事への焦燥感。
京都を舞台に繰り広げられる、7年ぶりに再会した神名とハセオの過去と現在が交錯する物語。
再会した男女のキラキラ胸キュンラブストーリーを想像しがちだが(そんなことない?)、この物語はそんな生易しいものではない。
まず、そもそもこれはラブストーリーではない。少なくとも自分は今作をラブストーリーとは到底思えなかった。
湿度80%、じっとり湿り気のある、どうしようもない“人間という生物”の物語。
主人公の神名は、下の名前「葵」で呼ばれることを好まない。理由は女っぽ過ぎるから(葵って女っぽいかな?むしろ中性的だと感じていた。自分はライター名あおいいんこだから、名字で呼ばれるとしたらあおいになっちゃうな)。
しかしながら、神名の人物像は、ザ・いい女。
細くて、体のラインが出るようなピタッとした服と赤いピンヒールが似合う、ちょっとけだるい雰囲気の色気のある女性。
女っぽくて色気があるのを十分自覚している。
自分はもし同じ大学にいたとしても、お友達にならないタイプかもしれない😅
できるだけ体のラインを拾わないような服と、靴を探す時のキーワードは「ぺたんこ」「コンフォートシューズ」なもので。。
ハセオは高長身で筋肉質。
掠れた低い声はセクシーで、タバコと香水の香りがする。ちょっと退廃的な雰囲気を醸し出している、女には不自由しない色気ムンムンの男。
つまりこれは、いい女といい男のお話だ。好みは置いておいて。
人物像だけ見ると、「なんだ、イケてるリア充な人たちの、神々の遊びみたいなお話か」となりそうだが、内容は思った以上に共感できてしまった。
共感できたどころか、わかりすぎて食らってしまい、途中何度か「わー!!」と本を投げ出しそうになった箇所もある。
同居していても、神名の仕事に興味も理解も示さず、いつの間にか心が通わなくなっている恋人彰人→理解したいとも思っていない人には、もう何も言いたくないってなってしまうの、わかるよ。
イラストの仕事は順調なものの、本当に描きたい絵で絵本を出版したいという夢は一向に実現しない→神名はイラストレーターとして成功しつつあるのだから、まだいい。
いい年して、何も成し得ていない自分…。
神名は過去の性的なトラウマから自己肯定感が低い。自分を雑に扱う相手との不毛な不倫にあえて身を投じるなど、表向きは何もかもうまく行っているように見えても、本当は何一つ満ち足りていない。
ハセオの声を聞いた瞬間、神名はあの何者でもなかった頃の自分にするりと戻って、自然と笑っていることに気付く。
ハセオは神名に何も求めない。心も体も。
元気がない時はただ俺を利用すればいいと、半ば強引に与え続けてくれる。
デリカシーもない、優し過ぎない。でもそれに神名は救われるのだ。
そしてごくたまに、さらっと自然に神名を褒める。
嘘じゃないのがわかるから、神名の自尊心はゆっくりと満たされる。
本作が直木賞候補になった際、神名とハセオの関係性にリアリティがないのではないかと、議論が起こったそうだ(巻末の村上由佳さんの解説にそう記されていた)。
恋人でもない女をこれほど支えてくれる男なんていない、ハセオは頭の中で作り上げた都合のいい幻想キャラだ、男と女が同じ部屋で何日も過ごして、何もないわけがない、などなど。
つまり、これほど見返りを求めない親密な男と女の友情なんてやっぱりないんだよ、という意見が大多数なのだろう。
世の中で散々議論されている“男女の友情はあるかないか”。
先に自分の意見を言ってしまうと、こんな感じだ。
男女の友情はある、間違いなく。ただし注釈付き。
知人や友達にはなれても、基本的に親友にはなれない。なれないというか、ならないようにコントロールしないと友達ではいられない。
それ以上を求めたら、男女の友情の臨界に達して、別のものに変化してしまう気がするから。
逆に、親友になりたいほど心が通う相手なら、むしろ別のものに変化した方が楽なのではと思う。
ただし例外がないとも言い切れない。
信じられない人にはありえない話と思うかもしれないけど、実は意外とあるんだと思う。
それでもその終着点は友達のままなのか、やっぱりわからない気がする。
神名とハセオが出会ったのは、大学だ。
大学時代とは、人生の中でかなり特殊な環境なのではないかと思っている。
未成年から大人になる時期であり(今は18から成人になってしまったが、精神的には変わらないだろう)、親の庇護から離れて一人暮らしをする仲間も多くいる。
時間もたっぷりあって、自由に使っても誰にも文句を言われない。
若くて気力も体力もあるし、学校の後一晩中仲間と遊んで朝マックまで食べて解散しても、またその日も遊んじゃう。来る日も来る日も。
学生という肩書があるから、そんな生活に後ろめたさは一切ない。ただただ無為で退屈で楽しい日々。
こんな不真面目な学生ばかりではないと思うが、少なくとも自分の学生生活はこんなものだった。
大学生活はまさに大人でも子供でもない、社会人ですらない“無罪モラトリアム”な日々なのだ(そういえば椎名林檎の『無罪モラトリアム』大学時代によく聴いたな)。
その時期に形成された人間関係はけっこう特殊だし濃い。友人関係も恋人関係も。
そんな特殊な環境下では、神名とハセオのような男女の濃い友情が形成される場合だって当然あるだろうと思う。
逆にいえば、大学時代以外にこの関係性を作ることは難しいかもしれない。
神名はハセオの家に毎日入り浸り、ハセオのベッドで勝手に眠ったり、時々仲間の麻雀に参加したり。
そんな日々を過ごしていたから、二人は7年ぶりに会っても、すっぽりとその空気感に包まれて居心地の良さを感じることができる。
自分の立ち位置に合ったキャラを無理に作らなくてもいいし、ただただ楽なのだ。
そうはいってもそれだけではなくて、やはり同性の友達とは根本的な何かが違うのも、また事実。
ハセオはいつだって神名を少しだけ女の子扱いして守るし、甘えて欲しい。
神名もその少しだけ守られている感じが心地良いし、甘えたい。
このお互いがフィットする安心感は、同性の友達では絶対に得られない。
作中に「男ともだち」はずるい響きだというセリフがあるが、そういう意味ではずるいのかもしれないね。
結末を書いてしまうと、神名とハセオは結局最後まで寝ることはなかった。
世界の終りの日が来たら、その時しようぜと約束する。
でも、本当の終着点がどうなるかは誰にもわからないのだと思う。二人にも。
世界の終わりは、意外に早く来るのかもしれない。
「ねえ、ハセオ。なんで、私とはしないの?」
「誰とでもやるくせに、私とはしないってちょっとひどくない?」
・・・なんか、わかります笑
この記事、“ハセオ”には絶対見られたくないな。もちろん家族にも💦
この辺でもうやめます。