【北海道のひだりうえ/稚内市】西條デパートと記憶
徳谷柿次郎さん(柿やん)が編集長のジモコロにて、「ローカルフレンズ滞在記」の特集記事の取材が行われた。
取材のカメラマンとして同行し、西條デパートの撮影をした際にふと考えてみると、遠別町にUターンしてから西條デパートに入ったのははじめてだと思い当たった。遠別町を離れてからのことを換算すると約15年以上にもなる。大人になって移動範囲が広がったこと、インターネットでいくらでも買い物ができることになり、用事が少なくなってしまっていた西條デパートの記憶。
西條デパートが残した記憶
クリスマスの前の週、車で1時間30分かけて稚内市のデパート「西條」に買い物に行き、好きなものを買ってもらった記憶。うちの親はサンタクロースがプレゼントをくれる、ということを一度も言わなかった。たぶん、うまく隠し通す自信がなかったんだろう。2階のフロアにあったおもちゃコーナーで、兄妹4人でそれぞれ好きなものを選ぶ。同じフロアにあった「こどものくに」でアンパンマンのポップコーンゲームみたいなものを必ずと言っていいほどやっていた。
小学校の修学旅行に向けて、新しい靴を買う時も西條デパート。そのときは、当時まだ元気だった母方の祖母が靴を買ってくれた。BRIDGESTONEの、黒と白と赤の蜘蛛みたいな柄の靴だった。中学校の修学旅行の時にも、同じ場所で、そのときはコンバースのオールスターを購入してもらった。中3ですっかり成長が止まり、そのときの靴は大学2年生まで履き続けていた。
高校時代、はじめて彼女ができたとき。避妊具を町内で購入することができず(唯一の薬局に置いていたが、恥ずかしくてそこでは買えなかった)西條デパートで購入した。今ではデパート内の薬局は拡張した靴コーナーに変わっていた。
ついでに、2階フロアにある下着コーナーではじめて自分でボクサーパンツを購入した。トランクスからボクサーパンツに切り替わったのはこのタイミングだった。
彼女へのプレゼントを購入したのも西條デパートだった。貴金属売り場にいることが恥ずかしく、親に気取られないように、ゆっくりと選ぶことなく即決で購入したpepeのネックレス。
外食が得意じゃなかった父親が、かたくなに入ろうとしなかったファミリーレストランペリカンが今も残っていた。
街には記憶がある
遠別町から稚内市まで、直通の公共交通機関はない。そのため、稚内市へ行くということは家族のイベントのようなものだった。店内に入ると、優先する目的がある場合はその売り場へ直行し、その用事を済ますとそれぞれ自由に店内をうろつく。最後に合流し、カートを押しながら食料品を買って回る。サザエ食品のおにぎりをみんなで選び(えび天おにぎりが好物だった)、ロッテリアでハンバーガーを買い、ミスタードーナッツでドーナッツを買う。どのお店も遠別町にはない。
とても自然な、用事を目的とした家族イベントであり、娯楽の一種でもあった西條デパートは、あの頃の自分にとって稚内市との唯一の接点であったはずなのに、今の自分にとってほとんど用事のない場所になった。行動範囲が広がったことで、見えなくなった場所。それでも、自分の中に稚内の街の記憶は掘り返してみると驚くほど鮮明に残っている。
取材をしながら、記憶を辿りそんなことを考えていた。自分にとって稚内市は家族と来る場所だったけれど、これからは少しずつ新しい稚内市の楽しみ方を少しずつ掘り進めていきたい。
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