【イナカの家と住人のこと(2024)】26・生命の領域に
先にお話しましたように、
この年の前半は、
個人的な命と向きあう時となりました。
そして、
区切りともなる7月末の誕生日にそれらを踏まえ整理をしたことで、すぐさま次の学びがおきてきました。
それが父の病気の発覚でした。
私が整理をした2日後、父が胃の不調を感じ病院へ。
2日後に検査となり、
検査当日、検査結果から事態が一変。
胃の出口がほぼ塞がっておりこれ以上食が取れないとのことで、そのまま大病院に行くように促されました。
父とふたり、受診し検査の順番を待つこと数時間…
その間お父さん子というだけでは言い表せないような、いつも以上に穏やかで愛おしい時を感じていました。
夕方になりやっと父の検査がはじまり、
面談にそなえて家族を呼び待機。
面談はひとまず父を抜きで行なわれたのですが、家族にとってはいきなり予想もしない厳しい言葉が…
容態説明を受けすぐさま、治療を行うか否かを問われました。
その質問の意向が分からず訊ねてみると、
父は90歳で一般的に言われている高齢者、だからの問い掛けでした。
治療をしても先行きは暗いと。
とはいえ数日前までは元気そのものでいたところに、治療せず自宅で過ごし余命数日と言われても受けいれられる訳もなく…
先は分からずとも治療を選択しました。
ですので即入院。
父は看護師さんに押してもらい車椅子で、私達も一緒に病棟に移動。
病棟に着くやいなや何も告げられずに父はどこかに、私達は手続きのため面会室にと別行動となりました。
時は行動制限全盛期、入院にあたっては面会できないだけでなく、荷物も1週間に1回受付でやり取りするのみという説明を受け、しょうがないとはいえ通常との違いを目の当たりにしました。
これが高齢者でなければ命に関わるまでの病状ではなく、スマホで連絡もできるのでダメージは少なかったでしょう。
しかし自力で連絡ができない、まして命の終わりを告げられた高齢者家族にとっては再会さえ危ぶまれることとなり、ショックの追い打ちをかけられてしまいました。
そんな諸々の話が終わり、
「手続きが終わったのでこれで」と言われ、
何か釈然としないまま暗くなった駐車場に向かって歩いていたのですが、途中でその何かが明らかになりました。
それは、
手続きが終わったら父にもう一度会えると思っていたのがそうではなかったことでした。
これから会うことも話すことさえできなくなる状況にあって言葉を交わす機会も与えられず別れることになり家族にとっては無情なこと、その状況ゆえ当事者である父がまったく事を把握できていない、事がバラバラでひとつになっていない、
そのような引っかかりでした。
今でなければ!
歩を止め母と姉に説明をし、
病棟に引き返し看護師さんに理由を伝え、父に会わせて欲しいとお願いをしました。
そんなこちらの心中をよそに、
車椅子に乗せてきてもらった父は、
存在自体が別次元にあり、
見た瞬間から時が止まりました…
父は生命そのものでした。
身をもって生命をみせてくれていました。
まさかその様なことが起こるとは…
その父を感じながらも一応状況を伝え、
病棟を後にしました。
余韻残る中駐車場に向かい歩いていると、
「お父さん、なんか白くてきれいだったね」と母が。
天然タイプの母も感じるところがあったんだなと。
父のいない家にもどり、
落ちついた気持ちで突然起きてきた出来事を回想しました。
検査の待ち時間に感じたこと、
それだけではなく生命まで事が進んだこと…
これらが私のコトタマ自覚に関係していることが分かりましたし、理解できました。
検査待ち時間の感覚は、
父が個を離れた状態であったこと、そして私自身も事の重大さから意識が今を捉えていたから得られた感覚だったんですね。
その後にみせられた父を通した生命…
そこでハッ!?と。
置き土産…
とっさに、
打ち消すかのように、
余計なことは考えない!!とすぐに目の前の事に意識を修正し、
これから始まる出来事に健全に向き合えるように、ひとまず寝ることにしました。
それにしても突然、
この一日で、
自分事の範囲では済ますことができない事態がやってきてしまいました。
しかし端を発したのは自分、
そこを真摯に受けとめ、
次のテーマに入ったことを実感せざるを得ず。
コトタマの学び、自覚・・・
いかに。
ここのふり返りが、
ふり返りをしてきている中で峠のような…
越える作業は超える一歩に。
では、またね。