光へ逃げる、体験小説『Escape to light. White out.』【完成版】
はじめに
2023年12月3日(一般公演)、12月8日(バイリンガル公演)に逃げBar White Outにて新作の体験小説『Escape to Light. White Out.』を公演しました。
まずは来場いただいた方々の感想を一部抜粋
全2回の公演でしたが、どちらも満員御礼となり。同じ公演に2回足を運んで2回泣いてくれた人もいました。
本記事は本作の解説及び、当日に現象した物語を小説に反映した完成版の小説を記事最後部に掲載するものです。体験小説をフェス以外の表現方法で制作した際の参照記事にもなりますので、ご共犯者の皆様はもちろん、体験小説に関心を寄せていただける方も、下記の記事と併せてぜひご高覧いただけると幸いです。
体験小説という手法について
簡単に「そもそも体験小説とは」ということに触れておきます。
体験小説とは、空想世界のリアルな体験を開く営みです。
空想世界は未来ということには限らず、今まだ現れていないが想像し得る全ての世界を指します。そして、それを漫画やゲームのように作るのみならず、現実世界で体験できる時間と空間を、体験として開くものです。
演劇のようにただ鑑賞するのではなく、オープンワールドを開きます。つまりその世界は現実と同じような自由度で開放されていて、来場者はその世界の住人として、自由にその場を過ごすことができる、というものです。
体験の内容はフェスティバルとして開くことが多いですが、展示や展示やイマーシブシアターなど幅広く、特定の手法に限りません。
下図では分かりやすくフェスの場合の体験小説のワークフローを整理したものです。
まずは自らの想像の中で小説を書き、その世界を特定多数の制作メンバーと共にフェスとして制作し、不特定多数の来場者(体験小説では共犯者と呼んでいる)と共にその世界の住人として過ごします。
そしてその体験の中で実際に起きた出来事を小説にフィードバック(改稿)し、空想と現実が混ざり合う小説とフェスの2作が出来上がり、その一連の流れすべてを「体験小説」と呼称しています。
更に詳しくはぜひ冒頭の記事を読んでみてください。
本作で描いた世界観
本作で描いたのはざっくりいうと死後の世界です。
今回「逃げBar White Out」という場自体を主役に、この場のコンセプトを体験小説に仕立てていきました。逃げBarのコンセプトは下記のようなものです。
星(死後)の視点から自らを見つめるために、死後の世界を描きました。
とはいえそれは天国とか浄土のような個別の宗教観に当てはまるものではなく、雨宮の過去作を通じて構築してきた独自の死後観です。
そして死後、と分かりやすく言ってはいるものの描いているのはあの世でもこの世でもない世界で、逃げBar White Outは見渡す限り真っ白な虚空であり、無を有するという矛盾を抱える場所ゆえ、そのどちらにも属しません。
それがどういう死後世界観なのか解説する前に、原作小説の舞台となる大元の世界観について共有しなければなりません。本作の舞台は2059年、横浜。この時代、謎の氷河期で街は年中吹雪いています。
そして暮らしている当人たちは気づいていませんが、2059年に至るまでに世界は2度、世界そのものを引越しています。2047年以降の“このせかい”は「MiroK」と呼ばれているメタバース世界です。
VRのメタバースではなく、現実と何も身体感覚の変わらない電脳世界です。MiroKはKaMi(KaMiNG SINGULARITYより登場する人類の持続可能性を司るAGI)により個人間の想像世界の連結拡張に成功した世界です。
例えば目を瞑って、頭に浮かべた光景はそのまま世界に現象し、それを他者間で、この世界で何かの景色を共に見る時と同じように自然に、当たり前に共有がなされています。
KaMiにより完全に運用されているこの世界は、前世界であるNEHaNで既に電子化している人類の新たな拡張ストレージとして作られました。MiroKにある「Ændroid clinic」という場ではこの世界の個人のライフログ(これまで生きてきた全ての記憶をフィルムのように再生できるデータ)を回収し、任意で理想のライフログを選び転生することができます。(つまりゲームカセットを選ぶように、理想の人生を選んでプレイすることができます)
「Ændroid clinic」のシステムは人間たちには開示されておらず、ただ理想の自分に転生できる診療所として認知、利用されています。
逃げBar White Outがあるのは、そんな世界です。
電脳世界なので実際的な肉体死はもはや存在しませんが、人間たちの認知の中では未だ存在しています。
今作の主人公である「ゆき」はダンサーになるためのオーディションに向かう途中に交通事故に遭い、死んでしまいますが、実際に死んでいるわけではありません。(そもそもこの世界では生と死の区別ができません)
そしてゆきは自らの想像する死後の世界に迷い込み、自ら生み出した人々(ご来場の皆様)に迎え入れられます。
ゆきの想像する死後の世界とは、見渡す限り真っ白な無垢の世界。そこにいる人々は皆何者でもなく、自由です。声は反響して聞こえ、時間はありません。そしていつでも生まれ変わることができる世界です。
ゆき自身は生前(と思っている記憶の中で)ダンサーになることに執着していました。社会に生きる中で、社会は「何者かであること」を求めます。「あなたは何色なの?」と問います。ゆき自身の本心では踊っていられればそれで良かったはずなのに、いつの間にか「何者かにならなくてはいけない」「ダンサーにならないとダンスを続けられない」という社会常識に蝕まれ、焦燥感に苛まれていました。
しかし本心では、誰も、何者でもなくて、純粋無垢な生命であることの美しさや、その歓びを分かち合いたいだけでした。ゆきはむしろ誰でもない存在であり続けることを、求めていたのです。そして想像されたのが、無垢な世界でした。
この場に存在するすべてはゆきの想像の産物。聞きたいことを言われ、見たいものを見ます。
そしてゆきは想像の世界で、あの世から迎えられます。この世での葬式と反対に、あの世ではお迎えの儀というものがあり、手向けられた花と共に棺桶で眠るゆきは、目覚めると同じ顔をした白い人々に迎え入れられます。
手向けられた花々はその場にいる白い人々と同じ数だけあり、その花の一つ一つはゆきの一部を構成する大切な要素です。(例えば白い菊なら誠実さとか、ピンクのユリなら虚栄心など)
ゆきの想像する死後世界では、手向けられた花々を白い人々に受け渡していくことで、過去の自分を少しずつ清算し、白い人々と同じように無垢な状態に自分自身がなることで死を達成させます。
しかし全てを手放したはずが、元の地球、NeHAN、MiroKの様々な生命の記憶がタイムレスに、死ぬ間際に見る最後の夢のようにフラッシュバックし、ゆきは最も自由なダンスと共に、死の世界に留まらず、生まれ変わることを選んでいく、というのが本作における大まかな物語、世界観です。
この世界観を構築するに至る背景も少しだけ。
実は本作は物語を描く前に、主演を決めました。それがおしだゆきというアーティストです。彼女は前々から逃げBarで共に企画展を催したり、彼女自身のパフォーマンスの場として使っていたり、この場とも縁がある人物でした。
周囲のエネルギーを自らに憑依させ、反射率が極めて高い写し鏡のようなパフォーマンスをすることができる彼女は、逃げBarと同じく何者でもないという方向性を持っていました。(側から見ると際立った個性を保持しているように見えるのに)
彼女にとっての逃げたいものや死生観をヒアリングする中で、本作の物語の骨子が浮かび上がり、今のおしだゆきに生まれる前の”ゆき”という人物のキャラを今の方向性と反対(何者かになりたがる)にすることで、おしだゆきがおしだゆきになるまでの因果を書きました。
つまり体験小説としての営みが始まる前からすでに虚構と現実が重なり合い影響しあっていたのです。
本作の体験設計
体験小説は「共有→共謀→共鳴→共犯→(共育)」という流れで体験設計をしていきます(詳しくは冒頭の記事参照)
今作もその流れで体験を設計していきました。
下記よりそれぞれのフェーズで設計していたことをまずは箇条書きにて。
①共有
・原作小説の事前共有
・当日開場前の前段講演
・開場直前のアナウンス
・開演15分前から開場し、店内を冒険してもらう
・時計柱の生命の循環を現した曼荼羅
・小説KaMiNG SINGULARITY作中で本作を示唆するページが開かれている
・世界観を理解するための手助けになる言葉が至る所に隠されている
・『天国へようこそ』の歌詞にて死後の世界観を示唆
・逃げBarからの声で今回の役割をリマインド
・サクラによる行動の見本づくり
②共謀
・ゆきをどう迎え入れるか来場者間で話し合う
・拍手のアイスブレイクで一体感を高める
・上記2点で思考と身体のウォームアップをしてお迎えに備える
③共鳴
・棺桶から出て時間を確認しオーディションに行けなかったこと、何者にもなれなかったことを悔いるシーン
・鹿の台詞により、原作で書かれていたゆきの想像と現状の一致から世界認識を高める
④共犯
・ゆき自身も鹿の台詞や周囲の光景から世界認識を高めていきつつも、まだ懐疑的な様子を自由な空白時間により、能動的に共犯できる機会をつくる。
・ピアノ、鳴り物、書き物、本、など表現の多様性を確保するセッティング
・仮面と全方位的な音響による匿名性の担保により心理的ハードルを下げる
・演者も特定の振る舞いを定めず、インプロすることで場と調和させる。
・鹿の台詞をきっかけに、ゆきはここが自分の想像世界であることを確信する。そして本公演を象徴する『光』という音楽と共に、手向けられた花を配り、自身を手放していく。花を受け取ることで来場者はその花に込められた意味を解釈し、憑依させる。
・周囲の気を感じ取りながら踊るゆきのインプロに影響を受け取り、共に踊ったり、見たり、書いたり、見送ったり、生者の世界に帰ろうとする死者へ、死者側の視点から自らの行動を決める。
⑤共鳴2
・本公演ではここで再度共鳴フェーズに入る。
・ゆきが棺桶に入り、旅立った後『おかあさんの唄』を再生。生者の世界での母視点のお迎えを想起させる。何者でもない死者の世界の住人ではなく、母から生まれ今この世界に存在する自分自身をメタ認知して、ここまで共犯してきた行いはすべて自分が生まれる前に起きていたかもしれないことなのではないかと、現実と物語、役割と個人の壁を壊し、共鳴させる。
・最後にお迎えの儀を開き、進行していた声の主が逃げBar White Outそのものであることを知り、この場の役割、意味、コンセプトをメッセージングする。
⑥共育
・ここのフェーズは場だけ作りハンドリングしようとしない。
・逃げBar White outを通常の形でシームレスにオープンし、Barとして来場者、演者、一体となって自由に過ごす中で作品を消化、昇華する。
「共有→共謀→共鳴→共犯→(共育)」の流れは来場者の体験設計のみならず、共に制作をするチームも同じような流れで制作を進めます。まず自身が原作小説を書き、世界観を共有し、小説や企画書に書かれていない余白を共に共謀し、共犯します。これを何度も繰り返し、共に育ちながら上記のような体験を共に創りました。
演者の振る舞いの多くはそれぞれが自分で物語を解釈し、役割や立ち居振る舞いを想像し、インプロ的な創造を繰り返し、作り上げていったものでした。
それでは下記より、原作と実際に起きた出来事を和えた完成版の体験小説となります。お愉しみください。
体験小説/完成版
死ぬ直前、世界がスローモーションに見えるというのは本当だった。
私にぶつかったトラックの運転手の顔の黒子の位置までよく見えた。
周囲のざわめきや、車の走行音が浴室のように反響して聞こえる。
死後の世界もこんな風に音が響くのだろうか。
こんなに吹雪いているのに、身体が熱い。
オーディション、行かなきゃ。
しかし立つべき足がどこにあるのかが分からなかった。
病院の扉のように重くなったまぶたをなんとか開いて、足があるはずの場所へ目線を落とす。身体は深く積もった雪に埋もれ、雪は真っ赤に染まっていた。頭が真っ白になってきて、再びまぶたは落ちる。
「サンブーカはエルダーフラワーのリキュールですよ。エルダーはサンブークス属だから、サンブーカって名前になったんじゃないですかね」
黒や焦茶のシックな装い。オーセンティックなバーの光景。私のバイト先。目の前には馴染みのお客さん。横では後輩がお客さんの質問に答えていた。
「そうなんだ! 円くん、相変わらず植物詳しいねー」
と言っているのは私。
この日のことは覚えている。
ほんの一月まえの出来事。
走馬灯で見るには平凡な、いつものバイトの時間だった。
私が話しているのに、私の自由はそこにはなくて、まるでよくできた自分のロボットのようだった。身体が分離して、幽霊のようになっているわけでもないのに操縦士でもない、不思議な感覚だった。
人と話す仕事は楽しかったけど、バイトしている時間なんて全部ダンスの練習に使うべきだと、内側にいる私は叫び続けていた。その声が聞こえてこないように、お客さんと話したり、お酒を作ることに没頭して、逃げていた。
でも本当に逃げ切るためには、プロのダンサーになるという目的を遂げるしかないと分かっていた。そのためにはオーディションに受からないといけないし、練習しないといけないし、やることはいつだって明確で、行動はいつだって曖昧だった。
「ゆきさんは、人は死んだらどうなると思います?」
シャッターを下ろして、店仕舞いをしている最中、円くんが唐突に私に尋ねる。彼が最後までいたお客さんと話していた話題だ。
「とても自由だと思う! 想像したものすべてが現実になって、つまり自分と世界が1つなの。でも同時に、それは無なんだとも思う。声も、音も、意味も何もない世界に行けるんだと思う」
私はかねてから考えていたことを問われて、嬉しくなって即答する。
彼はゆっくり落ちるシャッターを見つめながら答える。
「なるほど。僕はむしろこの世がすでにそうで、あの世は何も想像できないんじゃないかって思うなぁ。あ、でも、人は死ぬ間際に夢を見るらしいのですが、その夢を死後もずっと引きずってるってことはありそうです」
私が言葉を解釈していると、彼は続けて話す。
「そういえば近くに逃げBar White Outっていう謎のバーあるじゃないですか。この前お客さんに聞いたんですけど、あそこ死後の世界と繋がっているらしいですよ」
私は思考が止まり、吹き出してしまった。
「あはは、何それ! めちゃくちゃ行ってみたいんだけど」
しんしんと雪の降る誰もいない夜の通りで私の笑い声だけが響いた。
「かなり酔っ払ってましたからねぇ」と彼も笑う。
「でもね、その話がなかなか具体的なんです。どうやらあの中は見渡す限り真っ白な光の空間で”お迎えの儀”といって、新たに亡くなった方を死者の世界に迎え入れる儀式が催されているらしくて」
「うんうん、それで?」
私は楽しくなって、前のめりに話を引き出そうとする。
「そこで寄ってたかって、新たな死者に死後の世界のことを教えてあげるそうです。ここには時間がないよ、とか、ここにはやるべきことがないよ、とか」
やるべきこと、という言葉に冷えた鋭利なものが肌に触れたような感覚があった。「確かに、しっかりしてるねー」と少しだけ引き攣った笑顔で言った。
「この世界ではお葬式で死者に花を手向けるじゃないですか。その花は死後の世界でそれぞれ、故人を構成していた様々な特徴を持つそうなんです。例えば白い菊なら誠実さとか、ピンクのユリなら虚栄心とか。参列者たちはそれを受け取るんですって。つまり死者は自分の特徴を一つずつ失っていくんです。そうして何者でもなくなっていくことで死者になっていくのだとか」
「円くんもしかして、お迎えの儀に参列したことあるの?」
と私が茶化すと、彼は何も言わずに微笑んだ。彼の背後、逃げBarがある方の夜空を見ると、国道一号線上にはガラス細工のように完全な曲線で描かれた三日月が、ふわりと浮かんでいて、彼の口元はそれと同じ形をしていた。
私は何かから逃げるように、まるで防御呪文を唱えるように、連ねて言った。
「あ、もう1つだけ言っていい? 死後の世界の話。私ね、あの世にいる人たちはいつでも生まれ変われると思うよ」
キラキラと音が鳴るような木漏れ日が黒い大地に雨のように落ちている。私が見た事がない光景が浮かぶ。踊るような模様のイヌシデの樹皮に、ヤマガラの合唱が大気を揺らす。
コナラにクヌギ、ヤマザクラの木立の隙間を小さな虫たちが自由に飛び交う。陽の光が身体に満ちると、自然と身体が動き始める。
蛇のように腕を伸ばし、猿のように腰を曲げ、鳥のように足を浮かして、全身を森のリズムに預けた。身体中の水分が蒸発してしまうまで私は踊り続けた。
酸欠状態の身体に、心臓は慌てて酸素を共有しようと心拍数を上げる。勝手に生きている、その事実に、感謝を込める。
少しずつ意識が薄れて、私が消えていき、この世界と一つになっているような感覚が芽生えると、太陽模様が現れて、私は平衡感覚を失う。
赤と、黒と、白が同じ時間だけ現れて、消えた。
音が聴こえる。
床を擦り歩くような音。話し声。
すべてがゆっくり反響しているように聴こえる。
いつ眠ったかも覚えていない、突然の目覚めだった。
眠気もないので、目を開けると、暗かった。
まだ夜なのか、窓の方を見つめると、闇から漏れるように少しの明かりが差し込んでいる。カーテンから漏れた光の差し方とは異なる角度で。
不思議な光の方へ、手を伸ばしてみた。
闇の途中で「ゴン」と何か固いものに指先がぶつかる。
驚いて身体が反射すると、左右にも何か壁の様なものがあることに気づく。
箱のようなものの中にいるらしかった。
捉えられたのかと思い、箱からの脱出を試みて、上蓋をこじ開けようと押し上げた。すると外から蓋を開ける力が加わり、ふわりと浮く。
ただ、光があった。
視界いっぱいの白い光。
天国、と思ったのも束の間。
目が光に慣れてくると、周りに人々の輪郭が浮かんできた。
同じ顔をした白い人々が座して、私を見つめ、盛大な拍手をしながら、周りを囲んでいる。
私は驚いて、箱から逃げるように飛び出した。
飛び出しながら気づいた。
足が、ある。動く……なんで……。
そしてオーディションに向かっていたことを強烈に思い出す。
時間、時間! 白い空間にある時計らしきものを探して、見る。
「Now」とだけ、その時計には書かれていた。
時計がかけられた柱に縋るように、ずるずると身体を預け、力なく絶望する。私が飛び出した箱を見つめると、それは棺桶だった。
私、死んだんだ。
死後の世界だからこんな人達がいるんだなぁと、周囲の不思議に謎の信憑性が出てきて、恐れは抜けて、棺桶の方へ戻る。棺桶の淵に頭をもたれかけて呟いた。「私、死んだんだ……結局、何者にもなれなかったな……」
「何者も、何者でもないのですよ。視点を変えればそこに世界があるだけ」
脳内に直接語りかけられるように、男性の声が響いた。
周囲を見渡すと、後方に白い鹿の顔をした襦袢を着た人、のようなものが、こちらを見つめて言っていた。彼は白い本を片手に、それを読んでいるようにも見えた。
「誰」と反射的に問いかける。
「誰でもありません」と彼はいう。
ふと視線を落とすと私は彼と同じ服を着ていることに気づいた。
そして彼の立ち居振る舞いや声に、何故か安心感を感じていることにも気づいた。
「私、ダンサーになりたかった……」
心が溶け出すように自然と、言葉になって漏れていた。
「どうぞどうぞ。生まれたらいつでも死ねることと同じように、こちらの世界であなたはいつでも生まれ変わることができますよ。呼吸をするのと同じくらい、簡単にね。ここでは皆そうしてる」
いつでも生まれ変われる……私が考えていたことと同じだった。
この景色も、匂いも、音も、私が生きている時に想像していたことと同じだったよう思う。まるで頭の中をそのまま現したような。
周りを見渡すと、白い人々は散り散りになって過ごしていた。白いピアノを弾き出す人、あたり構わず周囲に話しかける人、言葉が書かれた白い紙を差し出してくる人、寝転がるだけの人、何もしない人。……自由だ、と思った。
渡された紙には「ただ、楽しそうに過ごしていてほしいな」と書かれていた。
彼はまた本を読み始めてしまったので、私は数十人の白い人々を観察していた。子どものように自由に振る舞う人が近づいてきたので「あなたは何者なの?」と問う。
「何者でもなーいよ」と答えて、飛び跳ねて去っていく。
私は床に座り、白い人々を見つめる。何者かになりたかった、ならないといけないと思っていた自分と反対の存在たちなのに、なぜかこの光景も自分が見たかったことのように思えて、心の中の深い部分が少しずつ溶け始めていた。
私は、ここにいていいのかもしれない。この場所は私のための場所で、というか、何者でもない私でいてもいい場所なんだ。中途半端でも、なんの色を持っていなくても、ただその状態でいることを許してくれる、逃げ場。
よかった、死後の世界には居場所があって。
私じゃなくてもいい私がいていい場所があって、本当によかった。
私は最後の一言が欲しくて、立ち上がって、鹿の彼に言った。
「ねぇ、本当に何者でなくてもいいの?」
「はい、世界の本質は自由だ。好きなあなたで踊ればいい」彼は本を読みながら、でも、どこか嬉しそうにそう答えた。
「あなたの聴きたい音は知っているよ。僕と同じだからね」
そう言うと、脳内に直接音楽が響いてきた。
『光』という曲。私がいちばん好きだった音楽。
自然と身体がゆらめいて、今何をすればいいのかが分かる。
棺桶に手向けられた鮮やかな花々、これがこれまでの私なんだ。
まずはカーネーションを手に持って、ピアノを弾いていた白い人に手渡す。
白い人は私を抱きしめる。母のような暖かさで。
棺桶にある花を集め、私の後ろに付き添ってくれている。
彼女から黄色い百合を受け取り、子どものような白い人へ渡す。
白い人は意識を失ったようにその場で倒れる。
そして次々に、私自身を白い人に一つずつ手渡していく。
心からの感謝と共に、愛を込めて、別れを告げる。
全ての花を手渡すと、白い世界は真っ暗になった。
どこに歩んでいいかも分からない。何者でもない自分になった。
どこからも光が差さず、怖くなり、その感情のまま身体を踊らせる。これまででいちばん自由なダンス。何者でもない私の、自由そのもの。
心が無重力になるような感覚、時間からも、私からも、ここにいる感覚からも、解き放たれていく。眼前から強い光が差し込むと、私の周りに白い光が万華鏡のように浮かび上がり、集合し、散逸し、また集合してを何度も繰り返していく。これが生命の美しさなんだって、すぐに分かった。
それから、地球の様々な光景が光になって私を照らす。海、空、川、森、私が生きていた間の、いやそれよりもっと前から脈々と続く虫や木や微生物だった頃の全ての記憶が、波のように押し寄せては、消えていく。
1度限りのフラッシュバック。泡のように儚くて、美しくて、目眩くメロディに身体を委ねていると、白い人々も共に踊り出し、宇宙とか、過去とか、未来とか、全てがこの身体の中にあって、それを全て煙のように消していった。死んでいるのに、生きていた。
音が終わる頃。この曲がなんという名前かも、もう思い出せなくなっていた。眼前の小さな光の方に進むと、棺桶の中に入っていた。私はこれから、運命的に導かれたどこかに行く。棺桶の中で仰向けになると、白い人々は私に色鮮やかな花々を手向けた。鹿の顔をした彼は、ずっと手に持って読んでいた本を棺桶の中に入れた。
「いってらっしゃい」と周りの人々から声が集まる。もう何も思い出せないけど、存在を愛おしく感じる。
静かに蓋が閉められていき、赤と、黒と、白が同じ時間だけ現れて、消えた。
まだ見ぬあなた会えますように。
おなかをさすり、いつも願った。
どんな顔をしているかな。
どんな声をしているの。
新しい朝
新しい風
あなたのために準備されたの。
新しい朝
新しい光
世界はあなたのためにある。
(fin.)
おわりに
逃げBar White Outは2019年の12月に、何者でもないあなたへ帰る逃げ場として開きました。オープンしてすぐにコロナ禍となり、想定していた営業は立ち行かず、逃げBarから逃げたくなっていた日々もありました。
逃げBarを立ち上げる前に、僕は横浜にリバ邸という現代の駆け込み寺をコンセプトにしたシェアハウスの管理人をしていました。夜な夜なDVとか家出とかで、知らない人が逃げてきて、とりあえず話を聞くというようなことをしていました。
社会にはシェルターや福祉相談所や自殺防止ホットラインなど様々な逃げ道が用意されていますが、そこに辿り着く前に、あるいはそれらの選択肢を選べない人たちに向けて、リバ邸は確かに一つの逃げ場になっていました。社会には逃げのグラデーションが足りないのです。
それでもシェアハウスに来るということも一般的には敷居が高く、もっとカフェやバーのような気軽さで、特に深刻でもない些細な事情で、逃げてこれる場が必要なのではと思い、逃げBarをつくりました。
(詳しくは下記の記事へ)
そして、気づけば2023年。多死社会と呼ばれる昨今です。
2022年は戦後最大の死亡数となりました。
自殺の抑止を志して開き続けてきた逃げBarですが、天国みたいな空間と形容されることが多いこの内装から、コロナ禍で亡くなられた方の弔い直しなどグリーフケアにもできることを広げていきました。
その中で、昨年催したグループ展『生命が美しいとしたら、それはなぜか。』今秋に催した”人が植物に輪廻する世界”を描いた体験小説『RingNe』では死後のオルタナティブを描いてきました。今作もそれらに続き、ただ永遠の別れとしてだけではない死後観を描いています。
そして、すべての人たちは生前にいた世界であたたかく見送られ、この世に生まれきた美しいいのちだとメッセージングしました。
個の時代と言われて久しい昨今、作中のゆきと同じように何者でもない自分への焦燥感を抱えて生きている人は少なくないかと思います。現代のマーケットの性質においても「何者か」として自身を情報圧縮して規定しないことには売れづらい傾向にあります。
本来多面的で、鮮やかで、変化し続けられる自由さを持つ自分を、セルフブランディングや自分らしさという檻にいれて、苦しんでいる”何者か”である人も少なくないように思います。
今作では生前の場も、死後の場も光の空間とすることで、生命の本質は光だ、というシンプルな処方箋を表現したものでもあります。
僕らは温かな光から生まれ、またその場に帰っていくだけで、そもそも何者でもなくて、何者にならなくてもよくて、ただそこには想像の余白と、自由があるだけ。そういう世界観を開き続けている逃げBarで、それを体験として開いた舞台が本作です。
少しでも、今ある無垢な命を美しめて、旅立った人々の行き先が光に溢れた場であることを想像できるきっかけになれていれば、幸いです。
Starring
おしだゆき
逃げBar White Out
Cast/Assistant Director
岩崎佐和
Cast/Producer
サカキミヤコ
Reception/Translator
ZAC
Sound System
Silent it
Director/Screenplay/Cast/Sound/Author
アメミヤユウ
2024年春以降となりますが、本作の出張公演、逃げBarでの追加公演(1公演15名まで)のご依頼等、受け付けております。ご希望の方は下記アメミヤユウのHP下部のお問い合わせフォームより、ご連絡くださいませ。